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日本最大の怨霊は誰?

2019.06.19 (Wed)
今回はこういうお題でいきます。カテゴリは日本史ともオカルト論とも
言い難いんですが、いちおうオカルト論にしておきます。
さて、「日本3大怨霊」と言えば、「菅原道真・崇徳上皇・平将門」と
されることが多いですね。ただ、この言葉自体は
そう古いものではないと思われます。

おそらくは江戸時代、歌舞伎や講談などによって話が広まり、
それで定められたんじゃないでしょうか。そうした芝居は
史実を勧善懲悪的に脚色してますので、これらの人物の怨霊としての
性格が特に強調されているんですね。

「天神様」として祀られる菅原道真
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では、この3人について、ご存知でしょうが簡単に見ていきますと、
最も時代が古いのが菅原道真で、9世紀の人物です。
高い身分ではなかったのですが学識をもって異例の出世をとげ、
右大臣にまで昇進します。その後、左大臣の藤原時平に讒訴され、
大宰府へ左遷されて903年に現地で没。

次が平将門で、一族内での領地をめぐる抗争から関東一円を
まき込む戦闘へと発展、京都の朝廷に対抗して自ら「新皇」を名のりますが、
それからわずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されました。
亡くなったのは940年のことです。

最も年代が新しいのは崇徳上皇で、12世紀の院政期の人です。
保元の乱に関係した罪で讃岐国へ配流されます。上皇の流罪は
およそ400年ぶりのことでした。その後、讃岐国で病没しますが、
その死には暗殺説があります。また、髪や爪を伸ばし、
天狗のような姿になって朝廷を呪ったとも書物に残っています。

日本で初めて獄門(さらし首)にされたと言われる平将門
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で、この3人を比較しますと、将門だけがはっきり異質なんですね。
これはこの3人以外の怨霊と言われる人物と比べてもそうです。
崇徳上皇は天皇で道真は貴族ですが、将門は武士です。
いちおう桓武天皇の5世の子孫などと言われますが、
乱を起こすまでは、生まれた年もよくわからない無名の人物でした。

あと、日本史上で怨霊とされる人物は、ほとんど京都など
関西の出身なんですが、将門だけが関東に基盤を持つ人です。
それから、崇徳院、道真はその死後すぐに怨霊話が出て怖れられ、
朝廷によって位階や号を追贈され、名誉回復されています。
それに対し将門の場合、京都では怨霊話は出てなかったんです。

こう考えてくると、将門の名は、関東の土着武士などの間だけで
語り継がれてきたものと思われます。それは将門が、重い負担を強いられ
続けた東国の人々の代弁者としてとらえられていたためでしょう。
それが武士の世の中になって、関東が実質的な日本の中心となり、
芝居などで取り上げられるようになった。

『太平記』には金色の鳶の姿で描かれる崇徳上皇の怨霊
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また、将門の場合、怨霊になるための諸条件から外れています。
一般的に怨霊になる人物は、無実の罪におとされて亡くなった人が
多いんですが、将門の場合は、武士らしく華々しく戦って
運つたなく敗れたわけですから、怨霊となる理由がないんですね。
日本の平安時代から中世にかけて、武士が怨霊になるという発想は

あまりなかったように思います。これは身分制度の問題もありますが、
根本的には、武士の存在意義が戦うことにあったからです。
『平家物語』などの軍記物を読めば、戦場は武士の晴れ舞台で、
源氏も平家の武将もいつ死んでもいいよう、みな精一杯に着飾り、

馬や武具にも装飾をこらして戦っています。戦死は名誉なことであり、
中世には、戦って死んだ武士は祟らないという考え方がみられるんです。
現代の怪談では鎧姿の落武者の霊などが出てきますが、ちょっと違うんですね。
まあ「耳なし芳一」など、平家の怨霊の話はあるんですが、それは個人の祟り
というより、一族すべてが滅ぼされたためだと思われます。

身分は低いものの、『平家物語』には着飾った姿で描かれる那須与一
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あと、現代において将門の名が鳴り響いているのは、作家の荒俣宏氏が、
『帝都物語』シリーズの中で、「日本最大の怨霊」と持ち上げたことも
大きいでしょう。余談ですが、現在の風水ブームも
荒俣氏が1994年に『風水先生』を発表して以降のものなんです。

ちなみに、東京都千代田区大手町にある将門の首塚は、
京都で獄門にさらされた将門の首が関東めざして飛んできて
その場に落ちたためにつくられたなどと言われますが、
これは内部に石室のある小古墳で、おそらく将門とはまったく関係のない
人物のものだと思われます。ですから、祟り話も怪しいんですね。

「将門首塚」


さて、この3人の他に怨霊説が出ている人物には、大津皇子、長屋王、
淳仁天皇(淡路廃帝)、他戸親王、井上内親王、早良皇太子(崇道天皇)、
後鳥羽上皇、後醍醐天皇・・・などがいます。このうち長屋王なんかは
藤原4兄弟を祟り殺すなど怨霊として強力でしたが、あまり
芝居等で取り上げられていないため、名前が広まってなかったんです。

さてさて、では日本最大の怨霊は誰なのか。それは自分には決められない
ですが、最も現天皇家が怖れていたのは崇徳上皇ではなかったかと思います。
明治天皇が即位の礼を行った1868年、勅使を讃岐に遣わし、
崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて白峯神宮を創建してるんです。
新しい日本建設のために、念を押して鎮魂しておこうということでしょう。

また昭和天皇も、崇徳上皇八百年祭をとり行っています。
これに対し、将門は1874年、明治政府教部省の指示により逆賊として
神田明神の祭神から外されてしまいます。将門の復権がなされたのは、
第二次世界大戦敗戦後、皇室批判へのタブーがなくなってからの
ことなんですね。では、今回はこのへんで。

関連記事 『首を取る話』

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