黄金郷伝説

2018.01.31 (Wed)
今回はこのお題でいきます。世界で有名な黄金郷伝説は2つあります。
そのうちの一つは、この日本、と書けばもうおわかりと思います。
中国大陸の東の海上にあったとされる「黄金の島 ジパング」ですね。
それともう一つが、南米アンデスの山中にあるとされた「エル・ドラード」です。
ただ、この2つの伝承は200年以上時代が離れています。

ジパングについての話が出てくるのは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』ですが、
これが書かれたのは1300年頃と考えられています。
それに対し、エル・ドラードのほうは1500年代。前に「ケツァルコアトル伝説」
で書いた、スペイン人による大航海時代の話です。どっちでいきましょうか。
スペイン人つながりでエル・ドラードのほうがいいですかね。

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さて、エル・ドラードはスペイン語で、「黄金の人」と訳されますが、
現在では「黄金郷」みたいな意味で使われることが多いようです。
伝承が始まったのはそう古いことではなく、16世紀の始め頃です。
アンデス地方にはチブチャ文化がありましたが、金の採掘技術に優れ、
その土地の首長が、全身に金粉を塗り儀式を行う風習を持っていました。

チブチャ文化の黄金の儀式


この噂がスペイン人たちの間に広まり、話に尾ひれがついて、
アンデス山中には、すべてが黄金でできた都市があるとして流布されました。
これが第一次の黄金郷伝説です。そして、この話を聞きつけた一人が、
スペイン人のコンキスタドール(征服者)、フランシスコ・ピサロです。
ピサロの前半生はよくわかっていません。

フランシスコ・ピサロ


父は軍人で小貴族、母は召使であったとされ、まったく教育を受けず、
幼い頃は豚小屋で豚の乳を飲んで育ったという話があります。
そのため「豚飼いピサロ」なんてあだ名を持ってるんですね。
ピサロは長じて軍人となり、ペルーを探検してインカ帝国を発見しました。
そしてスペイン王カルロス1世から征服の許可をもらい、
1531年ペルー侵攻を開始しましたが、
このとき彼に従ったのは、わずか180人の傭兵と37頭の馬だけでした。

ピサロは各地に植民都市を築きつつ進軍し、ついに第13代インカ帝国皇帝、
アタワルパと対面します。このとき、ピサロに同行した神父が、
アタワルパにキリスト教への改宗を迫り、聖書を見せられたアタワルパは、
「これはなぜ話をしない」と言って聖書を床に投げ捨てました。
ちなみに、インカ帝国には文字がありませんでした。

ピサロは、この行為をキリスト教への冒涜とし、
スペイン国王に代わってインカ帝国に宣戦を布告。このとき、
わずかなスペイン人兵によって、7000人のインカ兵士が殺されたと言われます。
インカが鉄器を持っていなかったため、騎馬で、
甲冑を着込んだスペイン人を傷つけられなかったからだったようです。



ピサロはアタワルパを捕らえ、太陽の神殿に幽閉しました。
ここで第二次黄金郷伝説の幕が開きます。アタワルパは、自分を釈放してくれたら、
部屋一杯の黄金と、2杯分の銀を用意すると申し出て、
ピサロは大量の貴金属を受け取りましたが、アタワルパを生かしておいては
後々まずいと考え、疑似裁判を開いて処刑を決定します。

火炙りの刑を宣告されたアタワルパは、インカの教義で焼死者は転生できないため、
これを大変に怖れました。そこでピサロは、キリスト教に改宗すれば
判決を変えてやると持ちかけ、アタワルパは洗礼を受けた後、ガローテという
鉄の輪とネジで首を絞める処刑具で殺されます。
その死体は一部が焼かれ、キリスト教の形式で埋葬されました。

残ったインカ人たちは、奥地のビルカバンバに立てこもって抵抗を続け、
皇帝マンコ・インカ・ユパンキが、この後も36年間統治しますが、
相次ぐ伝染病の流行で人口が激減し、1572年スペイン人により、
マンコ・インカの皇子で最後の皇帝トゥパック・アマルが捕らえられて処刑され、
ここでインカ帝国は滅亡します。

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一方、ピサロですが、闘いには勝ったもののスペイン本国の支持を失い、
カルロス1世に、アタワルパを無実の罪で処刑したとして死刑を宣告され、
スペイン人同士の仲間割れによって暗殺されてしまいます。
その遺体は埋葬されず、ペルーのリマのカテドラルに、
現在もミイラとして残されているんです。

ピサロのミイラが安置された棺


さて、インカ帝国は滅びましたが、スペイン人たちは、さらにジャングルの奥地に、
インカ人が黄金を運び込んだ隠された砦があると考え、
何人もの探検家がアンデスを訪れたものの、それを見つけることはできませんでした。
その後300年間にわたってこの伝説は信じられ、18世紀後半まで、
ヨーロッパの世界地図には、エル・ドラードの名前が記されていました。
ですが実際には、インカ帝国最後の都市ビルカバンバの場所さえ、
それがどこだったのかが、わからなくなってしまっていたんです。

さてさて、エル・ドラードは19世紀になり、
ドイツ人の地理学者にして探検家、アレクサンダー・フォン・フンボルト
(ペンギンや海流にその名を残す人)によって
アンデス一帯が調査され、地図上から消し去られました。
そして、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムが1911年、
標高2300mにある空中都市マチュ・ピチュを発見。

最初、これがビルカバンバかと思われましたが、
そうではありませんでした。上記したように、インカには文字がなかったため、
この高地にある遺跡が何のためのものかは謎に包まれ、
いろいろな説が提示されています。

こうして所在が失われていたビルカバンバですが、1970年代になって、
エスピリトゥ・パンパという遺跡がビルカバンバの地であったことが、
文献の記録から立証され、日本人調査団によって
考古学的にも証明されたんですね。もちろん、マチュ・ピチュとビルカバンバ、
どちらの遺跡からも大量の黄金は発見されませんでした。

空中都市 マチュ・ピチュ







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