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「大国主 縄文人説」って何?

2018.11.29 (Thu)
大国主命
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今回はこういうお題でいきます。ただしこれ、真面目な歴史の内容というより、
神話ファンタジーに近いものですので、そのつもりでお読みください。
さて、何から話していきましょうか。みなさん、大国主命はご存知でしょう。
『古事記』 『日本書紀』に登場する日本神話の神で、国津神の代表です。

神仏習合によって、大黒様とも呼ばれています。
その他にも別名がたくさんあって、大国主命を主祭する中心は出雲大社ですが、
全国各地で祀られていたことがわかります。
大国主命のやったのは国造りですね。少彦名神(スクナヒコ)という
小さな神と協力して、日本の国の土台を整えたとされます。

ところが、日本が「豊葦原中津国」と呼ばれる豊かな国になると、
空から別の神が降ってきて、大国主命に、「国を譲れ!」と迫ってきました。
天から下りたったのは、建御雷神(タケミカズチ)という神です。建御雷神は、
剣を地に突き立て、その上にあぐらをかいて座り、大国主命にどうするのか尋ねます。

大国主命は、まず自分の息子の事代主神(コトシロヌシ)に聞いてくれと言い、
建御雷神がそうすると、事代主神は「天の逆手」を打ち、
海の中に青柴垣を作って隠れてしまいます。これは、死んだということと解釈されます。
また、「天の逆手」は相手を呪うための作法なんでしょう。

諏訪神社の御柱祭 巨木を立てる縄文文化の名残とも言われる
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大国主命は、もうひとりの息子、建御名方神(タケミナカタ)にも
聞いてくれと言い、建御名方神は承知せずに、建御雷神に力比べを挑みますが、
両手を握りつぶされ、諏訪湖まで逃げていき、「ここから出ないから勘弁してくれ」
と許しを請います。これが長野県の諏訪大社ができた由来ですね。

息子2人がいなくなってしまった大国主命は、「この国を天津神に差し上げるので、
そのかわりに私の住む所として、大きな宮殿を建ててほしい」と言って、
その宮殿の中に入って隠れてしまいます。これが出雲大社のできた由来です。
ここまでの話をみると、大国主命は、自分の作った国を武力制圧されて
しまったようにとれます。天津神が国津神から国を奪い取った。

さて、ここまでに出てきた天津神と国津神ってどう違うんでしょうか。
天津神は、天照大神など高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称です。
それに対し、国津神は日本の地にもともといた神々のことを指します。
これ、日本の古代における縄文人と弥生人の関係に似ている気がしますよね。

天津神の降臨
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昔からそのことは言われていましたが、説として最初にまとめたのは、
明治時代に民俗学を創始した柳田國男です。柳田は著書の中で、
「天津神を奉ずる渡来民族(水田稲作農耕民)によって山に追われた先住民が
山人であり、山人は国津神を報じた非稲作民であった」と述べています。
これは、まだ「縄文」や「弥生」という言葉がなかった頃の話です。

さて、古神道には、「天つ罪、国つ罪」という概念があります。
国つ罪が近親相姦や獣姦を禁じているのに対して、天つ罪は、例えば、
「畔放(あぜはなち) 田に張っている水を、畔を壊して流出させること。
溝埋(みぞうめ) 田に水を引くために設けた溝を埋めること」のように、
ほとんどが水田耕作に関係した内容になっています。

このことからも、天津神=水田耕作を主にする人々=弥生人、
国津神=日本列島に元来住んでいた人々=縄文人、という見方ができると言われます。
ただ、「天つ罪、国つ罪」という概念ができたのは、
だいぶ後代になってからのことだという見解もありますね。

古代出雲神社の想像復元図
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さて、縄文人とは、「縄文時代に日本列島に居住していた人々の総称。
約1万6000年前から約300年前まで、現在の北海道から沖縄本島にかけて住み、
狩猟・採集を中心とする縄文文化を保持した」こんなところでしょうか。
これに対し弥生人は、「弥生時代に中国大陸から稲作文化を持って、
日本列島に渡来してきた人々」。

では、大国主命は縄文人だったのか? これはまあ、神話の話なので、
わからないとしか言いようがないですが、「大国主命型勾玉」という言葉があるとおり、
大国主命は勾玉と結びつけて語られることが多く、
勾玉は縄文時代を代表する遺物で、その中心的な産地の一つが出雲です。
出雲大社の境内からも勾玉が出土しています。

大国主命型勾玉(現代の製品)
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ですから、縄文時代の象徴として、大国主命をみることができなくもないでしょう。
じゃあ、縄文人は弥生人によって滅ぼされてしまったんでしょうか?
これは、かつてはそういう意見が多かったんです。弥生人によって、
北へ北へと追いやられていた縄文人がアイヌ民族になったとか。

ですが、最近は否定的な見解が多くなってきています。弥生時代の遺跡を発掘すると、
縄文文化を継承しているのが見られるケースが多いんですね。
これは、弥生文化と縄文文化が融合していったことを表すと考えられます。
また、近年は遺伝子解析技術が進歩し、新しい知見が得られるようになってきました。

縄文人と弥生人
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詳しい説明は字数がないのでできませんが、それによれば、
弥生人が縄文人を一方的に侵略していったのではなく、両者はゆるやかに
混血していったのではないか、という考え方が主流になってきています。
縄文人の遺伝的な特質を持つ現代人は、かなりの数がいるんですね。

さてさて、ということで、大国主命の国譲り神話が、
必ずしも縄文人と弥生人の対立を表しているわけではないんですが、
なんらかの史実を反映しているということも、また間違いではないでしょう。
ここまで地味な話題につき合っていただき、ありがとうございました。
では、今回はこのへんで。




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