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植物に意識はある?

2018.06.05 (Tue)
エント


これは難しいテーマです。おそらく自分にはたいしたことは言えないと思います。
なぜこのテーマが難しいかというと、一番には、「意識」という言葉の定義が
はっきりしていないからでしょう。みなさんは「意識」というと
どんなことを思い浮かべられるでしょうか?

「この人は意識がある」とか「意識を失っている」とか、
今、起きていて、外界のことを感じ取ることができる状態を「意識」という
場合が多いんじゃないかと思います。でも、古来から哲学や心理学、
生物学などで言及されてきた「意識」は、もっと広範囲な内容を含んだものです。

例えば、感情や理性、知識、記憶、自我、思考、他者とのコミュニケーション・・・
こういったものをひっくるめて、意識とする場合も多いんですね。
ですから、植物に意識はあるのか?という疑問の答えは、
意識というものをどう定義するかで違ってくると思われます。

ですので、ムリに「意識」という概念にこだわらず、
「植物には何ができるか?」ということを考えていったほうがいいかもしれません。
まず、「植物は外界の環境の変化を感じ取ることができるか?」
これはできますよね。外の世界が明るいか、暗いかは植物にはわかります。

というか、光があるときには光合成をし、二酸化炭素を取り入れて酸素をつくり出す、
逆に、暗いときには呼吸をして酸素を取り入れ、二酸化炭素を放出する、
そういう生活をしている植物にとって、光を感知することは、
生存にとって何よりも重要なことです。

また、植物は、葉など体の一部分が、何かに触れたことを感知できます。
オジギソウという植物は、手で触ると葉が閉じていきますよね。
根が虫に食われているなどのこともわかります。
われわれ人間は、目や耳などの感覚器で外界の様子を感じ取りますが、
植物の感覚器はそれとは違っているだだけのことです。

オジギソウ


次に、「植物には記憶があるか?」これはあると考えたほうがいいかもしれません。
桜の木は毎年、ある気温になれば花を咲かせ、花を散らし、
新芽を吹き出させ、寒くなってくると紅葉して葉を落とします。
アメリカの科学誌に載った論文では、植物が長期記憶を
持っている可能性が指摘されています。

次、「植物は他者の攻撃から身を守ることができるか?」
これはさすがに、人間がチェンソーで伐り倒そうとするのを防げる植物はありません。
しかし、植物が細菌などに感染した場合、フィトンチッドという物質を出して、
細菌を殺そうとすることはよく知られています。ちなみに、フィトンチッドは、
人間の体にはよいとされ、森林浴の効能を紹介する際によく用いられますが、
本当にそうかどうかはわかっていません。

ハエトリグサ


次、「植物は仲間とコミュニケーションがとれるか?」
イタリア、トリノ大学の研究者によると、木は仲間の根と別種の根を区別し、
よそ者を排除することがあるそうです。また、カナダの、
ブリティッシュコロンビア大学では、フィトンチッドや電気信号を利用し、
木が同じ種類の仲間同士で危険を警告し合うことが発見されたそうです。

まだ他にも、いろんな観点があると思いますが、これくらいにしておきましょう。
人間を始めとする高等動物の多くは、脳と神経系によって上記のようなことを
行っていますが、もちろん植物に脳はありません。しかし、
それとはまた別の巧妙な仕組みで、彼らなりの生活を営んでいるわけです。

さて、一昔前に、植物に音楽を聴かせると育ちに変化があるなんて話がありました。
例えば、クラシック音楽を聴かせればきれいに育ち、ハードなロックを
流せば育ちが悪くなるとかなんとか。これについて、さまざまな論文が出ていますが、
肯定的、否定的な意見が入り混じって、結論は出ていません。

植物にロックとクラシックを聴かせて育てたとされる画像


自分的には、植物は音波、つまり空気の振動は感じ取れても、
音楽の内容を理解してるとまでは言えないんじゃないかと思います。
ただし、植物が好む、あるいは嫌う、振動の周波数があるのかもしれません。
今後の研究の進展を待ちたいところです。

さて、少し話の方向性を変えて、日本は宗教的に、古代から自然崇拝の強い国でした。
御神木といって、樹齢を重ねた大木には神性が宿るとする考え方もあります。
また、弥生時代に水稲耕作が始まってからは、穀物の霊が特別視されました。
現在でも、天皇陛下が、皇居内の水田で自ら田植えをされたりしていますよね。

これは、キリスト教以前の西洋でもそうでした。
エントというのをご存知でしょうか? トールキンの『指輪物語』に出てきた
樹木の精霊で、樹人などとも言います。ところが、キリスト教が広まるとともに、
こうしたアニミズムは一掃され、植物、あるいは牛や豚などの家畜は、
人間が自由に利用するために神様が創ったことにされてしまいました。
生物の中で、上下関係ができてしまったわけです。

屋久島の縄文杉


例えば、西洋の庭園は、植物はきっちり同じ形に刈りそろえて、
幾何学的に植え込んでいる場合が多く、それに対し、日本庭園は、
自然の景観を模して造られていますよね。このあたりにも、
考え方の違いが現れているように思います。

さてさて、だいぶ長くなってきたので、そろそろ終わりにしたいと思いますが、
ここまで読まれて、みなさんは「植物に意識があるかもしれない」
とお考えになられたでしょうか。これ、難しいですが、なかなか面白いテーマなので、
今後も書く機会があるかもしれません。では、今回はこのへんで。





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