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「魏志倭人伝」小考

2018.01.12 (Fri)
※ 邪馬台国問題の比較的上級者向けの内容ですが、
これから邪馬台国を研究してみたいと思われる方にも、
ぜひとも読んでもらいたいです。

「魏志倭人伝 (紹煕本)」


自分は5年ほど前、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の日本史板で
コテハン(固定ハンドル)をやっていて、邪馬台国問題についても
よく議論を戦わせたものですが、九州説を主張する人の中には、
「魏志倭人伝の記述は一字一句、すべてが正しい」などと言う人がいまして、
これにはずいぶん閉口したことを覚えています。

さて、卑弥呼や邪馬台国について書かれている「魏志倭人伝」ですが、
『三国志』という中国の史書の中の一部分で、
正確には「三国志・魏書 東夷伝 倭人の条」というのがよいでしょうか。
WIKiには「『三国志』は、中国・西晋代の陳寿の撰による、
三国時代について書かれた歴史書。後漢の混乱期から、
西晋による三国統一までの時代を扱う。二十四史の一。」
とあります。
撰者は陳寿(ちんじゅ)という人で、中国の西晋の時代、
280年代に完成したと考えられています。

では、この「魏志倭人伝」、どこまで信用できるものなんでしょうか。
自分はこれ、かなり危ういのではないかと考えています。
その理由の一つは、文献資料というもの全体に言えることですが、
ある程度以上の分量の文献資料というのは、必ずと言っていいほど、
何かしらの間違いが含まれているものだからです。

例えば、中国の清の時代1735年に完成した『明史』。
これも二十四史の一つですが、明の時代には豊臣秀吉の朝鮮出兵
(文禄・慶長の役)がありました。そこで『明史』には、
「日本伝 豊臣秀吉の条」が立てられています。
みなさん、これ読まれたことがあるでしょうか。
内容ははっきり言ってムチャクチャ、日本人からみれば噴飯物です。
明からすれば秀吉は戦った相手の親玉なのに、
その記述はまったく正確さを欠いているんですね。

これは何も『明史』だけのことではなく、他の時代の中国の史書でも、
日本について書かれている部分だけ見ても、
はっきりした間違いがいくつもあるんです。
それは、日本の文献資料でも同じです。例えば江戸時代に起きたある事件を、
目の前で見ていた人が文章化した資料でさえ、他の文献と比較すると、
やはり多くの齟齬が見つかるんです。ということで、ある文献について、
「書かれていることはすべて正しい」とするのは、最初から無理なんですよ。

まして「魏志倭人伝」の場合、撰者の陳寿が日本に来たわけでもありませんし、
内容のほとんどは伝聞、あるいは別資料を引き写したものです。
当時の日本(倭国)は辺境であり、中国人に知識はありませんでした。
現代のような正確な地図もない時代です。ですから、当然、
その情報には多くの誤謬が含まれているはずです。そしてそのことが、
邪馬台国の問題を複雑にし、これまでに多くの論争を生んできたんですね。

さて、もう一つ。現在目にすることができる『三国志』は、
「百衲本(ひゃくのうぼん)二十四史」に納められているものが一般的で、
これは、宋代(1190年代)に刊行された「紹煕本」が元になっています。
陳寿が『三国志』を書いてから900年もの年月がたっているものです。
この間、『三国志』は代を重ねて多くの人に筆写され続けてきました。

ですから、もともと陳寿が書いたものからは、
かなり内容が変わってしまっているんです。
「古本(こほん)三国志」というものがあります。これはごく古い時代の
『三国志』の写本の一部分で、現在までに6編ほど見つかっています。その中に、
「吐魯番(トルバン)出土 三国志 巻五七(呉書一二)虞翻伝・陸績伝・張温伝残卷」
というのがあり、陳寿が書いた直後の晋代の写本と見られています。

姚李農氏という学者が、これを現代 目にするものと比較した研究がありまして、
それによると、全1192字中、画数の同じでない文字が416字。
全体の1/3を越えます。また、用語から見て、
「紹煕本」と異なるものが40句にのぼる・・・となっているんです。
どう思われますか? これは一部分の話ではありますが、
全体としてみても、この傾向はあまり変わらないと考えられます。
ですから、みなさんが目にする「魏志倭人伝」も、陳寿が書いたものからすると、
1/3は画数の違う漢字が使われている可能性があるんです。

これはしょうがないことです。長い年月の間には、
文章の用字や語法が違ってくるのは当然です。
日本だって、江戸時代と平安時代の文章はかなり違いますよね。
さらに、誤写ということもあります。実際「魏志倭人伝」には、
誤写を疑われる部分が何ヶ所かあります。

さてさて、ということで、「魏志倭人伝」の内容が正確かどうかには、
大きな疑問符がつきます。ですが、邪馬台国について書かれた同時代資料は
ほとんどこれだけなので、他の資料と比較検討することもできません。
そこで、邪馬台国問題では考古学資料が重視されるようになってきているんです。

でも、考古学重視というふうに書くと、
「考古学の出土物に、ここが邪馬台国と書いているわけじゃないだろ!
文献をないがしろにするな、邪馬台国は文献史学の問題だ、ムキー!!」
と怒る人が、特に九州説の中にはたくさんいまして、
困ったもんだなあと自分は思っているんです。

三国志を書く陳寿の像(中国 四川省 南充)







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