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手の目と博打

2018.03.12 (Mon)
今回も妖怪談義でいきます。取り上げるのは「手の目」。
詞書はないですが、これは、そう難しくないですね。石燕の絵を見てみましょう。
ススキの野原に頭のハゲた、おそらく僧侶が立っていて、
(もしかしたら、目の不自由な座頭なのかもしれませんが)
その顔には目がありません。そのかわり、両手の平に目がついている。



江戸時代の、『百鬼夜行絵巻』によく似た絵(下図)がありますが、
これは、石燕の、手の目が入っている『画図百鬼夜行』より
100年ほど新しいものですので、こちらが石燕の絵を参考にしたのだろうと
思われます。石燕の絵は、背景にも重要な意味があります。



さて、手に目がある人物といえば、思いつくのは、
中国明代の伝奇小説『封神演義』に登場する楊任(ようにん)。
下図を見てもらえばわかりますが、両目から手が生え、
その手のひらにまた目がついた異様な姿です。これでも神像なんですね。



楊任は、殷の紂王に諫言したため、怒りを買って目をくり抜かれたんですが、
仲間の仙人によってこのような姿にされました。この像は台湾のもので、
楊任は道教の学問の神様として尊ばれています。石燕は当然、
『封神演義』は読んでいたでしょうから、参考にした可能性はあると思います。

さて、次に下図を見て下さい。花札の「坊主」です。
ススキの野原に大きな月が出ています。ススキは8月を表していて、
「坊主」は20点の役札。背景の構図が石燕の絵とよく似ています。
自分は、石燕はこの札を元にして「手の目」を描いたんじゃないかと考えます。



花札がいつの年代にできたか、はっきりとはわかりませんが、
花札の前身であるカルタ絵の中に、これがあったんだろうと思うんですね。
石燕の絵の、僧侶の坊主頭が満月にあたるわけです。
で、手の目に隠されたテーマは「博打」。

江戸時代はたいへん博打がさかんでした。もちろん江戸幕府は博打を禁止していて、
何度も禁令を出していますし、博打を訴えでた者には褒美を与えるとまでしています。
博打の主催者や場所を貸したものは流罪、客は家財没収や手鎖、
重叩きなどの刑を受けることになっていました。

博打は、勝負に負けたものが盗みや詐欺を働いて治安が悪くなりますし、
農村で博打のために土地を手放し、江戸に出てきて無宿人になるなど、
その弊害が大きく、幕府はやっきになって取り締まろうとしたんですが、
どうやっても流行を防ぐことはできなかったんですね。

その理由の一つとして、幕府の町奉行所の力がおよぶのは町家だけで、
武家は目付の管轄でしたし、寺社は寺社奉行の管理下でした。
そのため、武家屋敷や寺院などで、副業として賭場を開帳してた例は多く、
もしかしたら、石燕の絵は、そういう胴元になっている僧侶を
皮肉っている面もあるのかもしれません。

江戸時代の博打場の様子


さて、この絵には、たくさんの言葉遊びが含まれています。
まず、坊主頭は月を表していて、これは「ツキがある、ツキがない」にかかっています。
「坊主になる」という語は、「大負けして一文無しになる」という意味で使われ、
釣りで、まったく獲物がなかったことも「坊主」と言いますよね。

それから、目。「目がない」という慣用句は、
「まんじゅうに目がない」など、「とても好きだ」という意味の他に、
「物事のよしあしを識別する力がない」 「勝ち目がない」
などの場合にも使われます。「勝ち目がない」の目は、サイコロの目のことです。

それと、手もそうです。「いい手がくる」というのは、博打用語ですし、
そのものずばり「手目 てめ」というのは、
「いかさまをして自分に都合のよい目を出す」という意味です。
ですので、手に目があるこの妖怪はイカサマを表してもいるんですね。

さてさて、ということで、「手の目」は、博打に手を出して、
ツキがなくてすってんてんに負けた坊主が、今度はイカサマを覚えて賭場で
使ってみたものの、それがバレて袋叩きにあい、
半死半生でススキの生えた野原に捨てられた悲惨な姿、と読み解きます(笑)。
まず間違ってはいないでしょう。ということで、今回はこのへんで。

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