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仏教徒としての天皇

2019.06.10 (Mon)
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京都 泉涌寺

今回はこういうお題でいきます。まあ、あまり面白い話題ではないと
思います。昨今、天皇について「祭祀者である」 「祈りを捧げる人である」
というふうな話をよく見聞きします。たしかに、今上陛下においては
そのとおりだと思いますが、もちろん歴史的にずっと
そうだったわけではありません。

千数百年の長きに渡って天皇は仏教徒であり、中には譲位後に出家して
法皇となり、いわば仏教徒のトップに立たれた天皇も多いんですね。
ところが、明治以来、天皇と仏教とのかかわりが意図的に
報道されなくなって
、これが現在まで続いてるんです。

ですからまあ、一般の方が天皇は神道の祭祀者であると考えるのは
いいんですが、歴史を勉強している学生のみなさんが、
天皇と仏教のかかわりに目を向けないでしまうと、
これは歴史の流れを見誤ってしまう可能性があるかと思います。

泉涌寺にある歴代天皇の陵(仏塔)
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さて、天皇と仏教の関わりを振り返ってみると、『日本書紀』によれば、
欽明天皇13年(552年)百済の聖明王が使者を使わし、
仏像や経典とともに、仏教の功徳を賞賛した上表文を献上した
と記されています。ただ、552年は釈迦入滅後1500年の
翌年にあたり、後世に作為的に入れられた年代だとする意見もあります。

以前の歴史教科書では、これについて「仏教伝来」という語が使われていた
と思いますが、あくまで公的に仏教が日本に伝来した時点で、
それ以前から部分的な仏教の受容はあっただろうと考えられ、
最近は「仏教公伝」という語に変わってきているようです。

最初のうちは仏教に対する反発もありましたが、次第に受け入れられ、
仏教ともに伝わったとされる火葬も増えていきました。
『続日本紀』によるれば、最初に火葬された天皇は、702年に死亡し、
殯の儀礼の後703年に火葬された持統天皇です。
トップダウンで仏教の受容が始まったと言えると思います。

後白河法皇
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ちなみに、夫婦であった天武天皇と持統天皇は合葬されており、
その陵は「野口王墓」とも呼ばれ、墳丘径60mほどの八角墳と
見られています。1235年に盗掘にあった記録が残っており、
その際に副葬品は奪い去られ、天武天皇の遺骨は散乱し、
持統天皇の遺灰が入った骨壷は、無残にも近くに遺棄されたようです。

仏式の葬儀が取り入れられたのは、奈良の大仏開眼供養を行い、
仏教による鎮護国家をめざした第45代 聖武天皇からとされています。
これ以来、 1867年に崩御された第121代 孝明天皇まで、
1000年以上にわたって天皇家の葬儀は仏式で行われ、
また、即位の儀などの国家的儀式も仏式だったんです。

京都東山の泉涌寺の霊明殿には、天智天皇・光仁天皇以後の
歴代天皇・皇后の位牌が置かれており、この泉涌寺で後鳥羽上皇や
順徳上皇などが受戒を授かっています。多くの天皇の陵が仏式の塔として
残されていて、上記した孝明天皇の陵もここにあります。

密教者として描かれる後醍醐天皇
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さらに、明治4年(1871)まで、宮中の黒戸の間に仏壇があり、
歴代天皇の位牌があったんですね。それが明治期の廃仏毀釈により、
宮中の仏像その他は一切撤去されることになります。
では、なぜ天皇家は仏教徒であることをやめたのか。

これはご存知と思います。明治維新の精神的なバックボーンとなった
国学では、仏教は異国渡来のまちがった教えであり、
日本古来の神道に回帰すべきであるという声が強かったからです。
そしてそれを明治政府は国民統合のために利用しました。

仏教で最も上位とされる概念は「仏・法・僧」で、法の前にはみな平等。
たとえ天皇であろうとも、その教えには頭を下げなくてはなりません。
天皇が仏教徒では、絶対者にはなりえないんですね。ですから、
「国家神道」を起こして、明治天皇をそのトップに据えようとしました。
そうして薩長土出身の元勲が、その大権を意のままに動かす。

聖武天皇の悲願、大仏開眼
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もちろん天皇家はじめ、公家においても、それまで信心し極楽往生を
願ってきた仏教を捨て去ることには、大きな困惑があったと考えられます。
また、明治政府が推し進めた国家神道は、古い時代の神道を
正確に再現したものではありません。古神道は文字による記録がほとんど
残っていないため、実体がよくわからないからです。

「復古神道」というのがありますよね。平田篤胤や本田親徳らが大成した
もので、言霊や数霊などを用いて『古事記』などを読み解こうとする
試みですが、これから派生して多くの神道的な新興宗教ができました。
ですが、自分から見れば、その多くは噴飯もののデタラメな内容です。

さて、明治政府によって始められた国家神道により、
天皇は天照大神から続く「現人神」となり、天皇大権をもって
世を治めることになります。で、それが第2次世界大戦の敗戦まで続き、
昭和天皇は人間宣言を出し、新憲法によって
日本国統合の象徴となるわけです。

さてさて、ということで、仏教徒としての天皇家の歴史を
ごく簡単に見てきました。今上陛下を例として「天皇は祭祀者である」
とするのはそのとおりですが、なぜ仏教は捨て去られたのか、
正しく歴史を見るためには、そこをきちんと理解する必要が
あると思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『仏教書としての日本書紀』

国家神道 五十銭紙幣に描かれた靖国神社
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