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へれいたの檻の話

2019.01.30 (Wed)
※ 長くなってしまいましたが、そのわりに面白くないので、
スルー推奨かもしれません。

今晩は。今日は本当によろしくお願いすます。
では、話を始めさせていただきます。私は、この4月、
郡部の小さな小学校でしたけれども、校長にさせていただいて退職したんです。
はい、再雇用のお話は教育委員会のほうからありましたが、
考えた末、お断りさせていただきました。10年前に夫を病気で亡くし、
自由な一人身ですし、子どもたちもそれぞれ独立して家庭をもっておりまして。
些少ながら蓄えもありますので、ゆっくりと自分の時間を
持ちたかったというのが本音でした。はい、趣味として、長年続けてきた生花を
本格的に始めたいという気もあったんです。それで・・・
学校を辞めましたら、夜になると、いろいろな出来事が、
次々と頭に浮かんでくるんですね。

これは、仕事を退職された方はみなさんそうなのでしょうか。
私が大学を卒業し、採用されてすぐに勤めた学校のこととか、もう、
40年近くも昔なのですが、つい昨日あったことのように思い出されて。
よく、思い出は美しいなどと言いますよね。
これは、記憶が美化されているという意味なのかもしれませんが、
私の場合、失敗してしまったことや、もっていた子どもたちに対して
辛くあたってしまったことなども、まざまざと思い浮かんでくるんです。
ああ、あのとき、あんな対応をしなければよかった、
あの子にはたいへんに申しわけないことをした、そんな場面ばかりが。
まあそれでも、私が出会ったたくさんの子どもたちは、
私にとっては大きな財産です。今でも、年賀状を送ってくれる子はたくさんいますし、

結婚式に呼んでくれた子も大勢おります。ですから、学年主任などになって、
学級担任を離れたときは、ほんとうに寂しい思いをしたものです。
ああ、すみません、年寄りの思い出話みたいになってしまいました。
話を戻しまして、こちらにおじゃまさせていただいたのは、
私の教師としてのキャリアの中で、どうしてもわからない、
不可解な記憶があるからです。こちらは、そういうことを専門に研究しておられる方の
集まりとお聞きしましたので、ぜひとも、解釈していただきたいんです。
あれは、私が採用されて、3校目の学校に赴任したときのことです。
齢は32歳で、もう結婚しておりました。そこは小さな学校で、
全校生徒は100人足らず、かろうじて複式学級はありませんでした。
私が担任になったのは4年生で、児童は13人だったはずです。

学級担任6人の他には、校長、教頭と養護の先生がいるだけで、
もしお休みする先生がいれば、教頭先生が代わりに授業を持ってくださっていました。
私としては、のんびりできていいなと思っておりましたが、
そうではなかったんです。というのは、男子児童の中に一人、
たいへんな問題児がおりまして。いえ、暴れたりするわけではありません。
子どもなのにすごく陰湿というか、冷酷というか、
自分が表に出す、配下の子どもを使っていろいろ悪さをするんです。
はい、そういう少人数の学校というのは、幼い頃からクラス替えもなく、
子どもたちの人間関係が固定されておりまして、いじめられっ子は変わるきっかけがなく、
ずっといじめられっ子のままなのです。その子がどんな悪さをしたかというと、
例えば、給食のワゴンが廊下に置かれてありますよね。

それを給食当番が押して運んでくるわけですが、そのときに、
ついていたゼリーなどを配下の子に取らせて、どこかに隠してしまうんです。
そうすると数が足りなくなりますよね。どれだけ探しても見つからない。
しかたなく給食室に話をします。ですが、少人数なので給食室で間違えるとも思えません。
そんなことが何度もあって、1度、全部の子の机やランドセルの中を調べたりも
したんです。でも、どこにも見つからず・・・ずっと後になって、
校内のべつの場所に隠してあったことが判明したんですが。
その持ち物を調べたときから、その子、Yくんとしておきますが、
私に対して直接、反抗的な態度を取るようになったんです。呼ばれても返事をしない、
授業で指名しても立つことすらしない。体育の時間など、マット運動なのに、
勝手にボールを持ち出して蹴り始める・・・

いろいろ心を解きほぐそうとは努めたんですよ。ですが、一言の会話もしてくれません。
もちろん、校長先生や教頭先生にも相談しました。そうしたら、
あの子は入学して以来ずっとああで、この学校の子どもたちはみんな
強い影響力を受けている。あなたが厳しく指導すればするほど、
他の子どもたちが被害を受けてしまう。あたりさわりのないようにやり過ごしてくれないか、
もうあと2年で卒業なのだし・・・こんな話をされたんです。
今なら考えられない対応ですよね。ですが、校長もYくんに厳しい対応ができないのは、
Yくんの親が町の有力者であったせいもあったんです。代々の町長を出している
昔からの家柄で、父親は政治はやっておりませんでしたが、町で一つだけの
建設会社の社長で、そこに勤めている学校の父兄も多かったんです。
それで、学校で何かあれば親が乗り込んできて、

悪いのは学校の指導のほうだと大声で騒ぎ立て、Yくんのことは徹底的にかばう。
そういうことが入学以来続いて、校長先生もほとほと困ってたんですね。
それと、Yくんは学校外でも、他の子を使って万引きをしたり、
自動販売機を壊したりしていたようなんですが、それもすべて、
父親がもみ消していたんです。そういうお話を聞いて、私もYくんを指導することは
あきらめ、大過なくやり過ごそう、そう考えるようになりました。
お恥ずかしい話で、教師失格ですよね。その年、8月になって、
私、最初の子を妊娠しているのがわかりました。そのため、5年生の子たちが
6年に進級したときには、担任になることはなくなったんです。
ほっとした気持ちでしたが、事件が起きたんです。
ただ、例によって、表沙汰にはなりませんでした。

はい、Yくんが、中学1年生の女子生徒に乱暴したという噂です。
町の中学校は、その小学校とは少し離れたところにあり、夕方に人気のない通学路で
待ちぶせていて・・・ですが、噂なので本当かどうかはわかりません。
もしそれが本当だとしても、乱暴がどの程度のことなのかも。
警察から小学校に話は来ませんでしたし、Yくんも普通に登校してきていました。
私ももちろん、そのことには触れませんでしたし、ひたすらYくんの
わがままを我慢することしか考えていませんでした。
・・・それで、9月に、学年ごとの遠足があったんです。6年生は1泊の修学旅行、
それ以外の学年は、県内のさまざまな場所に行くことになってたんですが、
急に教頭先生から話があって、5年生の旅行先が変更になったんです。
近くの市の水族館にバスで行くことになっていたのが、

町の外れの山裾にあるお寺に歩いていくことになったんです。
当然、Yくんをはじめ子どもたちは文句たらたらでしたが、
校長、教頭先生が表に出て、子どもたちをおさえてくれました。
保護者からの苦情はなかったです。遠足当日、Yくんは意外にも機嫌がよかったんです。
リュックの中に、はちきれんばかりにお菓子類が詰まっていたせいだと思います。
それと、このときの遠足の引率には、私の他に、教頭先生、それから、
水際さんという、20歳代に見える女性がついてきてくださることになりました。
はい、公立小学校の遠足に、職員以外がついていくことはまずないんですが、
水際さんは、訪問する先のお寺の関係者だということでした。
歩きの遠足でしたので、子どもたちは列をつくって行ったんですが、
Yくんと仲間たちは、勝手に列から外れてぶらぶら歩いていました。

教頭先生も注意はしませんでした。小1時間かけてお寺につき、
みんなでお参りをしました。まだ昼食には間があったので、
お寺の横手にある草地で学級レクリエーションをする計画でした。でも、Yくんたちは
それに参加せず、自分たちが持ってきたボールで遊んでいました。
私はいつものように、そんなYくんたちにつきっきりでしたが、
そこへ、ずっと子どもたちとは話をしなかった水際さんがやってきて、
「お寺の裏に、猿をたくさん飼っているところがあるから見にいかない」って誘ったんです。
「おっ、猿か、面白そうだ」Yくんはそう言い、水際さんについていきました。
私も、他の子らを教頭先生にお願いして、後を追っていきました。
ササ藪のようなところをずっと取りぬけ、お寺の裏側の屋根が見える背の高い草の中に、
教室一つぶんほどの、かなり大きな檻がありました。

檻の柵の上のほうに「へれいた」と書いた板が貼られていて、Yくんが水際さんに、
「へれいたって何だ?」と聞くと、「猿の種類の名前なの」という答えでした。
檻の中には何もいないように見えたんですが、水際さんが指笛を鋭く鳴らすと、
高く積まれていた藁束の後ろから、奇妙な生き物が数匹出てきたんです。
大きさは幼児くらい。全身に毛が生えてましたが、皮膚病なのか、栄養状態が悪いのか、
ところどころ禿げていて、どれも大きくお腹がふくらんでいたんです。
それとその顔、猿には見えませんでした。人間の子どもの髪をそり、
顔を万力にかけて押しつぶし、さらにところどころ白い粉をかけたような姿で、
顔中が膿のような液体で濡れていました。「おお、気味悪りいな」
Yくんは嬉しそうな声を上げ、ポケットからスナック菓子を出して、
檻の間からぱらぱらとへれいたに投げ与えました。

すると、へれいたたちはすぐに反応し、他を押しのけて、菓子に群がり、
貪るよいうに食べ始めたんです。Yくんはおかしくてたまらないというように笑い、
さらに菓子を投げ与え、へれいたは折り重なるようになって食いつきました。
Yくんは、今度は菓子の袋に手をつっ込み、投げるふりをしました。
その動きを見ていたへれいたたちの顔に怒りの表情が浮き出て、
檻に跳びつき、鉄棒をつかんで、Yくんに向かってギーギーと鳴き始めました。
Yくんは少しおびえたような顔になりましたが、
「もう菓子はねえよ」そう言った途端、へれいたの中の一匹が、
Yくんに向かって、緑色のどろどろしたものを吐きかけたんです。
「うああっ!」そう叫んでYくんはうずくまり、何ともいえないすごい臭いがしました。
水際さんは、「あらあら」と落ち着いた声で言い、

「先生は、他の男の子たちをみんなのところに戻してください。
 私はこの子を、お寺の手水でお清めしますから」粘液まみれでへたり込んでいる
Yくんの腕をとって立たせ、お寺のほうへと連れていったんです。
それから、Yくんが戻らないうちに昼になったので、他の子たちにお弁当を食べさせました。
その終わり頃、水際さんとYくんが戻ってきました。Yくんは白いシャツに着替えさせられ、
髪も濡れていました。Yくんは元気がなく、リュックを前に座り込んで、
お弁当は食べず、もってきたお菓子もすべて、他の子に与えてしまいました。
これで、その日の遠足での出来事は終わりです。
翌日から、Yくんは信じられないほどおとなしくなったんです。というか、
病気のようにも思えました。ずっと自分の席に座りこんだまま、休み時間になっても
トイレにも行かず、一言も口を聞きませんでした。

そして、給食の時間になると、ワゴンが来ただけでゲーゲーと声を出して吐き、
教室から逃げ出してしまうんです。はい、いっさい何も口にできませんでした。
そんなことが半月ほど続き、とうとうYくんは学校に出てこなくなりました。
親が、大きな病院に連れて行ったようです。それからまた半月ほどして、
Yくんが行方不明になったんです。家に外にふらりと出てそれっきり。
ニュースにもなりましたし、警察、消防の大規模な捜索が何日も続き、
しまいには自衛隊も出たんですが、結局見つからなかったんです。
今も行方不明のままなんです。・・・これで、だいたいの話は終わりです。
こうい言ってはなんですが、Yくんがいなくなったことで学級は平和になり、
私は翌年度に産休、育休を取り、それが終わった年にその学校を離れました。
・・・Yくんがどこに消えたのかはわかりませんが、

あの遠足のときのことと関係があるような気がするんです。
じつは、産休中に時間を見つけて、そこのお寺に車で行ってみたんです。
ですが、裏に回っても、へれいたの檻はなく、檻があった痕跡も見つかりませんでした。
これ、どういうことなのでしょうか。私の長い教員生活で、
最も気になる思い出であり、悔いが残る出来事なんです。この怪談ルームの方々なら、
何かおわかりのことがあるかと思って、今晩、お訪ねしたんですよ。

餓鬼(梵語Preta )





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