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黒いお堂と夕方の辻の話

2018.12.31 (Mon)
これ、だいぶ昔のことなんですけど、それでもいいでしょうか。
じゃあ、話していきます。今から40年ほど前のことです。
私は京都の大学の2年生でした。あ、こんなことを言うと齢がばれてしまいますね。
その頃の友達で、仮名にしますが、直美って子がいたんです。
同じ京都市内出身で、高校の同級生だったんです。あの当時は、
まだ本格的なバブル期には入ってはいませんでしたが、かなり派手な時代だった
と思います。私も直美も学業そっちのけで、毎日遊び暮らしていたようなものです。
今から考えると、そんな時代が不幸を呼び込んだのかもしれません。
ああ、時代のせいにしてはいけないですね。私にも直美にも、
つき合ってた人がいて、直美の彼は別の大学の3年生でした。カップル同士で、
あちこちに遊びに行ったりしてたんです。

背が高くかっこいい人でした。直美本人も美人でしたから、
とてもお似合いだったんですが・・・その彼が、夏休み明けに急死したんです。
自動車の自損事故でした。休み中に免許を取って、これでどこでも自由に出かけられるぞ、
って張り切ってたんですが、家の車を持ち出して高速道路で事故を起こしたんです。
ふつうはお葬式で、棺に顔の見える窓が開いてますよね。
ですが、それもできないほど、事故の状況はひどかったみたいです。
はい、直美の悲嘆はたいへんなもので、泣いて泣いて、ずっと泣き続けてる状態でした。
それで、大学に出てこなくなっちゃったんです。直美は実家からの通いでしたから、
何度も訪れてみたんですけど、やつれた顔のお母さんが出てきて、
「誰にも会いたくないって部屋に閉じこもってるの。
 せっかく心配して来てくれたのに、ごめんね」そんな感じだったんです。

今になって考えれば、時間がいちばんの薬だったのかもしれません。
なんであんなことをしてしまったのか、ただ後悔があるばかりです。
最初に言わなかったんですが、私の父は京都のある神社で神職をしていました。
観光案内に載るような大きなところではないんですが、
副業などもせず暮らしていけたんです。ただ、人手が足りず、
母も神社のお務めを手つだうことが多く、私が小さい頃はよく連れていかれて、
境内で遊んで過ごすしたりしてました。そんな中で、出入りの業者さんから、
ある噂を聞いたことを思い出したんです。はい、こんな話です。
京都市内からやや外れたところに、小さなお堂があって、一人の老人がそこを守っている。
神社なのか、お寺なのかもわからない、真っ黒なお堂。でも、そこを訪れる人は多い。
なぜなら、亡くなった人にもう一度だけ会う方法を教えてくれるから。

もちろん、最初はそんなことありえないと思っていました。ですが、
かなりの年月の間に、同じ内容を別の3人の人が話しているのを聞いたんです。
ただ、そのお堂のことを言うときは、みな声をひそめてましたから、
実際にあるのかもしれない。でも、よくないことなんだろうなって、思ってました。
だから、父や母にも尋ねたりはしなかったんです。はい、
引きこもってる直美にそのことを知らせれば、少しは希望が持てるんじゃないかという、
浅はかな考えで。そのお堂のさがすのは大変でした。今とは違って、
インターネットなどない時代ですし、私の彼にも手伝ってもらって、
京都の外れのほうをあちこち歩きまわり、土産物店などに入って情報を集めました。
それで、場所がわかるまでに半月ほどかかったんです。田んぼの中に、
島のように小さな森になっている場所があり、その中に建っている真っ黒なお堂。

鳥居もありませんし、狛犬などもいない。その横に、つぶれかけた小屋のような建物があり、
堂守の人が住んでいるようでした。直美の家を訪ねても、やはり出てこないので、
夜の12時ころに行ってみると、2階の部屋に明かりがついていたので、
道路から窓に向かって小石を投げました。2つ3つぶつかったところで、
窓が開いて「誰?」という声が聞こえ、私は「○○、直美、出てきてよ。
 亡くなった△△君にもう一度会えるかもしれない」こう叫んだんです。
ややあって、玄関からジャージ姿で出てきた直美は、髪はぼさぼさで、
痩せて顔中吹き出物だらけでした。また引っ込んでしまいそうだったので、
急いでそのお堂の話をしたら、暗い顔がぱっと輝いたんです。その週の土曜日、
私と私の彼、直美の3人で、お堂を訪ねてみることにしたんです。
もう季節は秋に入っていました。田んぼの収穫も終わって、

刈り取った稲わらが干してある中を、3人で歩いてそのお堂に行きました。
お堂の扉は固くしまってあり、脇にある小屋の戸を叩いて声をかけると、
しばらく間があってから、「ああ、今行くが」としわがれた声が聞こえました。
出てきたのは、黒い作務衣を着た小さなおじいさんだったんですが・・・
一目見て悲鳴を上げそうになりました。片方の目がなかったんです。目がなくても、
義眼を入れたりしてるのが普通だと思いますが、そうじゃなく、黒い穴になってたんです。
まぶたもなかったのかもしれません。それと、右手が肩からありませんでした。
これは後になって気がついたんですが、左手の指も何本かなかったです。
彼が、その堂守の人に事情を話してくれました。堂守の人は黙って聞いてましたが、
こんな内容をぼそぼそと話し始めました。「亡くなった者に会うことはできるが、
 たった一度だけだぞ、しかも代償がいる」 「代償って、どういうことですか」

「自分の身体を犠牲にして、その者の姿を見ることはわずかな時間。
 けっして話しをしてはならない。それだけのことなのだが」 そのときに直美が、
「会うだけでもいいです。お願いします。どんな代償を払えばいいんですか」
すがるような声で聞き、堂守の人は、直美の姿をためすがめつ見て、
「あんたならまだ若いから、髪を切って捧げるだけでいいだろう」こう言いました。
私が、「どうして話をしてはいけないんえすか」と聞くと、
「人の魂は、和魂と荒魂からなっているが、呼び戻すことができるのは荒魂だけだ」
こういう答えが返ってきたんです。はい、私は神社の生まれなので、
意味はわかりました。荒魂は、その人の荒々しい、暗く怖ろしい面を表したものです。
堂守の人は、「本気かどうか、この人と話をするから、あんたらは帰りなさい」
強い調子でこう告げられたんです。直美が「大丈夫」と言うので、

私と彼は、直美を残して帰ったんです。その夜遅く、直美から電話がありました。
「髪を切ってお堂に捧げた。それから精進潔斎して薬草のお茶も飲んだ。
 来週の土曜日の夕方に、○○橋の辻で彼と会えるんだって。
 これからまだ準備しなきゃならないことがあるから、
 それまで連絡できないかもしれないけど、怖いところもあるから、そのときに来て」
こういう内容で、不思議な話だと思いました。○○橋は有名な観光地で、
今の時期は夕方でも人通りが多いんです。そんなところで、
亡くなった人に会えるものなのか。それと、私たちが見にいっても大丈夫なんだろうかとも。
土曜日になりました。それまで直美との連絡はつきませんでした。
夕方といっても時間幅は広いので、私と彼は4時前から○○橋のたもとで待っていました。
やはり、観光客の家族連れや、修学旅行の生徒がたくさん歩いていました。

2時間ほどたって、橋の向こうから直美が歩いてくるのが見えました。
一番お気に入りの服を着て、髪は少年に見えるほど短く切ってたんです。
私と彼は声をかけずに見ていましたが、何かあったらすぐ駈け寄れる距離でした。
直美は橋を渡り終わり、きょろきょろ人波の中を見ていましたが、
急に顔を輝かせ、歩道に駆け寄っていきました。でも、そこには誰もいなかったんです。
直美は立ち止まり、さもうれしそうに何か話し出したんです。「あっ?」と思いました。
話すことは、禁じられているはずだから・・・それからすぐ、直美はゆっくりと
うずくまるようにして倒れたんです。私と彼が駆け寄ると、顔を涙でびしょびしょにして、
意識がなかったんです。近くの店から救急車を呼び、直美の実家にも連絡しました。
病院でもなかなか意識は戻らなかったんですが、検査で脳などの異常はありませんでした。
直美の両親が病院に着いて1時間くらいして、直美は気がついたんですが、

私の顔を見るなり、ベッド脇にあるものを投げつけてきて「出ていって!出ていけ!」
って叫んだんです。・・・ここから先のことは話したくはないんですが、
話さないといけませんよね。直美は、前よりもひどく引きこもってしまったんです。
お母さんから連絡があり、「あなたのことをとても恨んでるみたいだから、
 見舞いにはこないで。どういうことか何も話してくれないの、ごめんね」ということでした。
それからまた1週間が過ぎ、夜遅く、家の電話が鳴って、出てみると直美でした。
私が「どうしてるの今、大丈夫?」と聞くと、しばらく沈黙があり、
「彼と話した・・・彼は、私よりあんたとつき合ったほうがよかったって言ってた・・・」
こう、暗い、暗い、地獄の底から響くような声が聞こえて、そこで電話は切れたんです。
「ちょっと待って、直美、直美!?」 その翌日の夕方、直美がまたあの橋の辻で倒れた
という話を聞きました。前と違ったのは、片方の目を自分でくり抜いていたことです。


 



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