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事故物件と平賀源内

2018.09.03 (Mon)
今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリです。
もう1ヶ月以上過ぎてしまいましたが、みなさんは、土用の丑の日の
ウナギを食べられたでしょうか。この日にウナギを食べると夏バテしない
という俗信の始まりを作ったのが、平賀源内という説がありますね。

平賀源内
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ウナギ屋から頼まれて、宣伝として広めたということですが、
その真偽ははっきりしません。ただ、日本初とされる歯磨き粉のCMソングを
作ったり、餅菓子の広告コピーを作ったりしているのは、史実として
確認されています。今でいうイベント屋みたいな仕事もしていたんです。

源内には、本草学者、蘭学者、医師、戯作者、蘭画家など、さまざまな顔があり、
その多才を生かして、いろんなことにかかわって生計を立てていました。
源内は、讃岐高松藩の足軽身分の家の三男として生まれましたが、
そのままでは一生はたかが知れています。

そこで、江戸で本草学(博物学、薬草学)を学んだり、長崎に留学したりして、
学問で身を立てようと志したわけですね。当時の武士は、旗本などでも、
家を継ぐことができる長男でなければ生活はたいへんでしたので、
医者になったり、私塾を開いたりする人が多かったんです。
戯作者の十返舎一九や曲亭馬琴なども、身分の低い武家の出身です。

さて、源内がさまざまな形で活躍できたのは、もちろん本人の才気の賜物
なんですが、鉱石や植物標本などのブローカーとして、
物産博覧会をたびたび開いていたおりに、当時、老中として
権力の絶頂にあった田沼意次の知己を得たことも大きかったようです。

田沼意次
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田沼は、賄賂政治を展開した悪徳政治家としての評価もありますが、
新進の気に富んだ産業振興者としての面も持っていました。
ですから、多方面にわたる源内の才能を高く評価し、
何かにつけて便宜を図ってやったことが知られています。

ここで、話変わって、事故物件というのはご存知でしょう。
いわくつき物件、訳あり物件、心理的瑕疵物件などとも言い、当ブログでも、
何度か取り上げている、怪談には欠かせないアイテムの一つです。
ただこれ、じゃあどういうのが事故物件かというと、なかなか難しいんです。

事故物件公示サイト「大島てる」
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例えば、ある部屋があって、そこで住人が自殺した、あるいは殺人があった、
これは明らかに事故物件ですが、自然死ならどうでしょう。あるいは老衰でも、
孤独死で長く発見されず、遺体がぐずぐずに傷んでいた場合など。
あと、ベランダから飛び降りをしたのなら、
その部屋で死んだということにはならないですよね。

ということで、様々なケースが考えられるため、部屋を借りた人側の、
「そのことを知っていたら契約はしなかった」という判断が、
一つの告知の基準になっているようです。
まあでも、今は、事件・事故があったことを隠す不動産屋は少ないですし、
また、賃貸料が安くなっている立地条件のいい事故物件を、
積極的に借りようとする人も多くなってきています。

事故物件
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さて、源内ですが、その死について、はっきりしたことが伝わっていません。
1780年に52歳で死んだことになっていますが、
その事情がよくわからないんですね。一説には、ある家の普請をめぐって、
大工の棟梁2人と争いになり、源内が斬りつけて大工側に死者が出たため、
切腹したものの死にきれず、獄内で破傷風で亡くなったとされます。

ただ、他の説もあって、それでは、源内は一生妻帯しなかった男色家であり、
男色のもつれから殺人を犯してしまったということになっているんです。
で、源内は引っ越し好きで、生涯で十数回転居しているんですが、
最後に住んだ家が、幽霊が出るという評判の事故物件だったようです。

源内が借りたのは、もともとは旗本の屋敷だったのが、
その旗本が屋内で切腹死し、さらにその後を借りた検校
(盲人の最高位で、金貸しを営むことが許された)が、法規違反で追放され、
その家の娘が井戸に落ちて亡くなったといういわくつきの家で、
さらに源内が獄死したことで、江戸市中は大評判になったとされています。

エレキテル
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ただ、源内自身は、長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)を
修理して復元するなど、近代的、合理的な考えの持ち主であったため、
幽霊などの噂はまったく信じていなかったと思われます。
まあ、たまたま不幸が重なったということなんでしょうねえ。

さてさて、最後に、これほどの有名人である源内の死のいきさつが、
はっきりと伝わっていないのは、不名誉な死に方であったためなんだと思いますが、
じつは、獄中の源内を、田沼意次が助け出したという話があるんですね。
まあ、ときの老中ですから、やろうと思えばわけはないでしょう。

その後の源内は、越後三条に隠棲したとも、田沼の領地である遠州根良で
医者をやっていたとも、長崎から大陸に渡ったなどとも言われます。
もちろんどれも確証のない話ですが、源内のあふれる才能を惜しむ声が、
このような噂となったのかもしれません。では、今回はこのへんで。

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