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「野馬台詩」と足利義満

2018.08.01 (Wed)
今回はこういうお題でいきますが、複雑な内容なのでスルー推奨かもしれません。
まず「野馬台詩」について。中国、梁の国の予言者にして風狂の僧、宝誌が
書いたとされる予言の詩です。ただ、日本で作られた後世の偽作である
とする見解が多いですね。日本の平安時代から室町時代にかけて、
末世思想のような形で流行しました。

予言者、宝誌和尚 なぜ顔が割れてるかは各自検索してください


さて、まずは内容を見てみましょう。下図左がそれですが、
何のことかわからないですよね。これは暗号文になっていて、中央部の「東」の
文字から始まり、一筆書きのように読んで「空」で終わります。
(下図右)そうすると全文120字は、

「野馬台詩」の解読法
名称未設定 1

「東海姫氏国 百世代天工 右司為輔翼 衡主建元功 初興治法事 終成祭祖宗 
 本枝周天壌 君臣定始終 谷填田孫走 魚膾生羽翔 葛後干戈動 中微子孫昌 
 白龍游失水 窘急寄胡城 黄鶏代人食 黒鼠喰牛腸 丹水流盡後 天命在三公
 百王流畢竭 猿犬称英雄 星流鳥野外 鐘鼓国中喧 青丘与赤土 茫々遂為空」

こうなります。まあ、予言詩ですから、わざとあいまいにして、
意味がつかみにくいように書かれているんですが、
最初に「東海姫氏国」とあるのは日本のこと。全体として、
「日本の天皇家は100代までで終わり、世の中がひっくり返って
犬や猿のようなものを英雄と呼ぶようになる」こう読めないこともありません。

で、この予言詩を最初に解読したのは、吉備真備であるとされます。
吉備真備は奈良時代に実在した人物で、官位は正二位・右大臣まで上りました。
これは、地方豪族出身としては異例の出世で、それだけ学識が優れていたんでしょう。
遣唐使として2度入唐していますが、1回目は阿倍仲麻呂とともに唐に渡り、
2回目の帰国は難破して、僧 鑑真らと屋久島へ漂着しています。

吉備真備


12世紀末から13世紀初めにつくられたと見られる『吉備大臣入唐絵巻』
には、そのいきさつが出てきます。2度目の入唐を果たした真備ですが、
その学識の高さから唐の皇帝にスパイではないかと疑われ、
高楼に幽閉されて、3つの難題を解くことを強要されます。

第1題は、梁の時代の詩文集『文選』の注釈をすること。真備が困っていると、
赤鬼が現れて手助けをしてくれますが、この赤鬼は、
唐で客死した阿倍仲麻呂の霊だったんですね。
第2題は、中国随一の囲碁の名人と碁を打って勝つこと。

碁をまったく知らない真備は困りますが、これも鬼の手助けにより善戦するものの、
途中で一目負けてしまうことがわかります。そこで真備は相手の石を
一つ飲み込んで辛勝します。対局後、石を調べると1個足りないことが判明し、
真備は疑われてウンコを調べられますが、
鬼の力により、内臓に引っかかって出てこない。

鼻をつまんで真備のウンコを調べる唐人 『吉備大臣入唐絵巻』


最後の第3題で出てくるのが、上記の「野馬台詩」です。
その解読を命じられた真備が、夜の灯火で詩を見て呻吟していると、
一匹の蜘蛛がするすると降りてきて字の上を歩き、読み方を教えてくれます。
この蜘蛛は観音菩薩の化身であったとされています。

これにより、中国皇帝は真備の才に感嘆して重用し、真備は帰国に際して
「文選、囲碁、野馬台詩」の3つを日本に持ち帰ったわけです。
もちろん、この絵巻の内容はフィクションで、
真備の2回目の入唐の際、阿倍仲麻呂はまだ生きていたはずです。

さて、話変わって、「皇位簒奪」とは、本来その身分ではない者が、
天皇の地位を奪い取ることです。日本の歴史上において、
皇位簒奪をうかがった人物として、蘇我入鹿、弓削道鏡、平将門などがいますが、
その中には、室町幕府第3代将軍、足利義満も含まれます。

足利義満は、アニメの『一休さん』に出てくる「将軍さま」として知られ、
金閣寺を建立したことでも有名ですが、その権勢欲はたいへんに強く、
征夷大将軍として武家の頂点を極め、さらに太政大臣に任官されて、
公家としてもトップに立ちます。

足利義満


その後、義満は出家して道義と改名し、寺社勢力も支配下に収めようとします。
また、「日本国王 源道義」と名のり、明に冊封されて朝貢する形で
勘合貿易を始めますが、これは中国の支配下に入ることになるため、
不満を持つ公家勢力も多かったようです。

で、この義満ですが、「野馬台詩」の内容に関して、日本の天皇家が
100代で終わることについて、ある公卿に質問したことが知られています。
南北朝時代には天皇の代数の数え方が混乱していたので、義満の頃に
ちょうど100代目の天皇が出ると見ることもできます。

このことなどから、義満が天皇位を簒奪しようと考え、実子義嗣を天皇とし、
自らは上皇(法皇)になろうとしたという説があります。
ですが、この直前、義満は49歳で病に倒れて急死してしまうんですね。
この死には暗殺説が唱えられています。

さてさて、義満は皇位簒奪をもくろんでいたのか? その死は暗殺だったのか?
これについては、歴史家の間では否定的な意見が多いですね。
ただ、野馬台詩とからんで、日本史のたいへん面白い部分ではあります。
では、今回はこのへんで。






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