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秦始皇帝と不老不死

2017.12.31 (Sun)


中国で2002年に見つかった大量の木簡の中に、
秦の始皇帝(Qin Shihuang)が国内各地で不死の薬を探すよう命じた布告や、
それに対する地方政府からの返答が含まれていることが最新の調査で明らかになった。

中国国営の新華社通信が24日に伝えたところによると、
3万6000枚に上る木簡は湖南省の井戸の底から発見されていた。
同省の考古学者らが調べたところ、「不老不死の薬」を探せ、
との始皇帝の命令が記されていたものがあった。
布告は辺境の地域や僻(へき)村にも通達されていたという。

また、この指示に当惑した様子がうかがえる地方政府からの
返信が書かれたものも確認された。例えばある村は、
そのような妙薬はまだ見つかっていないが引き続き調査していると報告。
別の村は、地元の霊山で採取した薬草が不老不死に効くかもしれないと返している。
もっとも、不死を求めた始皇帝の願いはかなわず、
始皇帝は即位から11年後の紀元前210年に死去している。
(AFP)

今回はこのお題になります。カテゴリとしては世界史の分野ですね。
それにしても3万6000枚の木簡ですか・・・
自分のように考古学を専攻したものにとっては、
すごい夢のある話だなあと思います。これらを解読することで、
古代の政治や生活の様子をかなり的確に再現できるようになるでしょう。
また、始皇帝時代の文字や語法についても新知識が得られることと思います。

さて、秦の始皇帝とは何か?みなさんご存知でしょうが、いちおうWikiを見ますと、
「始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)は、中国戦国時代の秦王。
姓は嬴(えい)、氏は趙(ちょう)、諱は政(せい)。
現代中国語では、秦始皇帝と称する。紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると、
最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。」


こんなふうに出てきます。49歳で死去というのは、現代からみれば若いですが、
当時としてはそれほど早死にということはなかったでしょう。
始皇帝が不老不死を求めてさまざまな活動をしていたことは、
司馬遷による史書『史記』で有名ですが、
それが今回の木簡の記述で実証されたわけです。

当時の不老不死の霊薬といえば、まず水銀があげられるでしょう。
水銀は常温で凝固しない金属です。このような物質は他にはないので、古代から珍重され、
霊薬として、西洋では錬金術、東洋では神仙術の材料として用いられてきました。
水銀が固体として採取される場合は、辰砂(しんしゃ 硫化水銀)の形を取ります。
辰砂を熱していくと水銀になりますが、それをさらに熱するとまた辰砂に戻ります。
この物質が循環する様子が、不老不死のイメージに重なるという話もあります。

始皇帝は水銀が大好きだったようです。日頃から服用していただけではなく、
生前に築いた自分の墓(秦始皇帝量 中国陝西省西安北東30kmの驪山北側)の地下、
始皇帝の棺の近くには水銀を流した人工の山河がつくられていたと、
前述の『史記』に出てきます。実際に始皇帝陵の土壌調査では、
表土から大量の水銀が検出されているんです。
ですから、この記述も史実である可能性が高いように思えます。

ちなみに、現在の中国では始皇帝陵発掘の計画はありません。
これは、まだ発掘するための技術的な基盤が整っていないと見ているためでしょう。
この判断は自分は正しいと思います。緊急発掘されたあの兵馬俑も、
空気に触れた酸化作用のために短期間で退色してしまいました。
始皇帝陵発掘の準備ができるまでには、まだまだ時間がかかるでしょうね。

水銀のような霊薬を飲んで寿命を延ばすことを、中国の神仙術で「外丹法」と言います。
(これに対し、自分の体の中で「気」を練るのが「内丹法」)
でも、水銀って毒なんですよね。日本の水俣病は、水銀中毒の悲惨な事例の一つです。
秦の始皇帝の死因は、皮肉なことに水銀中毒であったという話もあります。
ただし実証はされていません。その後も、中国の歴代皇帝には水銀薬を服用していた
という人が多く、また日本でも、飛鳥時代の女帝 持統天皇が、
若さと美しさを保つために水銀薬を飲んでいたと言われていますね。

さて、ここで話を変えて、始皇帝は中国全土から不老不死の薬を求めるだけでは
飽き足らず、徐福(じょふく 別名 徐巿 じょふつ)という方士を、
東方の三神山「蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)」へと、
霊薬を探すために派遣しました。

徐福は、3000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、
五穀の種を持って東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、
中国には戻らなかった、と『史記』は書いています。
この徐福がたどり着いたという伝承は日本の各地にありますが、
どれにも、確証と呼べるほどのものはないようです。
この他、徐福が王となった地については、台湾、海南島などさまざまな説があります。

1982年、中国の江蘇省連雲港市贛楡(かんゆ)県にある「徐阜(じょふ)村」が、
以前は『徐福村』と呼ばれていたことがわかり、
現地で徐福伝説が伝承されていることが確認され、徐福の出身地発見と話題になりました。
ただし、村の旧家には「明代に先祖がこの地に移住した」という話も伝わっており、
観光のための村おこしなのではないかという評判もあるようです。

さてさて、最後に一つ苦言を呈しておきましょう。
秦始皇帝といえば「焚書坑儒」と呼ばれる弾圧を行ったことで悪評が高いですよね。
「書を燃やし、儒学者を生き埋めにする」という意味ですが、
現代の中国における共産党による情報統制と言論弾圧はどうでしょうか。
例えば、中国のネットでは「天安門事件」は検索できないようになっているなどですが、
始皇帝の時代から2200年を経て、はたして進歩していると言えるのかどうか、
自分としては疑問を感じずにはいられません。

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「兵馬俑」




 



 
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コメント
突然の訪問、失礼いたします。
私はこちら⇒b--n.net
でブログをやっているさくらといいます。
色々なブログをみて勉強させていただいています。
もしよろしかったら相互リンクをお願いできないでしょうか?
「やってもいいよ」という方はコメントを返してくだされば、
私もリンクさせていただきます。
よろしくお願いします^^
さくら | 2017.12.31 15:10 | 編集
コメントありがとうございます
すみませんが相互リンクはやってないんです
bigbossman | 2017.12.31 15:27 | 編集
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