FC2ブログ

否哉と裏表

2018.02.23 (Fri)
今回はまた、妖怪談義です。取り上げるのは「否哉 いやや」。
これは、そんなに難しいところはなさそうです。詞書は、
「むかし 漢の東方朔(とうほうさく) あやしき虫をみて怪哉(かいさい)
と名づけしためしあり 今この否哉もこれにならひて名付たるなるべし」




詞書については、後ほどふれることにしまして、まずは絵を見てみましょう。
右手に水門のある川べりのようなところに、笠をかぶった女が立って、
水面に顔を映していますが、その顔は女ではなく爺さんです。
あと、近くに笹竹などが生えていますが、特に深い意味はないようです。

名前の「否哉 いやや」は「否哉 いやかな」つまり、「ああ、いやだなあ」と、
心から思うことですね。まあそれは、後ろ姿の美しい女性がいて、
声をかけてみたところ、ふり向いた顔が爺さんだったとしたら、嫌でしょう。
そういう一瞬の嫌な心持ちを妖怪化したものだと思われます。
否哉についての伝承は見つかりませんので、
妖怪研究家の多くは石燕が創作した妖怪と考えています。

後の妖怪画では、この妖怪は「いやみ」として紹介されることが多く、
「異爺味 いやみ」という漢字が当てられたりしていますが、
これはおそらく石燕の書いた「いや」(はくり返しの記号)を、
「ミ」と読み間違えたためだと思われます。

あれ、終わってしまいました。これだとあまりに短いので、
もう少しうんちくを傾けてみましょう。
「快哉 かいさい こころよきかな」という言葉がありますね。
「快哉を叫ぶ」という慣用句として使われることが多いんですが、
「大声で喜びの声を上げる」という意味です。石燕は、
おそらくこれの反対語として「否哉」という語をつくり出したと思われます。

さて、詞書に戻って、訳すと「その昔、前漢の臣、東方朔(とうほうさく)が、
不思議な虫を見つけて「怪哉 かいさい あやしいかな」
と名づけたという例がある。今、この否哉も、
これに習って名づけられたものだろう。」これくらいの意味になります。

東方朔


東方朔というのは人名で、前漢の武帝に仕えた宰相、前2世紀頃の人物です。
豪放磊落な性格で、仙人のような暮らしぶりであったとも言われ、
いろいろと不思議な逸話が多い人です。
中国の南北朝時代の殷芸(いんげい)が書いた『小説』には、
前漢の武帝が東方朔をともなって旅行に出かけた際、行く道の途中に、
頭、目、牙、耳、鼻、歯が人間のようにそろった奇妙な虫がたくさんいた。

それを見た武帝が「怪哉 あやしいかな」と言ったので、その名がつけられた。
東方朔は武帝の問いに答えて、「これは秦の時代、始皇帝が厳しい法律で
人々を縛ったので、罪を受けた者の魂が虫に変化したものと考えられます」
重ねて武帝が、「どうすればよいのか」と尋ねると、

「古来から、酒を飲めば憂いを忘れるといいます」東方朔はそう言って、
虫たちを酒の入った瓶に入れた。すると虫たちはみな、
満足した様子で散り散りにその場を去っていた。
後に、古地図を元に調べてみると、はたしてそこは、秦の時代に
牢獄があった場所であった・・・こういう故事が書かれています。

「怪哉虫」で出てきた中国の画像 カメムシでしょうか


ご存知のように、秦の始皇帝は中国全土を統一して
初めて皇帝になったわけですが、その治世は、「法家」を重用して思想基盤とし、
厳しい法律で民衆を縛りました。そのため、犯罪の少ない世にはなりましたが、
このことは、中国ではあまり評価されていません。
皇帝は徳(道徳)で世を治めるのが最上であるとされるからです。

これに対し、劉邦が築いた前漢は、前半は老荘思想、後半は儒教を国教として
国を治めたため、歴代王朝の中でも評価が高いんです。
秦が実質的に始皇帝1代で終わったのに対し、
前漢は14代、200年続いています。その最盛期の皇帝が、
前述の武帝だったんです。罰せられるから、しかたなく法律を守るというより、
自分の中の道徳にしたがって行動するのがよいのは、理想ではあります。
 
さてさて、博識の石燕は、これらの故事をすべて知っていたと思われます。
そして絵の詞書の中に、わざと東方朔の名前を出し、
後ろ姿は美しい女、表は醜い老人という裏表で、
法と徳、ということを表しているのかもしれません。
まあでも、これは自分の深読みのしすぎという可能性も高いですが。





関連記事
スポンサーサイト




トラックバックURL
http://scoby.blog.fc2.com/tb.php/1378-9f59d942
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する