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目目連と囲碁

2017.10.30 (Mon)


久々になりましたが、今回は妖怪談義です。取り上げるのは目目連(もくもくれん)
鳥山石燕による詞書きには、
煙霞跡なくして むかしたれか栖し家のすみずみに目を多くもちしは
 碁打のすみし跡ならんか
」昔誰かが住んでいた家の隅々に目があるのは、
 碁打ちが住んでいたからなのだろうか。

とあります。水木しげる先生の次女、悦子さんは、中学時代の修学旅行先の
京都府の旅館で、障子の格子に目のようなものが浮かび上がって動き回る現象を、
同級生たちと共に目撃しており、家に帰って父に話すと、
水木先生はそれを「目目連だ」と語ったという話が残っています。

さて、目の錯覚の一種にバーゲン錯視というのがあり、これは黒地に白い格子
があった場合、交点の部分に黒い点が飛び回っているように見えることを
いいますが、どうでしょうか。下図で黒い点が見えるでしょうか。
これが強く見えてしまう場合、疲れがたまっているとも言われます。
目目連は、このバーゲン錯視を指しているのだという説もありますが、
ただし、バーゲン錯視の場合は格子の交点であるのに対し、
石燕の絵は格子で囲まれた障子紙の上に目が二つずつ出ていますので、
違うといえば違うかもしれません。

「バーゲン錯視」


この妖怪のテーマになっているのは、囲碁ですね。
囲碁では、ルール上、目(眼)をつくるのが重要です。
目というのは自分の石で囲まれた部分のことで、これが2つあれば、
相手に自分の石を囲まれても生きることができます。
目というのは囲碁では勝敗にかかわる重要なものなんです。

さて、囲碁や将棋では勝負にこだわるあまり争いが起きて、
人が死んだなどの例もありました。例えば怪談の「鍋島の猫騒動」では、
2代目藩主、鍋島光茂の囲碁の相手を務めていた龍造寺家の家臣が、
対局上の争いによって手討ちにされてしまうのが発端です。
この手の勝負事にはどうしても遺恨が残りやすいものなんですね。

江戸時代には、碁所(ごどころ)という幕府の役職があり、
囲碁家元である四つの家からただ一人だけ選ばれ、就任するためには同時代の
誰よりも強い、名人の技量を持っていなければなりませんでした。
これをめぐって、四家ではさまざまな確執が起こり、
対局者の一人が局後に血を吐いて倒れたとする「吐血の一局」などという話も
あります。そういった碁打ちの勝負に対する執念は、
石燕も聞きおよんでいたと思われます。

また、囲碁は古代の中国で生まれましたが、仙人が好む遊戯とされ、
別名、爛柯(らんか)というのですが、こういう話が伝わっています。
晋の時代の昔、王質という木こりが山奥の洞窟に入ると、そこで数人の童子が
歌いながら碁を打っていた。王質は腹が減ると童子にもらった棗の種を
口に入れてそれを見物していたが、童子に言われて気がつくと斧の柄(柯)が
ぼろぼろにただれ(爛)れていた。王質が山から里に帰ると、
数えられないほどの年月がたっていて、知っている人は誰一人いなくなっていた。

(南朝梁の任昉『述異記』)つまり、斧の木製の柄が腐ってしまうほどの長時間、
夢中になって仙界にいてしまったということです。

このように、囲碁には他の遊びとは違った神秘性があると思われていたわけです。
また、日本にはこんな話もあります。江戸時代の怪談本『玉箒木』から。
江戸の牛込に、囲碁の好きな清水昨庵という者がいた。
昨庵があるときに近くの柏木村円照寺を散歩していると、
色白と色黒の2人組が話しかけてきた。2人と馴染みとなった昨庵が名を尋ねると、
色黒の者は山に住む「知玄(ちげん)」色白の者は海辺に住む「知白(ちはく)」
と名乗り、それきり姿を消してしまった。
昨庵はこの後囲碁の名人となり、江戸中に敵が無くなった。

この2人は囲碁の精なんでしょうね。

さてさて、こうして考えると、囲碁の持つゲームとしての神秘性、
また、碁打ちの持っている勝負に対する執念を石燕が妖怪化してみせたのが
この目目連なのかもしれません。





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