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黒塚古墳のU字型鉄製品

2017.11.12 (Sun)
黒塚古墳石室


今回は邪馬台国関連のお話です。邪馬台国問題に関しては、
自分はガチの畿内説ですので、そのつもりでお読みください。
なるべく専門的にならないように心がけます。

まず、黒塚古墳の話をしましょうか。
黒塚古墳は、奈良県天理市柳本町にある、全長約130メートルの前方後円墳で、
これは、同じ大和古墳群にある箸墓古墳のほぼ2分の1の大きさです。
高さ約11メートル、前方部がバチ型で前期古墳の特徴を持っています。
周濠あり、葺石や埴輪は未確認。

1997年、奈良県立橿原考古学研究所が行った発掘調査で、三角縁神獣鏡33面と
画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見されました。
竪穴式石室の木棺内には被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡、両脇に刀と剣をおき、
棺外に32面の三角縁神獣鏡が鏡面を内向きにして立てられていました。
このことから、三角縁神獣鏡は量産された葬具であり、
画文帯神獣鏡が被葬者にとって重要なものであったことがわかります。

自分は三角縁神獣鏡国産説をとっていて、
卑弥呼が魏からもらった鏡は、その一つ前の世代の画文帯神獣鏡だと考えます。
ただし、画文帯神獣鏡と三角縁神獣鏡には意匠上の共通点があり、
三角縁神獣鏡は、魏から下賜された画文帯神獣鏡を参考にして、
(もしかしたら鏡の工匠が中国からやってきて)
倭国内、あるいは帯方・楽浪郡内(当時の朝鮮半島)
で作られたと考えたほうが自然なんじゃないかという気がしますね。

さて、今回の本題は鏡の話ではありません。
黒塚古墳からは200点以上の鉄製品が発掘されましたが、
その中にU字型鉄製品と呼ばれる、ひじょうに特異な遺物が出土しています。
(図A)これは、大小2本の鉄棒をU字型に曲げたもので、
それに付随するように、V字型の鉄製の管がいくつも見つかりました。
鉄製の管にヒモを通して、U字型鉄製品に結びつけていたのでしょう。

図A
名称未設定 1

また、全長40cmの棒状鉄製品が近くから8本出土し、
一端には木柄を接続したのか、木材痕跡が確認できます。
これはおそらく、支柱として使われたものでしょう。
さらに、全体に絹繊維が付着していたことが確認されています。
これ、黒塚の調査以前にも以後にも、同様のものは発見されていない、
大変に珍しいものなんです。いったい何なんでしょうか?

自分は、これは卑弥呼が魏よりもらった「黄幢(こうとん・こうどう)」
ではないかと考えます。というか、それ以外のものを想像しにくいんですね。
では、黄幢ってどんなものなんでしょう?
魏志倭人伝の記述にはこうあります。
其の六年 詔して倭 難升米に黄幢を賜い 郡に付して仮授す

「其の六年」というのは、魏の正始6年(245年)。
倭国の使者、難升米(なしめ?)に授けられた黄色い軍旗が黄幢で、
なぜ黄色かというと、これは陰陽五行説で、
魏の国の色が黄(土を表す)だからです。(魏の最初の年号は黄初)

また「其の八年 太守 王頎が官に到る
倭女王 卑弥呼は 狗奴国王 卑弥弓呼と素より和せず
倭 載斯烏越等を遣わし 郡に詣り 相攻撃する状を説く 塞曹掾史 張政等を遣わし
因って詔書 黄幢を齎し 難升米に拝仮し 檄を為りて之を告諭す


邪馬台国の卑弥呼が卑弥弓呼(ひみくこ?)を王とする狗奴国
という国と戦争になったことを知らせてきたので、
ここでも黄幢が授けられています。戦争状態にあって、
邪馬台国には中国の大国、魏がバックについているんだぞ、
と知らしめるための役割が黄幢にはあるわけです。

では、黄幢とはどのような形状のものでしょうか。
現在の旗のようなものなら「旗」という字を使うはずですが、
そうではないので、「幢」とは(図B)のようなものではなかったかと
考える人が多いのです。そしてこれは、上記のU字型鉄製品を組み立てたときの
形(図C これは自分が書きました)によく似ているように思います。

また、高句麗の4世紀の壁画にこのようなもの(図D)があり、
これは「節」と考えられており、軍の指揮に関係したものなんですが、
やはり図Bとよく似た形をしています。さらに、三角縁神獣鏡には傘松文様といわれる、
中国の鏡には見られない独特の文様があり(図E)、
これも図Bと共通した形をしていますね。
自分は、傘松文様は黄幢を記念して鏡の意匠に組み込まれた可能性があると見ています。

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さて、黒塚古墳の鉄製品が黄幢とするならば、
その被葬者は誰なんでしょうか?魏に使いに出た倭人のうちの誰かなんでしょうが、
自分は、遣使された中で最も活躍している難升米ではないかと考えます。
ただ、難升米は魏の皇帝から率善中郎将(魏のために働く夷狄の武人に与えられる将軍位)
に任命され、銀印青綬を与えられていますが、
残念ながら黒塚古墳からは銀印は出土していません。

さてさて、もし黒塚のU字型鉄製品が本当に黄幢ならば、
邪馬台国論争は畿内説で決着と見ていいと思います。
考古学者で、これが黄幢であると声高に主張する人は多くありませんが、
内心、そうじゃないかと考えている人はかなりいるはずです。
みなさんは黒塚のU字型鉄製品の形を見てどう思われますか。
もし黄幢でないとしたら、これはいったい何なんでしょう???

関連記事 『三角縁神獣鏡と卑弥呼の鬼道』

関連記事 『箸墓古墳と倭迹迹日百襲姫』







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コメント
 こんばんは、野崎でございます。

 うろ覚えで申し訳ないのですが、畿内説、北九州説のどちらも決定的な決め手が発見されてないから決着がつかないんでしたっけ?

 以前、鯨統一郎氏の歴史ミステリー小説で東北説っていうのも提示してましたよね。こっちも資料の解釈を工夫してそれっぽく仕上げていました。ただ、一部の属国を「恐らく北米先住民だろう」というあたり、この説も無理があるようでしたが。

 では、遅くなったのでこれで失礼します
野崎昭彦 | 2017.11.12 23:39 | 編集
コメントありがとうございます
たしかに決め手はないのですが、もし当項で取り上げた
U字型鉄製品が黄幢なら十分な決め手になるはずです
鯨統一郎の小説は、東北の八幡平を「やまたい」とした冗談ですが
魏志倭人伝に出てくる裸国(船で1年かかって着く)を
インドネシアあたりの原住民に比定する研究者は実際にいます
bigbossman | 2017.11.13 01:42 | 編集
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