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漢風諡号小考

2018.11.23 (Fri)
今回はこういうお題でいきます。日本史のカテゴリなんですが、
この内容は難しく、自分でもそれほど自信はありません。
さて、神武天皇はみなさんご存知だと思います。日本の初代天皇とされますが、
実在の人物かどうかには大きな議論がありました。現在では、
「実在ではなかった」あるいは「なんとも言えない」という意見が強いでしょう。

まあ、それはともかく、神武天皇が自分で「神武」と名乗っていたわけでは
ありません。『日本書紀』に書かれている諱(いみな)は、
「彦火火出見(ひこほほでみ)」で、もし実在の人物だったとすれば、
これが本名というか、自称だったのではないかと考えられます。

では、「神武」というのは何かというと、「漢風諡号 かんふうしごう」
というものなんです。簡単にいえば、後代につけられた諡(おくりな)ですね。
「漢風」とあるとおり、もともと中国の慣習であったものが、
奈良時代に日本に取り入れられました。この他に、
和風諡号というのもありますが、今回はふれません。

淡海三船
kuiii (1)

さて、本場の中国では、皇帝(または王侯)の諡号は、生前の治世・業績を評価して
つけられることになっていました。徳が高く、よく世を治めた皇帝には
よい字(美諡)を、平凡だった皇帝にはそれなりの字(平諡)、
暴政をしいて民を苦しめた皇帝には、悪い字(悪諡)がおくられたんです。

例えば、美諡としては文帝や武帝。悪諡には、幽、昏、霊などの字が
使われますが、その代表的なものに、隋の「煬帝 ようだい」があります。
悪逆非道で知られ、最期も臣下に殺されるという悲惨なものでした。
「煬 火であぶる」の字が使われたのは、本名の姓が「楊」だったためでしょうが、
それを火偏の悪字に変えられ、「帝」も「だい」という特殊な読みになりました。

隋の煬帝
kuiii (2)

さて、日本で、初代の神武天皇から第41代持統天皇までの漢風諡号を、
一括してつけたのは、奈良時代後期の文人、淡海三船だと考えられています。
この人はたいへんに学識が深く、日本最古の漢詩集、
『懐風藻』を撰集したことでも知られていますよね。

8世紀半ばに成立した『釈日本紀』に引用された「私記」に、
「初代神武以下の諡号は淡海三船が撰じ・・・」とあり、
淡海三船の朝廷での立場と、文人としての力量を考えれば、
撰考にかかわっていたのは、まず間違いのないところでしょう。
では、日本の漢風諡号には、どんな特徴があるんでしょうか。

その一つは、漢籍、中国の古典書から語句が取られていること。
もう一つ、中国のように悪い字は使ってはいませんが、それぞれの諡号には、
その天皇の生前の業績や特徴を表す深い意味があるということです。
ですから、諡号を研究することで、隠された日本史の秘密が見えてきたりもします。 
 
天智天皇
kuiii (3)

よくいわれるのは、「天智天皇」と「天武天皇」ですね。「天智」は「てんち」ではなく、
「てんぢ」と読みますが、これは「天智玉 てんぢぎょく」から来ているという
説があります。(明治時代の文豪、森鴎外の『帝諡考』での考察)
天智玉は、悪逆で知られた商(殷)の紂王(これも悪諡)が、
周に攻められて自殺するときに身につけていた、長大な宝石のことです。

つまり、天智天皇は商の紂王に例えられており、天武天皇は商を滅ぼした周の武王
ということなんですね。もちろん、天武天皇は兄の天智天皇を直接殺したわけではなく、
壬申の乱で、天智天皇の子の大友皇子から天皇位を奪い取ったんですが、
これが、商から周に変わる易姓革命になぞらえられていることになります。
自分は、この鴎外の説は正しいんじゃないかと思ってます。

継体天皇
kuiii (6)

「継体天皇」はどうでしょう。「継体」には「体制を受け継ぐ」という意味があり、
先代の武烈天皇に子どもがなかったことから、越前の国にいた応神天皇の5世孫
である継体天皇が探し出されて、天皇として推されたことになっています。
形の上で、天皇家の血筋が絶えるのを防いだので「継体」。
これについて、じつは王朝交代だったと唱える研究者もいますね。

「継体持統」という四字熟語が中国にはあり、「持統」は「系統を持する」
という意味です。天武天皇の没後、皇后であった持統天皇が、
自らその後を継いだことを表していると考えられます。
それから、前に少し出てきた「武烈天皇」と、もう一人「雄略天皇」について。
この2人の天皇は、どちらも荒々しい暴君であったと『日本書紀』に記されており、

雄略天皇
kuiii (5)

この場合の「武」「雄」は、「厳しい法制をしいて人々を裁いた」というような
意味で使われてるんじゃないかと考えます。ただ、雄略天皇は、
実在の人物とみなされる根拠がありますが、武烈天皇に関しては、
継体天皇への政治体制の移行を正当化するための、
架空の存在ではないかとする意見が多いですね。

稲荷山古墳出土鉄剣 「獲加多支鹵 (ワカタケル 雄略天皇)」の象嵌
kuiii (4)

あとはそうですね、「仲哀天皇」。『日本書紀』では、新羅国を攻めるようにとの
神のお告げにしたがわず、神は偽物ではないかとののしったため、
その祟りに触れて亡くなったことになっています。このあたりの事情が、
「哀」という字に表されているんじゃないかと思います。
仲哀天皇の後は、神功皇后が長期間にわたって世を治めることになります。

さてさて、ここまで書いてきたのは ほんの一例で、
それぞれの天皇諡号には、現代のわれわれには知られていない情報が
隠されているのは間違いないでしょう。じつは「推古天皇」について、
自分はかなり大胆な仮説を持っています。いつか書く機会があるでしょう。
では、今回はこのへんで。

関連記事 『日本書紀の中の爆弾』



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