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始皇帝暗殺と2本の剣

2019.04.23 (Tue)
アーカイブ87

今回も剣のお話です。日本の草薙剣、英国のエクスカリバーときたので、
中国の話題にしますね。さて、司馬遷の史書『史記』の「刺客列伝」に、
「荊軻 けいか」という人物が出てきて、秦の始皇帝の暗殺を企てたことで有名です。
この部分に出てくる2本の剣について、少しオカルトをまじえて書いていきます。



紀元前3世紀、燕の国の太子は、日に日に強大になっていく秦をたいへんに恐れ、
また、面会した際に、後に始皇帝となる政に冷たくあしらわれたことから、
政の暗殺を決意します。そこで、刺客として選ばれたのが、燕の食客になっていた
荊軻(けいか)です。荊軻は、酔って騒ぐ様子が「傍若無人」
という故事成語の元になった遊侠ですが、冷徹な一面も持ち合わせており、
それを見込んで、刺客として白羽の矢が立ったんですね。

荊軻は、政を暗殺しても、自分が生きては帰れないことを知っていましたが、
これを快諾し、準備を始めます。まず、秦の国に行って用心深い政に会うためには、
燕の国土中でも肥沃な土地を献上すること。それと、政に諫言したため、
怒りを買って一族を処刑され、燕に逃げてきていた樊於期(はん おき)の首を、
手土産として持っていくことを考えました。

この計画を樊於期に説くと、樊は笑って「そうしてくれ」と言い、
自分の首を自分で刎ねます。次に、荊軻は武器を探しました。
そして百金を払って手に入れたのが、「徐夫人の匕首 じょふじんのあいくち」です。
ここで、一本目の剣が出てきました。

日本で匕首というと、鍔のない短刀のことですが、
中国では、手の内に隠して使うことができる暗器(暗殺用の短剣)を指します。
中国語で画像検索してみたところ、下図のようなもののようです。
刃の中央に、おそらく毒を仕込むための溝が彫られてますね。
「徐夫人」というのは男性の氏名、あるいは「徐工人」の誤記とも考えられています。

徐夫人匕首


荊軻は、この匕首に毒をもちいて焼入れをし、死刑囚で試してみると、
少しでも剣の刃に触れたものはみな死にました。こうして準備の整った荊軻は、
燕の国を出発しますが、そのときに詠んだのが、有名な、
風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還  風 蕭々(しょうしょう)として易水寒し
壮士 ひとたび去って 復(ま)た還(かえ)らず」の詩ですね。

さて、秦の国に着いた荊軻は、計画どおり政への面会の約束を取りつけます。
そして、宮廷で壇上に政を仰ぎ見る形で平伏し、まず樊於期の首を見せて信用させます。
さらに、巻物にしていた献上する土地の地図を広げながら、中に巻き込んであった
徐夫人の匕首をつかみ、政の袖を引っぱって突き刺そうとしますが、
袖がちぎれてしまい、政は危機一髪 逃げのびます。

荊軻は壇上に登って政を追いかけ回しますが、宮廷の臣たちは、誰も荊軻を
止めることができませんでした。秦の法律では、剣を持って壇上に上がった者は
必ず死刑になる決まりがあったからです。政は柱をはさんで荊軻の襲撃をかわしながら、
自分の長剣を抜こうとしますが、気持ちがあせってなかなか抜けない。

すると、臣下の一人が、「陛下、剣を背中に背負って お抜きなさい!」と助言し、
やっと剣を抜いた政に対し、荊軻は匕首を投げつけるものの柱にあたって外れ、
政は荊軻をずたずたに切り裂きます。こうして、荊軻は目的を果たせず死に、
激怒した政は、後に燕の国を完全に攻め滅ぼすことになります。

始皇帝と荊軻


さて、ここからはオカルトです。政が持っていた長剣の名前は知られていませんが、
20世紀になって発見された兵馬俑坑から、何本もの銅剣が出土しています。
秦の後、漢の時代以降のものは、どれも緑青でボロボロになっているのに対し、
これらは、不思議なことに、まったく錆が見られないんですね。(下図)

兵馬俑坑出土 銅剣


そこで、中国科学院で分析してみると、なんと表面にクロムメッキが施されていて、
そのため、2千数百年たっても錆つかないことが判明しました、
クロムメッキの技法は、西洋では1930年代のドイツでやっと完成したもので、
これはオーパーツと言えるものだったんですね。

ここから、政が始皇帝に即位するため、泰山で封禅(ほうぜん)の儀式を行ったとき、
宇宙人が接触してきて超技術を授けた、などと言う人もいます。
これ、オカルト話としては面白いですが、実際には、古代から中国で受け継がれてきた
技術が、漢の時代以降は失われてしまったということなんでしょう。

中国では、「越王勾践剣 えつおうこうせんけん」という、およそ2500年前の剣が
出土しており、これも銅剣の表面に、硫黄とクロムの被膜が張られていて、
やはり少しの錆も見られません。ターコイズと青水晶とブラックダイヤモンドで
象嵌された見事なもので、春秋時代の越国の王、「臥薪嘗胆」の故事で有名な
勾践が自ら鍛えたものとされ、中国の国宝になっています。(下図)

越王勾践剣


さてさて、荊軻が使った、始皇帝に届かなかった毒を仕込んだ短い匕首と、
始皇帝がなかなか抜けなかった長剣と。文字どおり、武器としては
どちらも一長一短があったようです。『史記』中の屈指の名場面では、
この長短2本の剣が強い印象を残していますね。
それにしても、このとき、もし荊軻が暗殺に成功していれば、中国の歴史は、
大きく塗り替えられていたことでしょう。では、今回はこのへんで。




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