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天命思想と万世一系

2019.01.09 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。あんまり面白い内容にはなりそうもないので、
スルーされたほうがいいかもしれません。さて、「天命思想」というと、
中国4000年と言われる歴史をつらぬく概念です。
一方、「万世一系」は日本の天皇家の話ですよね。

傾城の美女「褒姒」
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まず、天命思想のほうから説明していきます。中国の根本的な宗教は「祭天」、
天を祭ることです。天には「天帝」がいます。じゃあ天帝って何かというと、
これが難しいんですね。というのは、道教の最高神が天帝とされるのが普通ですが、
時代によって異なるんですよね。古い時代は「元始天尊」が天帝とみられて
いましたが、後代には「玉皇大帝」に変わっています。

これ以外にも、天帝とされる神はいます。イスラム教だと、唯一神アッラーは、
絵や彫刻で描いてはならないと戒律で定められていますが、
中国の天帝も、基本的に絵で表すことはしません。
天帝というのは、頭上に果てしなく広がる天空そのものだからです。

天帝は、人界に住む人間の一人ひとりに対して「天命」を授けます。
その人間が、一生をかけてやり遂げなければならない命令のことです。
例えば、農夫として一生畑を耕すというのも天命です。また、
天帝は徳の高い人間を選び、地上の支配者である皇帝としての天命を下します。
中国の皇帝を「天子」と言いますが、天帝の子という意味なんです。

この思想は古く、殷周時代から見られます。皇帝となるべき人間は、
戦いでも連戦連勝、また、危機に陥っても、からくもそれを脱することができます。
「天は我に味方している」ということですね。そして、中国を統一した場合、
その人物は、泰山で「封禅の儀」を行い、天地に皇帝となったことを報告します。

あと、天命は必ずしも、中国の多数派の漢民族にだけ下るわけではありません。
元は、モンゴル民族のチンギス・ハーンが建てた国ですし、
清は、満洲(女真)族の愛新覚羅(アイシンギョロ)の征服王朝です。
ですが、彼らにも中原を支配すべく天命が下ったと解釈されます。
元も清も、中国の正式な歴代王朝の一つなんですね。

清の初代皇帝「ヌルハチ」
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また、天命はその皇帝の子孫にも受け継がれますが、いつまでも続くわけでは
ありません。もし、徳の低い皇帝が出た場合、天命は失われてしまいます。
これを「天人相関説」と言います。天子が善政を敷いていれば、
瑞祥(オーロラのようなもの)や瑞獣(鳳凰や麒麟)が世に現れますし、

瑞獣「麒麟」
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悪政の場合、地震や水害、彗星出現などの天変地異が起きるとされました。
そこで、各時代の中国の天子は「徳政」を行うように努めました。具体的には、
貧困者の救済や、罪人の恩赦などです。日本でももうすぐ天皇位が交代しますが、
このときに恩赦があるかもしれません。

徳政は後代になって、「徳政令」として、借金の帳消しという意味で
使われるようになります。また、皇帝の子孫が徳の高い人物ではなかった場合、
「禅譲」が行なわれるのが理想とされました。
皇帝の地位を、血縁者でない有徳の人物に譲ることですね。
ただ、実際に禅譲が行われた例は、長い中国史の中でも希少です。

では、禅譲が行われず、品性の低い人物が皇帝となったらどうなるかというと、
「易姓革命」が起きるんです。天命が別の姓を持つ人物に下り、
その人物が前王朝を滅ぼして新たな皇帝になります。
例えば、後漢の「劉」氏から、魏の「曹」氏に皇帝の姓が変わるわけです。

魏の「曹操」


あと、これは天命思想と直接の関係はないのかもしれませんが、
易姓革命が起きる原因が、女性であることが多いんです。
夏王朝では末喜、殷(商)王朝では妲己、周王朝では褒姒と、それぞれ、
美女の色香に惑わされて政治が乱れたため、易姓革命が起きることになったんです。
「亡国の美女、傾城(けいせい)の美女」などと言いますよね。

さて、これに対し、日本の天皇家の場合は、建前として「万世一系」ということに
なっています。高天原の天津神の子孫である天皇家が、途切れずにずっと続いてきた。
まあ、実際には王朝交代はあったのかもしれませんが、
そのあたり、『日本書紀』はうまく取り繕っています。

日本は、中国の「易姓革命」思想を受け入れなかったんです。
そのため、鎌倉・室町・江戸と、武士が幕府を開く時代になっても、
天皇家は細々と続いてきました。異論もあるでしょうが、
この体制は日本の優れた知恵だったと、自分は考えています。

これは宋の時代の話ですが、宋に渡った東大寺の僧、奝然(ちょうねん)は、
二代太宗皇帝に謁見し、筆談で、日本では歴史上、一系の天皇が続いており、
臣下も代々世襲であることを伝えると、太宗は日本に易姓革命がないのに驚いて、
「これ朕の心なり」と嘆息したという話が残っています。

宋の「太宗」
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さてさて、ぶっちゃけた話をすれば、中国の易姓革命は、力で政権を奪い取った者の
後づけの論理と見ることもできます。現在の中国の皇帝である習近平氏も、
政敵を粛清しながら現在の地位までのし上がってきました。
そういう意味では、中国の伝統にのっとった指導者なわけです(笑)。

日本ではもうすぐ、天皇陛下の生前譲位が平和裏に行われます。
このあたり、中国と日本の歴史の違いの重さを感じずにはいられませんね。
みなさんは、どうお思いになるでしょうか。
では、今回はこのへんで。

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