ヴォイニッチ手稿って何?2

2018.02.16 (Fri)
ヴォイニッチ手稿


前回の続きで、「ヴォイニッチ手稿 Voynich Manuscript」についてです。
ここでは、ヴォイニッチ手稿が世に現れた歴史をたどってみましょう。
最初の確実な所有者は、プラハの錬金術師ゲオルク・バレシュ。
彼が1693年に、修道士アタナシウス・キルヒャーにあてた書簡が、
この手稿に言及する最古の資料のようです。

バレシュの死後、手稿は友人の医学者ヤン・マレク・マルチの手に渡り、
数年後、手稿は彼の長年の友人であるキルヒャーに送られました。
手稿のカバーの中から発見された、1665年ないし1666年の、
マルチがキルヒャーにあてた書簡は、この手稿がかつてルドルフ2世に、
600ドゥカートで購入されたという逸話を紹介しています。
この書簡はヴォイニッチがこの手稿を入手したときにも付属していました。

キーになる人物が出てきました。この手稿を買ったとされるルドルフ2世です。
ルドルフ2世(1552~1612)は、神聖ローマ帝国の皇帝です。
また、彼が手稿を購入した600ドゥカートは、
現在の価値では1億円前後の高額です。

ルドルフ2世は、政治的手腕に対する評価は低いものの、教養に富み、
学問や芸術を手厚く保護しました。彼の宮廷は一種のサロンのようになり、
多くの文人、占星術師、錬金術師、画家などが出入りしていたんです。
例えば、画家のディントレット、ハンス・フォン・アーヘン、
天文学者のヨハネス・ケプラー、植物学者のド・レクリューズなどです。
当時のローマ帝国の首都であったプラハは、文化的にたいへん繁栄したんですね。

さて、ヴォイニッチ手稿の作者について、イギリスの学者、思想家である
ロジャー・ベーコン説がありますが、自分はこれはないと思います。
ロジャー・ベーコンが活躍したのは13世紀のことであり、前回書いたように、
ヴォイニッチ手稿の羊皮紙は、科学的年代測定で15世紀のものとされています。

ですから、ベーコンが直接書いたというのはありえません。
また、筆写をくり返して伝わったというのも考えにくいと思います。
特に挿絵の部分ですね。筆写であのように生き生きしたものが描けるでしょうか。
ロジャー・ベーコンは非常な博識であったため、ヴォイニッチ手稿の作者として
権威づけのために擬されただけじゃないかと考えます。

さて、では、作者は誰か?これは、前述のルドルフ2世に関連した人物、
ルドルフ2世の王宮サロンにいた人物が疑われます。ルドルフ2世に
高額で買わせるために、ヴォイニッチ手稿をでっちあげたというわけです。
ここで名前があげられるのが、錬金術師、エドワード・ケリーです。

エドワード・ケリーとジョン・ディー
名称未設定 3

エドワード・ケリーはご存知でしょうか。日本では、パラケルススほど
有名ではありませんが、16世紀頃の代表的な錬金術師の一人です。
ただし、イメージはよくありません。西洋で、錬金術師=イカサマ師という
図式ができあがったのは、ケリーのせいだとまで言われているんです。

ケリーはルドルフ2世に取り入って、たくさんの報酬を引き出し、
裕福な暮らしをしましたが、最終的に金を作り出すことはできず、
最後はルドルフ2世の怒りを買って投獄され、獄死したと考えられています。
その過程で、ヴォイニッチ手稿を捏造したというわけです。

また、ケリーの仲間の錬金術師の一人にジョン・ディーという人がいて、
これもオカルト的にはたいへん重要な人物です。どちらかというと
魔法的な研究が得意で、天使と会話することができるエノク語を創造したり、
水晶球を用いた占いの技術を開発したりして、近代の魔術界に大きな影響を
与えました。秘密結社「黄金の夜明け団」では、ディーの「エノク魔術体系」
は聖典の一つとされているんですね。

と、このあたりのことを書いていくときりがないので、少し端折ります。
エドワード・ケリーは、ライバルの錬金術師であったジョン・ディーを
かついで買い取らせるためにヴォイニッチ手稿をつくり出したという
説もあるんです。まあ、そうなのかもしれません。十分考えられると思います。

ですが、それだとあまり面白くないので、最後に新説を述べて終わりにします。
(面白説なので、あまり本気に受け取らないでください。)
ルドルフ2世のサロンの画家の一人に、ジュゼッペ・アルチンボルドがいます。
この人物はご存じの方も多いんじゃないかと思います。

果物、野菜、動植物、本などを寄せ集めた、珍奇な肖像画で知られていますが、
まともな宗教画もたくさん書いています。アルチンボルドがなぜ、
奇妙な絵を描いたのか。精神異常によるという説もありますが、
たんに才能を誇示しただけかもしれず、はっきりとわかってはいません。

これだけでなく、アルチンボルドは水力を使った仕掛けをこしらえたり、
楽器を発明したりするなど、レオナルド・ダ・ヴィンチを小型にしたような、
マルチ人間でした。これは当時の知識人としては珍しいことではなく、
もちろん、錬金術にも深い関心を持っていました。

さてさて、このジュゼッペ・アルチンボルドが、
ヴォイニッチ手稿の作者というのはどうでしょう。
年代は生没年が1526年~1593年で合います。また、書いた動機は、
もちろんルドルフ2世から金を引き出すためです。あとは絵が合うかどうか?

アルチンボルドの絵はたいへん精密で、それに対してヴォイニッチ手稿は、
軽くスラスラ書かれたような感じではありますが、どうでしょう?
ということで、下にアルチンボルドの作品をあげておきますので、
みなさん各自で比較してみていただけたらと思います。

関連記事 『ヴォイニッチ手稿って何?1』

アルチンボルドの描いたルドルフ2世の肖像画


アルチンボルドの描いた女性、版画
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