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玄奘三蔵の冒険

2018.10.03 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。世界史のカテゴリに入る内容です。
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、日本において、
古代中国人の中ではかなり有名な人物です。これは、孫悟空の出てくる『西遊記』が、
アニメやTVドラマになって知られている面が大きいでしょう。

玄奘三蔵
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ただし、『西遊記』は16世紀の明の時代に書かれた荒唐無稽な伝奇小説で、
実際の玄奘は7世紀、唐の時代の人ですから、900年ほどの隔たりがあります。
あと、日本では「三蔵法師」と言われることが多いですが、
三蔵というのは尊称で、そう呼ばれる僧侶は中国に何人もいます。

三蔵の称号は、「経・律(戒律)・論(理論研究)」の3つともに優れた僧侶に
対して与えれます。また玄奘は、帰国後に『大唐西域記』を書いており、
これが『西遊記』の元になったとも言われます。ですが『大唐西域記』は
旅行の記録ではなく、唐の太宗皇帝の命におうじて、
西域の国々の地理的な情報をまとめたものです。

タクラマカン砂漠
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さて、玄奘の生涯を書いていくと長くなるので端折ります。
11歳で僧になった玄奘は中国各地で修行する過程で、僧侶たちが勝手な自説を
吹聴していることを苦々しく思い、インドにある原典に回帰する必要性を痛感しました。
そこで、27歳のときに、国禁を犯して密かに出国します。役人たちの目を
逃れながら越えた灼熱のタクラマカン砂漠の旅は、かなり苦しいものだったようです。

『大唐西域記』には、「幻覚が起こり、あちこちに怪しい化け物の姿が見えた」
といった記述があります。このことが後の『西遊記』で、金角・銀角や
牛魔王などの妖怪になったのかもしれません。ここで玄奘は、一度だけ
中国に戻ろうという気持ちを起こしました。その戒めに、玄奘は「不東」の
文字を書き、これは「東せず(東に向かわない)」ということです。

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寝るときも足を東に向けませんでした。そして、現在の新疆ウイグル自治区にあった
高昌という国に入ります。ここはオアシスのほとりにある小さな都市国家で、
高昌の王は知識に優れた玄奘を歓待し、いつまでも国から出そうとしませんでした。
これは、王がインドへの旅は危険だと考えたためです。

困った玄奘は、断食をして出発することを願いました。そこで高昌の王は、
周辺の各国に使いを出し、玄奘が通ることを知らせました。
周辺地域には30ほどの小国があり、それらの国は玄奘を歓待し、しばらく滞在
しなくてはなりませんでした。インドまでの旅に3年あまりかかっていますが、
玄奘の足を止めたのは妖怪ではなく、それらの国の王たちだったんですね。

この旅の途中のことが、『今昔物語』の「震旦の部」に出てきます。
玄奘が道をたどっていると、苦しげなうめき声が道端から聞こえてきた。
見ると、全身を瘡がおおい、膿みただれた女が倒れ伏せていた。玄奘が駆け寄って
どうしたのか尋ねると、病気のために親に捨てられたと言います。            

また、この病気が治るためには、全身の膿を口で吸わなくてはならないとも。
玄奘がためらわずそれを行うと、病人の体はだんだんに光り輝いていき、
観自在菩薩の姿となり、玄奘に一巻の経典を授けました。それが「般若心経」だった、
ということになっています。ま、よくありがちな内容です。
日本の仏寺で最も多く唱えられているのが、この般若心経でしょう。

「色即是空 空即是色」の一節が有名ですが、これは「唯識論」の真髄を表したもので、
道元、法然、親鸞らも学んで、「鎌倉新仏教」の基礎となりました。
上記の逸話はもちろん事実ではないでしょうが、
玄奘の偉業が、日本の仏教界に与えた影響はとても大きいんですね。
ちなみに、「耳なし芳一」の話で、芳一の全身に書かれたのも般若心経です。

般若心経
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この後、玄奘はヒンズークシ山脈を越えてインドに入り、現地で長い修業をした末、
16年後に中国に戻ります。唐の太宗は玄奘が国禁を破ったことを許し、
年下の玄奘を師父と呼びました。玄奘が持ち帰った経典は657部、
その中にはもちろん般若心経も含まれます。
玄奘はその後の生涯を翻訳に費やし、63歳で亡くなりました。

さて、ここからは2つエピソードを紹介して終わります。玄奘の遺骨の一部が、
日本に存在するんですね。これには驚きの経緯があります。玄奘の遺骨は長安の
仏塔に葬られたんですが、黄巣の乱の時に破壊され、行方知れずになりました。
それから およそ1300年後の昭和17年、日中戦争の最中です。

南京市を占領した旧日本軍は、郊外に稲荷神社を立てるため土台を掘っていました。
すると大きな石棺が出てきて、そこには、「宋の天聖5年(1027)、
三蔵法師の頂骨が、演化大師可政によって長安から南京にもたらされた」
と書かれていたんです。おそらく盗掘を避けるため、
残っていた玄奘の頭蓋骨が、副葬品とともに南京に移されたんでしょう。

あまりのことに、戦いを中断して南京政府と旧日本軍の協議が行われ、
遺骨の一部は日本に分骨され、現在、慈恩寺、芝の増上寺、奈良の薬師寺などに
あるようです。これ、考古学的には玄奘の本物の遺骨か明言はできませんが、
自分は信憑性は高いと考えます。中国に稲荷神社をつくるときに見つかった、
というところが面白いと思いませんか。

夏目雅子さん
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さてさて、最後に、ドラマで三蔵法師を演じた俳優として夏目雅子さんが有名ですね。
夏目さんは急性白血病で、27歳で亡くなっていますが、
この原因は、ドラマ『西遊記』でシルクロードロケを行ったときに、
現中国政府がくり返し行った核実験の残存放射能を浴びたためである、と言われました。
(最初の出典は、産経新聞社「正論」2009 中国が憎くても嘘はダメですよ)

でもこれ、完全な都市伝説なんです。ドラマのパート1では中国ロケはなく、
パート2での中国ロケには、夏目さんは多忙のために参加してなかったんですね。
ただ、夏目さんは法師役のために坊主のかつらをつねにつけており、
それがその後の運命を暗示していた、なんて話もあります。
では、今回はこのへんで。

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