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科挙と4人の人物

2019.05.16 (Thu)
アーカイブ127

日本はかつて古代中国から多くのことを学んだが、
すべてをやみくもに導入したわけではない。
歴史を通じて有名な官吏採用試験制度である「科挙」や「宦官」は、
日本で広まることはなかった。

日本が遣隋使や遣唐使を通して中国から多くを学んだのは事実だ。
しかし記事は、「遣明使や遣清使がなかったことからわかるように、
明や清には学ぶべき文明はなかった」と指摘。本当に進んでいた隋や唐からは学び、
進んだ文明ではなかった明や清からは学ぶことはせず、
のちに西洋から学ぶことにした日本は賢いと論じた。
(レコードチャイナ)

科挙の合格発表の様子
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今回はこういうお題ですが、科学ニュースからではありません。
中国メディアが掲載したものです。やや地味な内容になると思われるので、
スルー推奨かもしれません。さて、日本が古代中国から学ばなかったものとして、
「科挙」と「宦官」があげられていますが、
この記事、自分には少し違和感があります。

というのは、科挙と宦官ではだいぶ始まった時期が違うからです。
宦官は異民族に対する去勢として行われ、紀元前からありました。
これに対し、科挙のほうは、6世紀末の隋の時代に開始されたもので、
ずいぶん時代のへだたりがあるんですね。

さて、科挙というのは、ご存知のように、中国の官僚登用試験のことです。
それまで中国では、官僚は貴族階級から登用されていましたが、
科挙は、家柄や身分に関係なく誰でも受験できる公平な試験で、
才能ある個人を官吏に登用する制度は、当時としては世界でも画期的なものでした。

では、なぜこれを日本が学ばなかったかというと、いろんな理由があるでしょうが、
一番は、中国との国家スケールの違いかなと思います。
中国は国土が広く、また朝廷の役職の数も多く、膨大な量の官吏が必要でしたが、
日本の官僚数はその何十分の一でした。

次に、上で科挙は世界でも類を見ない制度と書きましたが、反面、
弊害もたくさんあったんです。まず、公平に人材を募集すると言っても、
当時の中国は識字率が低く、また、科挙の勉強のための書物をそろえたり、
塾に入ったりするには、やはり資産家の子弟でないと無理だったんですね。
真の意味で、社会階層をとっぱらうことはできなかったんです。

それと、科挙の試験科目が古典詩や儒教であり、実学ではなかった点です。
科挙に合格した官僚は、ともすれば「ただ読書のみ尊く、それ以外は全て卑しい」
という考えを持つようになり、治水土木や経理などを小馬鹿にした、
あまり実務に役立たない人物が多かったんですね。

さて、科挙の倍率はどの時代においても高く、3000倍になったときもありました。
ですから、合格者の陰には多数の不合格者がいて、
悲喜こもごもの物語が生まれています。ここから科挙に関わった4人の人物を
ご紹介しますが、史実としては疑わしいものが多いです。

「黄粱の夢」
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まず、一人目は盧生(ろせい)という人物です。彼は故郷の趙から都へ出て
科挙を受けましたが不合格になり、失意のうちに国に帰る途中、
邯鄲(かんたん)という地で、道士から栄華が意のままになるという不思議な枕を
借りて寝たところ、夢の中で科挙に合格して立身出世し、
子孫も繁栄して、栄耀栄華を極めた一生を終えました。

ところが、目が覚めてみると、さっき火にかけた黄粱(こうりゃん)が、
まだ煮えないほどの短い時間しかたっていません。これに虚しさを感じた
盧生は科挙をあきらめ、故郷で妻を娶ってつつましく暮らすことになります。
故事「邯鄲の枕、黄粱の夢」のエピソードですね。

鍾馗
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次は、鍾馗(しようき)。鍾馗様といえば、長いヒゲをたくわえ、剣を持った怖そうな
道教の神様で、魔除けや疱瘡除けにご利益があるとされますが、
もとは、科挙に不合格になり、それを恥じて自殺してしまった人物なんですね。
唐の第6代皇帝、玄宗が病気になって高熱に苦しんでいると、
夢の中で小鬼が現れ、イタズラをしかけてくる。

そこに、どこからともなく大鬼が現れて小鬼をつぶしてしまう。玄宗が大鬼に正体を
尋ねると、「私は鍾馗というもので、科挙に不合格になって自殺したが、
唐の高祖皇帝は、そんな自分を手厚く葬ってくれたので、恩を感じてやってきたのだ」
と答えた。玄宗が目を覚ますと、熱はすっかり下がっていた。
このような話が伝えられ、鍾馗は疫病除けの神様として祀られるようなったわけです。

次は、科挙に見事合格した李徴(りちょう)という人物です。李徴は
晴れて官吏となり、辺境の任地に赴きますが、それは労苦だけが多い下積みの生活で、
詩人として名声を得たいと思っていた李徴は、ともに語り合う人物も周囲にはおらず、
ついに発狂し、山の中に消えて行方不明になってしまいます。

人喰い虎
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もうおわかりですよね。小説家、中島敦が書いた『山月記』ですが、
中国の古典にもとになる話があります。李徴は、人喰い虎に姿を変えて友人の前に現れ、
涙を流して自らのそれまでの半生を呪い、自分が書いた詩を記録してくれと言い残して、
再び姿を消します。これをみると、科挙に合格しても、それはそれで大変だったんですね。

最後、4人目は黄巣(こうそう)。中国史に残る唐の時代の実在の人物です。
科挙に何度も落ちた黄巣は、失意から塩の密売人となり、次第に勢力を集めて、
「黄巣の乱」を起こします。これにより、全国王朝としての唐は実質的に滅び、
黄巣は皇帝を名のって斉の国を立てますが、塩賊に国が運営できるはずもなく、
10年も続かずに、ついに首をとられてしまいます。

黄巣
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さてさて、ということで、4つのエピソードを見てきましたが、
どの話からも、科挙が持っていたさまざまな問題点を読み取ることができそうです。
日本がこれを取り入れなかったのは、たしかに慧眼だったのかもしれません。
では、今回はこのへんで。

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