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日本の拷問あれこれ

2019.07.05 (Fri)
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中世ヨーロッパの大量の水を飲ませる拷問

今回はこういうお題でいきます。わりとオカルトブログらしいテーマです。
さて、拷問と一口に言っても、きちんとした定義ってないんですね。
ネット辞書では、「被害者の身体及び精神的自由を奪い、加害者側の要求を
飲ませるために行われる行動の事を指す」みたいな形で書かれています。

大きく3つほどに分かれるのかなと思います。まず一つ目は犯罪としての拷問、
これはもちろん、拷問をするほうが犯罪者です。快楽殺人とか、隠した金の
ありかを吐かせるなど、さまざまな目的で行われるもの。
2つ目は刑罰としての拷問です。体罰と言ったほうがいいのかもしれません。
これが記録に表れるのは奈良時代ころからです。

3つ目は、まだ罪が確定していない者に対して、自白をさせる目的で
行われるものです。一般的には、これをさして拷問と言われる場合が
多いでしょう。現代では、裁判で刑が確定してない者は、容疑者ではあっても
拷問で自白を強要されることはありません。ただ、そうなったのは
日本の歴史全体から見ればごく最近の話なんですよね。

「盟神探湯」現代のものは安全です
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さて、拷問は古代からあったと思われますが、古代の文献には、
占いで罪を決めていたという記述も出てきます。『三国志』魏志倭人伝には
「骨を焼いてさまざまなことを占う」とあります。もしかしたら、
罪があるかどうかを占いで決めていたのかもしれません。

『日本書紀』には、「盟神探湯 くがたち」ということが行われていた
記述があります。これは一種の神明裁判で、容疑者に、神に潔白を誓わせた後、
探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、
正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされます。
つまり、形式上、審判をするのは人ではなく神なんです。

また、壺の中に毒蛇を入れ、そこに手を突っ込むという形式もあったようです。
ただまあ、普通は火傷しますよねえ。有罪率は高かったんじゃないかと
思います。盟神探湯のことは『隋書』倭国伝にも出てきます。
さて、701年とされる「大宝律令」には、

罪の疑いが濃厚なのに自白しない者に対して「訊杖 じんじょう」という杖で、
背中15回、尻15打つと出てきます。それで自白しない場合、
20日以上間隔をおいてまた実施されました。これは、皇族や朝廷の役人、
16歳以下、70歳以上の子どもや老人、妊娠した女性は免除されていました。
それなりの配慮があったようですが、中国の法令を参考にしています。

司馬遷
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その後の、757年の「養老律令」では、死罪・流罪・笞打(むちうち)・
杖打・徒罪(強制労働)が定められています。これは刑罰としての拷問です。
興味深いのは贖銅(しょくどう)という制度があったことです。決められた
量の銅を朝廷に納めることで刑罰を免じられ、死罪についても行われました。

これも中国由来でしょう。余談になりますが、『史記』を著したことで知られる
司馬遷は、漢の武帝の怒りを買って宮刑(宦官にされる刑)を受けています。
一定の金銭を支払えば許されることになっていたはずですが、
それができなかったようです。このため司馬遷は子孫を残せず、
そのかわりに大著の歴史書を残したわけです。

もう一つ余談、日本では、810年の薬子の変の後、1156年の保元の乱まで、  
約350年間、死刑が実施されていません。死刑判決があっても、天皇が減刑
したりしてたんですね。これは仏教の殺生戒の影響や、
怨霊化を怖れたためと言われます。ただし、地方では死刑はふつうにありました。

江戸時代の「鋸挽」
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さて、史上最も知られているのは、江戸時代の被疑者に対する拷問でしょう。
笞打・石抱(いしだき)・海老責(えびぜめ)・釣責(つるしぜめ)
がありました。正確には、前の3つは責問(せめどい)、
釣責だけが拷問として区別されていました。例えば石抱は、罪人を三角材を
並べた真木という板に正座させ、ヒザの上に石を乗せていきますが、

1枚が50kg、最高は10枚(500kg!)でしたが、普通は5枚も積めば
気絶するので、その場合はまた日を改めて白状するまで行われました。
罪が許された場合も、石抱によって体に障害が残る者も多かったようです。
海老責は、あぐらをかいた状態で両足首を縛りアゴの高さまで引き上げる。
釣責は、両手を後ろで縛って吊り上げるというものです。

こう書くと残酷なようですが、これらはかなりの状況証拠があっても自白しない
者に対して行われたので、意外に冤罪は多くはなかったと考えられます。
それと、目的はあくまで自白させることなので、牢内には医者が用意され、
何かあれば手当を行い、責の後には気つけ薬が与えられました。

同じく「石抱」
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白状しないまま容疑者を死なせてしまうと、立会の与力の責任ではありますが、
それで罰せられることはなかったようです。罪が確定してからの刑は
ほとんどが斬首で、大きな苦痛は感じなかったと思いますが、
放火犯は市中引き廻しの上、火あぶり。主殺しなどは鋸挽(のこぎりびき)。
これは復讐系で、首だけだして土に埋めた罪人の横に切れない竹鋸を準備し、

被害者親族や通行人の希望者に挽かせます。
希望する者はほとんどいなかったようで、その後、槍で突き殺されました。
刑罰は見せしめの意味があり、江戸市民に一般公開されました。
その効果のほどははっきりわかりませんが、川柳には「十両盗めば首が飛ぶ」
みたいに出てきますので、刑法がよく周知されていたのは確かです。

さてさて、ということで、日本の歴史上の拷問について簡単に見てきました。
現在は、拷問等禁止条約もあり、公的に拷問を行っている国は多くないでしょうが、
イスラム教国には石打の刑があり、いまだににこの処刑方法を採用している地域も
存在します。残酷ですが、宗教的伝統と言えばそうなのでしょうし、
なかなか難しいところですね。では、今回はこのへんで。

イスラムの石打
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