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僵尸(キョンシー)の話

2019.05.17 (Fri)
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fgrtyu (3)

今回はこういうお題でいきます。「殭屍」は別字として「僵尸」とも書き、
俗にいうキョンシーのことです。中国の共通語の発音だと、
チャンスーに近いと思います。で、これなんですが、
本を一冊書けるくらい雑多な内容を含んだ概念で、何から話し始めればいいか
迷ってしまいます。少し整理しないとダメかな。

その前に、キョンシーをWikiで見てみると、「硬直した死体であるのに、
長い年月を経ても腐乱することもなく動き回るもののことをいう」となっていて、
西洋のゾンビに近いものなんですね。また、キョンシーには生者のときの記憶や
心はなく、生きた人間を襲おうとする習性を持っています。

さて、キョンシーの概念には次の①~③のことが入り混じっています。
① 古代中国の伝説からきたもの。たぶんこれが最初の形でしょう。
② 明・清代の通俗小説からきたもの。③ 香港映画『霊幻道士』シリーズからきたもの。
・・・みなさんが持っている、官服を着て、死後硬直の両手を伸ばし、
ピョンピョン跳ねるキョンシーのイメージは③由来でしょうね。

ではまず、①から見ていきましょう。時代は、中国の先史時代にさかのぼります。
「黄帝」という、中国を統治した最初期の帝がいて、いろんな超能力を持っていました。
これに反抗して戦いを挑んだのが、獣身で銅の頭に鉄の額を持つ、
「蚩尤 しゆう」という怪物です。

蚩尤


この戦いは、古代中国全土を巻き込んだものでした。蚩尤の手下には、
雨師や風伯がいて、暴風雨を巻き起こします。これに手を焼いた黄帝は、
娘の「魃 ばつ」を呼び寄せます。魃は体内に、原子炉のように大量の熱を蓄えていて、
たちまち雨風を乾かしてしまいました。これによって黄帝は勝利を得たんですが、
魃は力を使いはたして天界に帰れなくなってしまいます。

黄帝の娘「魃」
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そのため、魃が人界にいると、あたりは干魃になってしまうんですね。
魃は、日照りを擬人化したものでしょう。困った黄帝は、魃を遠くの山の中に
幽閉しますが、ときどき抜け出して中原に出てきます。
そうすると世の中が大旱魃にみまわれます。やがて魃の姿は、美しい女性から、
醜い猿のような形に変化して伝えられるようになりました。

で、ここから、干魃のために死んだ人間は死後も遺体が腐らず、
墓の中で100日たつと、魃の姿で地上に出てきて人間を襲うとされたんです。
そこで、通常は土葬の中国ですが、干魃で死んだ者の遺体は火で焼いたりする地方も
あったんですね。あと、魃になりかけている死体には、男児の尿か黒犬の血をかけると
崩れ去るとも言われ、この設定は『霊幻道士』にも取り入れられています。

鳥山石燕の「魃(ひでりがみ)」


これは推測なんですが、大旱魃のときに死亡した者は、
水も食物もろくにとっておらず、体中がカラカラに乾燥して、日本の即身仏と
似たような状態になっていたんじゃないでしょうか。ですから、
墓の中でも死んだときのままに見えることがあった。あと、
遺体を埋める土壌がアルカリ性だった場合、腐りにくいとも言われます。

干魃で死んで甦った死者、まさにゾンビ


さて次、②について説明します。これは道士の術によって人為的につくられるもので、
主に、中国の湘西地域で信じられていました。湘西地域から徴兵された若者が
戦争で死ぬと、遺体を故郷へ送り返さなければなりませんが、
遺体の運搬は、馬や荷車を使ったりして大変です。

そこで、道士が術をかけ、遺体を自力で歩かせて故郷まで連れていくわけです。
このような死体を「赶屍 かんし」、術は「送屍術」と言ったようです。
このとき、映画のように額に御札を貼っていたかはちょっとわかりませんが、
加持符咒した水を満たした椀を持った者が、死体についていったという話はあります。

実際にある中国の「赶屍」の風習
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最後の③は、まあフィクションなんですが、当時の香港で流行していた風水が
取り入れられた内容になっていました。『霊幻道士』の最初の映画では、
金持ちが父親の墓を改葬しようとして掘り起こしてみると、父親を恨んでいた
占い師から、わざと風水的によくない方法で葬られていたため、
20年経っても遺体は腐っていませんでした。

この「風水的によくない方法」というのがどういうことかは、映画を見てても
よくわからなかったですね。で、この父親が最初のキョンシーになり、
それに襲われた者は次々にキョンシーと化していきます。
このあたりの設定も、ゾンビ映画とよく似ています。

『霊幻道士』
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さてさて、キョンシーになってしまうと、人間の心がなくなるので、
肉親でもかまわず襲ってしまいます。ただし知能は残っているみたいでしたね。
中国の道教では、人間には肉体の他に、魂と魄があるとされ、
合わせて「魂魄 こんぱく」と言います。魂は精神を支える気で、
人間が死ぬと天に帰り、魄は肉体を支える気で、地に帰ります。

ところがキョンシーの場合は、魂のほうは天に帰したものの、
魄のほうはまだ肉体に残っているため、体が動くという理屈でした。
あと、キョンシーの姿は、辮髪(べんぱつ)で官服を着ているように描かれる
ことが多いんですが、これは清の時代の女真族の習俗ですね。

科挙に合格した官僚の制服は、当然ながら庶民は着ることはできませんでしたが、
死装束として、遺体に着用させるのは許されていました。庶民の家では、
死後の栄達を願って、官服を着せて葬ることが多かったので、
映画でもああいう姿になっているんです。では、今回はこのへんで。

清代の官人(政府の官僚) キョンシーではありません
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