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江戸の隠居パワー

2018.09.19 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。オカルトとはあまり関係のない内容です。
スルー推奨かもしれません。前に少し書いたんですが、
自分は最近、「江戸学」というのを勉強していまして、
その関係の本が目についたら買って読むようにしてます。

なぜこれを始めたかというと、江戸の絵師、鳥山石燕の「妖怪」を読み解くにあたって、
江戸時代全般に関する知識がどうしても必要だと気がついたからです。
で、少しずつうんちくが増えていくと、これが妖怪やオカルトを
抜きにしても面白いんですね。江戸時代には、それ以前を全部合わせた
何十倍、何百倍もの文献資料が残されているんです。

さて、「隠居」といえば、落語の長屋物で住人の八五郎や熊五郎が、
何か困ったことがあれば相談に行くのが、「裏のご隠居」です。ご隠居は、
知恵者だと思われてましたが、どこかズレたところもあって、
だんだん話がおかしくなっていくというのが、定番の筋ですよね。

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ところで、明治から戦前までの旧民法に「隠居」という公式な制度があったのを
ご存知でしょうか。これは戸主が生前に、自分の意志で家督を他の者に
譲ることで、原則として満60歳以上でしたが、
戦後になって、戸主制とともに廃止されました。

さて、江戸時代にはさまざまな文化が花開きましたが、その担い手の多くが
「ご隠居」によるものだったんですね。ご隠居には裕福な町人もいましたが、
大部分は武士身分だった人物でした。当時の武士のほとんどは、
早く隠居することが念願だったんです。

江戸時代の平均寿命は、はっきりした統計は出ませんが、30歳から40歳の間
くらいだったと考えられます。現代から見ればずいぶん短いですが、
これは乳幼児死亡率が高かったためと、定期的に疫病の流行があったこと、
結核が不治の病だったことなどのせいで、
50歳を超えてしまえば、それから長生きする人も多かったんです。

戯作者の井原西鶴は52歳で亡くなっていますが、『日本永代蔵』の中で、
「45歳くらいまでに、一生困らないだけの財産を溜め込み、
その後は面白おかしく遊び暮らすのが、理想の人生ってもんだ」みたいなことを
書いています。ただ、西鶴の場合、45歳からの時間はあまりなかったようですが。

井原西鶴
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さて、当時の幕臣あるいは藩士でも、お役目(仕事)はなかなか大変でした。
例えば「お畳奉行」という役職についていたとして、仕事はまあ畳替えのとき
しかありません。畳替えなんて、そう頻繁にやるもんではないので、
基本的にヒマでしたが、仕事がないからといって家で休んでいるわけにもいかず、
毎日ではないものの、お城に出仕して座っていなくてはなりません。

勝手にタバコを吸ったり、足を崩したりなんてできないんですね。
で、お城勤めをしてると、上役や同僚の冠婚葬祭、盆暮れのつけとどけ、
回り番で開催する慰労会など、けっこうな金と時間がかかり、
気づかいも多かったんです。しかも、大きな落ち度があれば切腹です。
なんかこれ、現代のお役所と似ている気がします。

ですので、後継ぎの心配のない武士は、とにかく早く家督を譲って隠居したいと
考えてました。俳人の松尾芭蕉は、36歳で隠居し俳諧の選者を始めました。
弟子たちには、40代でもう「芭蕉翁」 「翁 おきな」などと呼ばれてたんですが、
まあこれは、尊敬の意味もあるんでしょう。
今の40代なんて中堅バリバリですので、隔世の感があります。

葛飾北斎の「於岩」
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ただ、人間、自分が何歳まで生きて死ぬかはわからないので、
隠居前に「これで十分だ」と思えるだけの金を貯め込むのは至難でした。
ですから芭蕉のように、自分の好きなことをやって、しかも人に尊敬され、
金も入ってくるというのは、理想の隠居生活だったんです。

現代でも、「貧困老人」なんて言葉があり、週刊誌を見れば、
老後の資産運用などについての記事がたくさん出ています。
悠々自適の生活というのは、今でもなかなか難しいものです。ですから、
江戸の隠居たちは、現役時代よりもはるかに頑張って、
歴史に残る仕事をした人が多いんです。

例えば、伊能忠敬は49歳で隠居した後、千葉から江戸に出て晩学で測量を学び、
日本各地を歩いて72歳まで測量を続け、「日本全図」を完成させています。
また、浮世絵師の葛飾北斎は90歳まで生きて亡くなりましたが、
最期の言葉が、「あと5年生きられたら、真の画工になれたのに」だったそうです。

伊能忠敬
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この他、長生きした人では、読本作家の滝沢馬琴が82歳、
医師・蘭学者で『解体新書』を翻訳して名を上げた杉田玄白が85歳、
『養生訓』で有名な儒学者の貝原益軒も85歳。
益軒なんかは、今でいう健康法の元祖みたいな人ですが、
自分が書いた「腹八分目」などの訓戒を、しっかり守っていたんでしょうね。

貝原益軒
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また、彼ら隠居は、年取っても子どもの世話になることを潔しとしませんでした。
『翁草』という、200巻を超える膨大な随筆を、京都町奉行所を引退してから
書いた神沢杜口という人は、89歳まで生きましたが、
子どもたちと同居することはせず、雑踏の中でひとり暮らすのを楽しみました。
孤独死なんて怖れてはいなかったんですね。

さてさて、年金の支払いが基本65歳からとなり、その分、再雇用や、
定年延長の話が出てきています。ですが、日本人男性の健康寿命って
72歳くらいなんですね。65歳で定年して、あと7年しかありません。
自分は自由業なので まあ関係ないですが、みなさん、65歳まで働きたいですか?
このあたりのことも、江戸時代から何か学べるんじゃないかという気がします。
では、今回はこのへんで。

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コメント
 こんばんは、野崎です。

 晩年は画狂老人なんて号を使ってたくらいですから、きっと北斎は彼自身にとっては理想の人生だったんでしょう。
 まあ、あと五年長く生きたところで、それでもまだ「あと五年……」と言い遺した気がしますが。

 北斎つながりですが、杉浦日向子先生の『百日紅』での善次郎、後の英泉とのやりとりが好きでした。一応あの作品の主人公は娘の応為ですが(笑)

 では、ここらで失礼します。
野崎昭彦 | 2018.09.22 00:22 | 編集
コメントありがとうございます
北斎は臨終の際に、「あと10年・・・」と最初に言ってから
「あと5年・・・」と言い直したと言われてますね
bigbossman | 2018.09.22 02:31 | 編集
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