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百二十の話

2019.04.30 (Tue)
あ、どうぞよろしくお願いします。医師の山根と申します。
ある老人介護施設で施設医を務めさせていただいてます。
じつは、これから語らせていただくのは、私自身の体験ではなく、
その施設の入居者の男性の方が話してくださった内容です。
はい、たいへん困惑する事態が生じておりまして、ある筋から、
ここにおられる方々なら、何かよい解決法をご存知ではないかと
うかがって、こうしてお訪ねしたわけです。
その方は1926年生まれですから、今年で93歳になられます。
はい、たいへんご長寿なのですが、現在は病気にかかっておられまして。
これからする話は、そのことともおおいに関係があるんです。
では、話していきますが、なにぶん伝聞ですので、

事実関係の間違いやつじつまが合わないところがあるやもしれません。
そのことはご承知おきください。その方、仮にUさんとさせていただきます。
東北の某地の生まれで、現在はひじょうに過疎が進んでいる地域です。
Uさんが尋常小学校5年生のときのことだそうです。
当時はどこの家も兄弟が多く、農繁期には家の手伝いで学校を休むことも
普通に認められていたそうです。まだ戦争前のことですので、
食糧事情はそう悪くはなかったのですが、田舎のこととて、
子どもの遊ぶようなものもほとんどなく、学校がおわったら、
もっぱら山野をかけまわるのが日課となっていたそうです。
そんなある日、Uさんと同じ5年生が2人、一つ上の6年生が2人、
ある神社の境内に集まっておりました。

その神社は山すそにある寂れたお社で、村で盛大なお祭りを行う
地域の氏神神社と、集落を間にはさんで向かい合うようにして
建っていたということです。神主は常駐ではなく、
年に数度の祭礼のとき以外は姿を見せず、一般の参拝客もまず見かける
ことはなかったそうです。はい、正式な名称はわかりませんが、
地元では「みくくり様」と呼ばれていたとか。
いや、字についてもわからないですね。そのときは、6年生のうちの一人、
Oが遊びのリーダーでした。初めは小学校の近くで兵隊ごっこなどを
していたのが、それに飽きてきたとき、Oが急に思い出したように
みくくり様に行こう、と言い出したということです。
Oは、「俺な、みくくり様のことで、うちのじいさんに面白い話を聞いた」

そう言って走り出し、みながそれについて境内まで来ました。
ああ、言い忘れておりましたが、季節は稲の収穫が終わった時分で、
神社の周囲の木々が赤や黄色に見事に色づいていたことを
覚えているそうです。鳥居の前まで来るとOはみなを止め、
「ここでな、あめのさかてというのを打ってから、後ろを向いた状態で
 鳥居をくぐるんだと」そう言いました。もう一人の6年生が、
「あめのさかて? そうれどうするんだ」と聞き、Oは、
「こうやるらしい」と、粗末な木の鳥居に背を向け、両手を背中に回して
パンパンと4回、柏手を打ったそうです。「なんでこんなふうにする?」
「よく知らんが、特別な作法らしい」そこでみなも真似をして、
手を打ってから後ろ向きに参道に入りました。

「こら、筋がつりそうじゃ」5年生の一人がそう言い、短い参道を
社殿の前まで駆けました。扉は閉まっており、賽銭箱も出てなかったそうです。
そこでOは鈴を鳴らし、また背を向けてあめのさかてを打ったので、
みなも続きました。「これでな、神様は尋常のお参りでないことがわかる、
 じいちゃんはそう言っておったぞ」 「じゃあ何のお参り?」
「それが、こうすれば将来のことを神様が教えてくれるそうだ」
「将来?」 「ああ、何の仕事につくかとか、徴兵に合格するかとか」
「仕事ったって、俺らみんな田んぼづくりするしかないだろ」
「まあそうだけど、寿命も神様が教えてくれるらしい」
「寿命って何か?」 「いつ、何歳で死ぬかってことだろ」
「おお、そら怖いわ、俺、聞きたくない」 

「必ずわかるとも限らんそうだ」 「で、この後どうするん?」
「こっちこいや」Oに連れられて神社の横手に回ると、
神社の高床の下の土が掘られてるとこがあったそうです。「これな、前に
 何人もが通った跡だ。ここをくぐって向こう側に出る。
 でな、神社のちょうど中央にあたる場所に、石の柱のようなもんが
 立ってるらしい」 「石の柱?」 「そう聞いた。でな、中は陽が射さんで
 暗いが、その柱を手探りで抱きかかえると、将来のことが頭に
 思い浮かんでくるらしい」 「おお、面白そうだ。やろうぜ」
「俺はちょっと怖いな」5年生の一人が言いました。
そのとき、Uさんも少し怖いと思ったそうです。「何が怖い、たかが
 四間四方の神社だぞ。出てくるまでちょっともかからん。まず俺がやるから」

Oはそう言って、みなのほうを見て笑うと、頭をかがめて床下に
入っていきました。いくら子どもで高床でも、這うような姿勢になったそうです。
そのままずんずんOは中に入っていき、ややあって、神社の後ろを回って、
体をくもの巣だらけにして戻ってきました。「どうだった?」
「いや、柱はあった。で、抱きついたら温かい気がしたな」
「将来は見えたか?」 「うーん、それがな、見えたというわけではないが、
 頭の中が真っ赤になった」 「真っ赤」 「そうだ」
こう要領を得ない答えが返ってきたそうです。それから、6年生、Uさん、
もう一人の5年生の順に入っていきました。Uさんが中に進んでいくと
暗さが増し、さらに這うと、たしかにざらざらした手触りの
柱に行きあたったそうです。子どもでも抱えられるので、そう太いものでは

ないんでしょう。Uさんが手を回すと、ドキンドキンと心臓が打つような
感覚があり、それは自分の心臓なのか、それとも石が脈動してるのか、
どっちかわからなかったそうです。すぐに頭の中で何かが弾けるように
思え、真っ赤なものが広がっている、そういう感じが
したということでした。みなが終わって集まると、Oが、
「はっきりしたことは何もわからんかったな。ツマラン」と言いました。
「戻ろうか」みなで参道を下っていると、そのとき急に、
風はなかったはずなのに、神社のまわりを囲んでいる杜の、
紅葉した木々がザザザザと音をたてて動いたそうです。
「何だ?」 「わからんが」 でも、それはすぐおさまりました。
鳥居を出たとき、6年生が「ああっ」と叫びました。

「O、お前な、額に赤い字が出とる。数が書いてあるぞ」Uさんも見たそうです。
漢数字の真っ赤な字で「二十二」とOの額に出ていました。
「お前らもだぞ」たしかに、もう一人の6年生の坊主頭には「二十三」、
5年生には「三十一」と出ていたんだそうです。ですが、その字が見えたのは
ほんの10秒ほどで、すぐまた子どもの額に戻りました。
Oは、「俺は二十二か? これが寿命なのか? いやに短いじゃねえか」
そう言って、ひきつった顔で笑ったそうです。Uさんはもちろん自分の額は
見えないので、もう一人の5年生に、「俺は何と出とった?」と聞きました。
そしたら、その子はひどく困惑した顔で、「お前な、俺には百二十と見えた」
そう言いました。「百二十・・・」Oが口をはさみ、
「ああ、たしかに百二十と出とった。これが寿命だとしたら長生きだなあ」

少しうらやましそうな声だったそうです。これでだいたいの話は終わりです。
この後、日本の大陸進出がいきづまって太平洋戦争が始まり、
村の若者は次々と徴兵され、その神社のお告げ通り、Oは22歳、
別の6年生は23歳で戦死しました。31と出た5年生は、終戦後、
シベリア抑留中にその歳で亡くなったそうです。そしてUさんです。
じつは、78歳のときに肺癌と診断され、それが骨にも転移して
現在は寝たきりなんです。苦痛はどうにかモルヒネで抑えていますが、
いつまでもつか。・・・最初のほうで話したように、Uさんは93歳なんですよ。
末期の肺癌で、そんなに命が続くなんてありえない。どういうことでしょう。
この状態でUさんは120歳まで生きるんでしょうか? 身寄りは、
奥さんはとうに亡くなっていて、70歳近い息子さんしかいないんです。




 
 
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