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日本は東海姫氏の国?

2018.11.11 (Sun)
fu (4)

今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリなんですが、
たいへん地味な話で、しかもオカルトにはほとんど関係がないので、
古代史とか、こういうのに興味がある人以外はスルー推奨です。
さて、何から話しましょうかね。

みなさんは、日本が古代において「倭国」と呼ばれていたのは
ご存知だと思います。『後漢書』の東夷伝には、
「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」と出てきます。
「西暦107年、倭国王の帥升等が奴隷160人を献上して、謁見を願った」

「帥升等」の部分は、3文字の人名なのか、それとも「帥升たち」という
意味なのかははっきりしません。倭に関しての記述はこれ以前にもありますが、
「帥升等」は、倭国の人物名が歴史書に現れる最初なんですね。
160人の奴隷という内容が本当ならば、
かなりの権力を持っていたと見るべきでしょう。

倭人
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なぜ、日本が「倭」なのかについてもわかっていません。
倭は「環 わ」のことで、環濠集落を表しているという説もありますが、
なんとも言えないですね。ただ、倭という漢字を選んだのは古代の中国人です。
倭には、「性質が従順 おとなしい 体が小さい」などの意味があるようですが、
一国の国名としては、あまりいい字とは言えないと思います。

中国には古来「中華思想」があり、中国が世界の中心であって、
その四方は蛮夷の住む場所と考えられていました。ですから、
周辺国に対して、例えば、「匈奴」とか「濊(わい)」 「鮮卑(せんぴ)」など、
卑字、つまり、あまりよい字義ではない漢字をわざと使っていたんです。

倭という名称が「日本」に変わったのは、7世紀、天武天皇の治世とみる
意見が多いですね。これについては前に書きましたが、
壬申の乱において、天智朝から天武朝に交代したのを契機に、
卑字である倭から、国号を変更したものだろうと考えています。

さて、日本を表す呼称として、この他にも「秋津島」 「扶桑国」 「大和」などと
いわれますが、その中の一つに「東海姫氏(きし)国」というのがあります。
これ、聞いたことがあるという方は多くないと思いますけど、
以前に記事にした「野馬台詩」に出てきますし、
中国でも日本でも、この語は日本の別名として通用していました。

関連記事 『野馬台詩と足利義満』

平安時代に編纂された『日本紀私記丁本』、これは『日本書紀』の内容に
ついての問答集なんですが、天皇の「なぜ日本のことを東海姫氏国と言うのか」
という質問に対し、宝誌という僧が、「日本の皇祖神が天照大御神で女性、
神功皇后などの女帝も輩出しているため、
『東海姫氏の国』と呼ばれているのでしょう」と答えます。

まあ、中国では珍しい、女帝がいた国という意味も多少はあるのかもしれませんが、
自分は、この見解は大筋では間違っていると考えてます。
じゃあどういう意味かというと、姫氏国は「姫氏がつくった国」
なんじゃないかと思うんですね。「姫」は中国にある姓です。

さて、三国時代の『魏略』逸文には、「聞其旧語自謂太伯之後」と出てきますが、
これは、「(倭人に)昔のことを尋ねると、我々は太伯の子孫であると答えた」
ということです。『普書』や『北史』の倭国の記述にも同じ内容が出てきます。
太伯というのは、紀元前11世紀ころの人物で、
周王朝の祖先である、古公亶父(ここうたんぽ)の息子です。

呉の太伯
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古公亶父には太伯・虞仲・季歴の3人の息子がいましたが、季歴の子の昌
(周の文王)が優れた子であり、産まれるときにさまざまな瑞兆があったため、
古公亶父は昌に王位を譲りたく内心は思っていました。
そこで、王の気持ちを察した太伯と虞仲の兄弟は、季歴に後をつがせるため、
自分から国を離れ、蛮夷の地へと出ていったんですね。

古公亶父は、2人の息子に帰ってくるよう迎えを出しましたが、
2人はすでに髪を切り、全身に文身(いれずみ)をしていて、
「われわれはもう、王になるにはふさわしくない」と言い、
太伯は、その地域の人々を集めて呉の国を興したと『史記』に出ています。

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この呉はもちろん、三国時代に孫権が興した国とは別物です。
また、王となった昌は、太公望呂尚を軍師に迎えて周の国を開き、
その子の武王の時代に、商(殷)を攻め滅ぼすことになります。
で、古公亶父や太伯は周王朝につながる人物ですので、名字は「姫」です。

顔面への文身
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『三国志』魏志倭人伝の「男子無大小 皆黥面文身(中略)今文身亦以厭大魚水禽」
「男子は老若みな文身をしている。それによって水に潜ったときに大魚の害を
避けることができる」・・・この記述は、倭人が、文身をした太伯の子孫であると
称していることを意識して書かれているというのがほぼ定説です。
では、倭人はほんとうに呉の太伯の子孫なんでしょうか。

太伯の子孫が大陸から海を渡ってきて、日本に入って弥生人となった?
これはなんとも言えませんが・・・遺伝子のハプロタイプというのがあります。
ここでくわしい説明はしませんが、男系のY染色体に注目してみると、
現代の日本人の一部は、中国の揚子江流域の人々が北上してきた
子孫だという可能性は否定できないんです。

さてさて、この地味な話に最後までつきあっていただいたみなさん、
どう思われたでしょうか。まあ、古代から人の移動は珍しくはありませんでした。
弥生人の前にいた縄文人だって、やはりユーラシア大陸から狩りをしながら
日本に移り住んできた人々なんですよね。では、今回はこのへんで。

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