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相撲と埴輪の起源

2018.01.06 (Sat)
野見宿禰と当麻蹴速


最近、古代史の話が続いてますが、今回もその手の内容です。
お題は相撲に関してで、自分はけっこう好きです。
子どもの頃はよくTVで見てたんですが、
最近は忙しくてなかなか観戦する機会がないですね。
ただ、一昨年、病気をして長期入院した際には、場所中は毎日見ていました。

大相撲界は、昨年は残念な話題で終わってしまいました。
横綱 日馬富士による暴行事件です。日馬富士は、現代の力士としては軽量でしたが、
抜群の運動神経と足腰の強さで、好きな力士の一人でした。
それだけに今回の事件は残念です。引退となってしまいましたが、
日本国籍を取得していなかったので、協会に残ることはできないようです。

さて、『日本書紀』には相撲の起源として、こんな話が出てきます。
第11代垂仁天皇の世のことです。「奈良の葛城市に当麻蹴速(たいまのけはや)
という勇士が住んでいて相撲が強かった。(ここで相撲は「捔力」と出てきます。)
そして「われは闘う相手を求めている。強い相手と生死を競って勝負してみたい。」
と言う。これを伝え聞いた垂仁天皇は、臣下にその相手を探させると、
出雲の国に野見宿禰(のみのすくね)という強者がいることがわかった。
天皇は宿禰を呼び出して対決させ、勝負は野見宿禰が勝って蹴速は死んだ。
その褒美として、蹴速が持っていた大和の土地が宿禰に与えられた。」

これを読むかぎり、かなり凄惨な決闘が行われたようです。
ルールも現代の相撲とは違っていたようで、闘いの様子はこう書かれています。
「二人相對立 各舉足相蹶 則蹶折當摩蹶速之脇骨 亦蹈折其腰而殺之」
短いですが、古代の格闘の様子がわかる貴重な部分だと思います。
まず2人は相対して互いに蹴り合います。そして宿禰が蹴速の脇腹の骨を蹴り折り、
さらに腰を踏み折って殺してしまうんです。

格闘技は大きく組技系と打撃系に分けられ、相撲は一般的に組技系と考えられますが、
この描写は、完全な打撃系格闘技のキックボクシングのようです。
現在の相撲にも蹴り技(蹴返し、蹴たぐり)はあるものの、
まわしより上は普通蹴りませんし、拳打ちは反則になります。(平手で叩くのはOK)
あと、相手を土俵の外に出すと勝ちというルールもないようですし、
宿禰は倒れた蹴速の腰を踏み折っているので、
足の裏以外が土についたら負けということもなかったようです。

かなり原始的なルールだったんですね。(というかルールの概念もなかった?)
今の相撲は、これに比較すれば競技者の安全を考慮した規定になってますし、
観客のために、勝敗がわかりやすくなっています。
ところで、夢枕獏氏の格闘小説『餓狼伝』に「すくね流」という、
天皇家に関わる武術の流派が出てくるんですが、
この野見宿禰がその名の元になっているでしょうかね。

さて、地元の蹴速が、出雲の国から来たよそ者の宿禰に負けてしまったわけですが、
垂仁天皇は野見宿禰の強さを認めて家来として召し抱えます。
やがて、天皇の弟の倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなり古墳に葬られました。
このときに『日本書紀』に怖い話が出てくるんです。

「天皇が弟を墓に葬り、生前に仕えていた人々を生きながら墓のまわりに
足を埋めて立たせた。その者たちは何日もたっても死なず、
昼も夜も苦しさに泣きうめいた。そしてついに死んだ死体を、
カラスや犬が集まってきて食った。天皇はこの一部始終を見て、
「なんと悲しいことではないか。古くから行われてきたことといっても、
これからはもう殉死はやめよう」と言った。

やがて、天皇のお后である日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が亡くなり、
天皇は「今度の葬送はどうしよう。」と臣下に尋ねた。そのとき野見宿禰が進み出て、
生きた人間の代わりに、土を焼いた人物や馬などを墓に立てることを勧めた。
そこで宿禰の故郷の出雲から職人を呼び寄せ、それらを作らせた。
天皇は宿禰の功績を厚く賞して「土師(はじ)」の姓をたまわった。」

ふむふむ、なるほど。ところで、「土偶(どぐう)」という言葉がありますが、
埴輪と土偶ってどう違うんでしょうか? どちらも土を焼いて作られたものですが、
土偶は縄文時代からあり、いろんな場所から発見されます。これに対し、
埴輪は、古墳時代に前方後円墳などの古墳の上に
立てられたものにかぎって使われる言葉なんです。

で、上記の話ですが、考古学的には大いに問題があります。
まず、垂仁天皇陵とされる古墳よりも
先に作られた古墳から埴輪が発見されていること。もう一つ、
これまで発掘された古墳には、明確な殉葬の跡があるものが一つもないことです。
ですので、この話はあくまで埴輪ができた起源説話として
後世に作られたのではないか、と考えられているんですね。

埴輪(今城塚古墳)


さてさて、この手のことを書くときりがないので、また長くなってしまいました。
「土師」というのは「土で物を作る師」という意味で、また野見宿禰の「野見」は、
石を加工する工具「ノミ」と関係があるとも言われています。もしかしたら、
野見宿禰は、出雲で石工のような仕事をして体力をつけたのかもしれません。
土師氏は長く古墳造営や葬送儀礼を司っていましたが、
桓武天皇の時代に、大江氏・菅原氏・秋篠氏に分かれました。

ですから、平安時代の菅原道真も土師氏の系統であったわけです。
学問の神様といわれ、文才で出世していった道真が、先祖をたどると、
相撲の始祖とされる武人、野見宿禰に行き着くというのは面白いなあと自分は思います。
ちなみに、野見宿禰と当麻蹴速が相撲を取った場所は、
現在の奈良県桜井市の穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)とされ、
両人とも相撲の神として祀られています。

関連記事 『日本に「殉葬」はあったか?』

穴師坐兵主神社







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