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予言ってどうなの?

2013.12.16 (Mon)
東日本大震災以降、某巨大掲示板でも予言に関するスレが立ちましたし、
Twitter等でも目立つようになりましたが、予言てどうなんでしょうか?
まず基礎知識として、これはご存知の方も多いと思いますが、
「予言」と「預言」は違います。前者は未来予知のことであり、
後者は、神や宇宙人などと接触した預言者が、
その言葉を託されて大衆に伝えるものです。

また自然科学や社会科学の法則に基づいたものは、
予測といったほうがいいようです。
ちなみに某掲示板での予言は当たらなかったです。ため息がでるほど当たらない。
昨年のあのアセンション騒ぎも表面的には?何事もなく終了し、
やめていった人も多数います。

まず予言について述べるにあたって考えなくてはならないのは、
この世は決定論的であるのか、そうでないかということです。
決定論とはごく簡単に言えば、「この世のすべてのことはどうなるか決まっていて、
変えることができない」というものです。「運命として定まっている」
と言いかえることもできそうです。例えば自殺願望のある人がいて、
それに気づいた周囲がそうならないように努めたとしても、
その人が自殺する運命にあるのならば、その結果を防ぐことはできないのです。

この考え方だと、人の一生、また世の中全体の動きも、
決められたレールの上を進んでいく電車のようなもので、
そこに自由意志が介在する余地はありません。
つまり個人の意志では、その後の自分の人生を変えることができない。
当人にとってみれば結婚相手とか就職先とか、
自分が自由に選択したと思っていることでも、
実ははなから運命として定まったものなんですね。

では本当にそうなのでしょうか。自然科学の言葉に
「ラプラスの悪魔」というのがあります。これは決定論的な考え方で、
「もしもあるものが、その瞬間の全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
この知性にとっては、不確実なことは何もなく、
すべての未来を予測することができる」とします。

例えばビリヤードで、現在のボールの位置、ラシャの摩擦や気流、温度、
キューを打つ角度や力の入れ具合などなど、
すべてのデータが完全に入力された状態であれば、
どうボールが動くかは完璧な予測ができるというようなものです。
 しかし、同じ自然科学において量子力学の発展にともない、
ある瞬間の原子の位置と運動量の両方を正確に知ることは、
原理的に不可能(不確定性原理)であり、
原子の運動は確率的にしか把握できないということが明らかになり、
ラプラスの悪魔については否定的な意見が多くなってきました。

さて予言です。もし予言というものがあり、
この世が決定論的ならばその予言は外れることはないでしょう。
これに対し、非決定論的ならしばしば外れることもあるかもしれないですね。
映画だと『ファイナル・デスティネーション』シリーズはやや決定論寄りでした。
最初の作で、夢で飛行機事故を予知して回避した主人公グループは、
どうしても死ぬ運命であったので、次々とありえないような形で死を迎えていきます。
そして主人公がどうやって運命に逆らうかが見どころでした。

『メン・イン・ブラック3』では、未来を見ることができる異星人、
グリフィンが出てきましたが、これは自分が見た感じでは並行宇宙的な予知でした。
つまり平行世界の考え方が取り入れられていて、彼に見える未来は複数あり
そのどれに行き着くかは確率的にしかわからないということだったと思います。
偶然によるのか自由意志によるのかはともかく、
未来は変わることのできるものとして描かれていました。

ここまで書いて、やはり難しいです。
用語の使い方なども多々間違えている気がします。
自分の手にあまる内容になってきていますので、いったんやめます。
やめますが・・・自分は占星術師なので、この問題から逃れることはできません。
いつか続きを書きたいと思っています。

さてさて、最後に「ジョジョの奇妙な冒険」の第6部『ストーン・オーシャン』で、
エンリコ・プッチ神父という敵役が出てきましたが、
彼の目的はすべての生物を「一巡後の世界」という天国に到達させるというものでした。
時間が加速する一巡の間に、すべての生物は未来にいつ何が起こるかを体験しており、
それを変えられない運命として事前に何が起きるかを知ることができる。
すべての人類があらゆる悲劇や絶望にも事前に「覚悟」
をもっている世界が天国というわけです。

しかしどうでしょう。
みなさんは自分が(あるいは自分の愛する人が)いつどのようにして死ぬか知っていて、
それが絶対に逃れられないのであれば、その死に対する覚悟はできるでしょうか?
はたして未来を知るのがほんとうによいことなのでしょうか?
これも難しい問題だと思います。




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コメント
こんにちは。

量子力学で自由意志を証明することができるかというと、そうもいかない、というのが哲学の立場です。

ひとつ思考実験をしてみます。

まず、わたしが吉野家で今日の晩飯にカレーライスを食べるか牛丼を食べるか悩んでいるとしましょう。

そこで思い切り単純化して、

60%の確率で牛丼を食べる。

35%の確率でカレーライスを食べる。

5%の確率で、隣のラーメン屋に入ってラーメンを食べる。

のどれを選ぶかがわたしの脳にある量子の確率により決定されるとします。

その結果、量子の作用によって、今日はカレーライスを食べることにしました。これが自由意志! ……でしょうか?

ここでもっと大胆な設定をしてみます。

吉野家で何を食べるか悩んでいるわたしと、完全に同条件の舞台設定とわたしのクローンをそれぞれ百万体作り、実験をしたとします。

その結果は、だいたい60万体のわたしのクローンは牛丼を食べ、だいたい35万体のわたしのクローンはカレーライスを食べ、だいたい5万体のわたしのクローンはラーメンを食べるという結果が出てきます。

実験の回数を増やしても同じ、というか、回数を重ねれば重ねるほど、クローンの反応は60:35:5に近づいて行きます。

さて、このどこに「わたしの自由意志」が存在しているでしょうか。わたしは意志して行っているのではなく、量子のさいころの目に従って自動人形のように動いているだけにすぎません。

「ラプラスの魔」が不可能だからといって、即自由意志があるという結果にはならないのであります。
ポール・ブリッツ | 2013.12.21 12:46 | 編集
そうですね難しい問題です。
自分的には、牛丼を食べるであろう世界が濃い確率であり、
何かの事情で夕食が食べられない世界(例えば事故で死んでしまうとか)がごく薄い確率であり
それらが来るべき未来にたゆたっているのではないかという気がします。
これはその確率で未来が分かれているとも言えるかもしれません。
まあ当然根拠はないですが。
bigbossman | 2013.12.23 22:47 | 編集
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