ケツァルコアトル伝説

2018.01.25 (Thu)
ケツァルコアトル神
はんsき

前に「ココリットリって何?」という記事を書きましたが、
その続きみたいな内容です。ただし「伝説」とあるのに留意してください。
まず、ケツァルコアトルというのはメソアメリカ文明で広く信じられていた神です。
アステカ文明ではケツァルコアトル、マヤ文明ではククルカンと呼ばれましたが、
同じ神と考えられています。その姿は羽毛を持つ白い蛇です。
人類に文明を授けた文化神であり農耕神、また風の神、金星の神など、
多様な神格を持っていました。

メソアメリカ文明


メソアメリカは多神教で、この他にもさまざまな神がいるんですが、
ケツァルコアトルのライバルとして登場するのが、テスカトリポカです。
黒いジャガーの姿で描かれ、戦闘、夜、月などを司っていました。
アステカ文明では太陽を信仰して、消滅することがないよう多数の生贄を
捧げていましたが、創世神話ではケツァルコアトルとテスカトリポカが、
交代で太陽を務めたことになっています。

ケツァルコアトルは平和の神ともされ、生贄の儀式を好まず、
人々に人身御供をやめさせたとされます。そのため、
生贄が大好きなテスカトリポカのうらみを買い、呪いのかけられた酒を飲まされ、
大暴れしたあげくに、自分の妹と近親相姦のタブーを犯してしまいます。

そしてアステカの地を追放されてしまうのですが、このとき、
自らの宮殿を焼き払って財宝を埋めた後、「自分は一の葦の年に帰ってくる」
という予言を残し、何羽もの美しい鳥となって空へ舞い上がったと言われます。
一の葦の年はアステカ暦で1519年でした。

ケツァルコアトルの使いとされるケツァール鳥


さて、アステカ帝国はモクテスマ2世の治世。アステカ第9代の君主で、
1502年、テノチティトランにおいて35歳で帝位につきました。
アステカの皇帝はみなそうでしたが、彼もまた優秀な神官でもありました。
その治世は最初のうちは平穏でしたが、1510年頃から、
北の夜空に彗星が現れたり、火山が爆発しテスココの湖が煮えたぎるなどの、
不吉な出来事が起こり、彼を悩ませていました。

そして運命の1519年、一人の男に率いられた軍勢が、キューバを経て
メソアメリカの地へと上陸します。男の名はエルナン・コルテス。
スペイン人のコンキスタドール(征服者)の一人です。
その評判は、母国スペイン以外ではあんまりよくないですね。

エルナン・コルテス


女好き、アステカ帝国を滅ぼした文化破壊者、略奪者、「黄金に飢えた豚」
とまで言われたりします。まあ、これは当たっていなくはないんですが、
コロンブスらがその価値を認めなかったカカオ豆に注目して積極的に持ち帰り、
世界にチョコレートを広めた、などという一面もあるんです。
そして、この時代のスペイン人ならあたり前ですが、
それなりに敬虔なキリスト教徒でもありました。

さて、コルテス軍はアステカと敵対していたトラスカラ王国と戦闘して
これを降伏させ、11月、首都テノチティトランへ到着しました。
これに対し、白い肌のコルテスら一行を、
白い神ケツァルコアトルの化身と考えたモクテスマ2世は、
抵抗することなく、「国をお返しします」と言って歓待し、
神殿を案内して血まみれの祭壇や、生贄の心臓をのせた銀の皿などを見せました。

ところが、コルテスの反応は意外でした。コルテスはモクテスマに生贄のような
野蛮なことはやめるように言い、神殿の祭壇に駆け上ると、
「これは悪魔だ」と叫びながら神像をみな蹴落としてしまったんです。
呆然とするモクテスマに対し、コルテスは神殿に聖母マリアの像を祭るように求め、
モクテスマはただただ困惑するばかりでした。

このあたりは皮肉だなあと思いますね。
長い追放から帰ってきたケツァルコアトル神は、
なぜか、聞いたこともない異国の神を信仰するよう強要してきたんですから。
この後、コルテスの部下がアステカの神官や貴族を虐殺して民衆の反感を買い、
その仲裁を頼まれたモクテスマは、民衆から投げられた無数の石で頭部を負傷して
翌日に死亡。コルテス一行は命からがらテノチティトランを逃げ出します。

アステカでは新しい皇帝クィトラワクを立て、コルテス軍との対決姿勢を強めました。
トラスカラで軍を立て直たコルテスはテノチティトランを包囲。
1521年、病死したクィトラワクに代わって即位していた
皇帝クアウテモクを捕らえ、ここでアステカは滅亡します。そしてこの後、
疫病「ココリットリ」の大流行によって、当時の中央アメリカの
人口の80%にあたる1500万人が命を落とすことになるわけです。

関連記事 『「ココリットリ」って何?』

さてさて、ざっと説明してきましたが、最初に書いたようにこれは伝説です。
「一の葦の年に帰ってくる」という言い伝えによって、
コルテスらがケツァルコアトル神の化身とされ、
そのためにアステカが滅びたという話には大きな疑問符がつきます。
せいぜい初動が遅れた程度だったと思われます。
また、アステカにはケツァルコアトルへの生贄についての記録や遺跡などが多数あり、
生贄に反対する神話が書かれたのはコルテスによる征服後だと推定されています。

最後に、当時のキリスト教は苛烈な一神教であり、
改宗しない異教徒に対して厳しい態度で臨みました。ですから、
ペルーのインカ帝国を滅ぼしたフランシスコ・ピサロなどもそうですが、
征服には、キリスト教の神の勢力版図を広げていこうとする意図があったんですね。
どのみち異教徒は地獄に落ちるんだから、虐待してもかまわないというわけです。

関連記事 『黄金郷伝説』

これと同じ頃、日本にもフランシスコ・ザビエルなどの宣教師が来航していましたが、
多数の日本人子女が、奴隷としてポルトガル商人に
買い取られていったという記録が残っています。
異教の国の全ての領土と富を奪い取り、その住民を終身奴隷にしてもよいという
権利書を、15世紀にローマ教皇ニコラス5世が
ポルトガル王に発行しているんです。ご存知だったでしょうか。

異教徒の地を武力で次々征服し、奴隷貿易にも関わったキリスト教国と、
生贄の心臓を生きたまま抉りとって神に捧げていたアステカ文明と、
どっちがより野蛮で非道だったのか、これはなかなか難しいところです。

関連記事 『パイドパイパー伝説』

じぇかい






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コメント
 こんばんは、野崎でございます。

 初めて神話を聞いた時は「神話と史実が重なるなんて皮肉だなぁ」と思っていましたが、虐殺を生き延びた人々が恨みを込めて神話を書き換えたのなら妙な符号があるのも納得ですね。

 歴史は勝者が作るもの、と言われますが、逆に神話や伝説の中には敗者が作ったものも紛れているのでしょうね。
 例えばヤマタノオロチ退治とか。地元の神楽では時々オロチ役が舞台上で寝オチしてしまったりします(苦笑)。

 では、ここらで失礼します。
野崎昭彦 | 2018.01.26 00:03 | 編集
コメントありがとうございます
これはけっこう誤解されていることなんですが
メソアメリカ文明は紀元前から続いていて、ケツァルコアトルも古くから信じられてきましたが
アステカ帝国があったのは15世紀からのほんの100年足らずのことなんです
ですからアステカ以前の神話がたくさんあるんですが
そこにはケツァルコアトルが生贄を嫌ったという話は出てこないんですね
bigbossman | 2018.01.26 00:23 | 編集
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