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砂嵐の海の話

2019.07.15 (Mon)
今晩は、藤森ともうします。よろしくお願いします。
今から10年以上前の話です。うちでデジタル放送のチューナーを
買う前の年だったので、2008年のことですね。
私が10歳、小学校4年生のときに、夢遊病になったんです。
正式な名前は「睡眠時遊行症」というらしいですね。
そのときお世話になった病院の先生から聞きました。
珍しいことではないんだそうです。統計的に4~8歳の間に発症し、
最も頻度が高いのは12歳前後。子どもの10~30%が睡眠時遊行を
1回以上経験しているということでした。10人に3人が経験するのなら、
たしかに、そう珍しいということはないんでしょうね。
何度も、毎日のようにくり返すことは稀だそうです。

最初は9月ころだったでしょうか。2階の自分の部屋で寝ている
はずの私が、リビングのテレビの前に座っていたんだそうです。
見つけたのは父でした。リビングのすぐ隣が寝室なんですが、
父がトイレに行こうとリビングに出たら私が座っていた。
時間は2時ころだったようです。テレビが光ってたので、
最初は、私が夜中の番組が見たくて起き出してきたんだと思ったそうです。
でも、テレビ画面はいわゆる「砂嵐」状態でした。
私の顔を見ると、目は開いていたものの、ぼんやりとした表情で、
テレビ画面を見てはいるが、見つめているというわけでもない。
父は病的なものを感じ、私の名前を呼びながら肩を揺すりましたが、
起きなかったそうです。体育座りの形からそのまま後ろに倒れ、

今度は目を閉じて眠った状態になった。心配なのでさらに起こすと、
やっと目を覚ましたんですが、なぜ自分がここにいるのかまったくわかって
なかったそうです。典型的な夢遊病の症状なんですね。
その夜は、寒くはなかったのでリビングのソファに寝、
起きてきた母がタオルケットをかけ、朝までついていてくれました。
私の2階の部屋からリビングまで、階段を降り、短い廊下を通って
すぐなんですが、階段はかなり急で、転落したら大ケガもありえます。
ですから、翌日は学校を休み病院に連れていってもらいました。
そこの心療内科の先生の話で、子どもではよくあることなので、
しばらく様子を見ましょうということになりました。薬はあるんですが、
夢遊病に習慣性が認められるまでは出さないということでした。

ただ、また起きたときにケガをしない環境づくりが必要ということで、
当面はリビングに布団をしいて寝ることになったんです。
これ、私はすごく嫌でした。ですから、寝る前ギリギリまで自分の部屋で
音楽などを聞いてて、リビングの布団に入る。両親は気を遣って、
私と同じ10時ころには寝るようにしてくれてました。その後、
1週間は何も起きず、自分の部屋に戻ってもいいかと言われてたとき、
2回目が起きたんですね。見つけたのは母でした。時間はやはり2時ころ、
布団から出て体育座りでテレビを見つめているところまでは同じ。
画面は砂嵐だったんですが、母には水面のように思えたそうです。
その頃の家のテレビはけっこう大型のものでしたが、強い光に照らされた
海面がいっぱいに映ってて、小さな波が無数に動いている。

私の肩に手をかけると、何か同じ言葉を何度かくり返しました。
はっきりは聞き取れなかったんですが、「ただ○○」という名前のように
母には思えたそうです。医師から、また起きたときは無理に起こさず、
もう一度寝せるとよいと言われてたので、母はそっと私をその場に倒し、
眠るように言いながら布団を引っぱってきてかけ、テレビを消そうとしましたが、
リモコンがどこにも見つからなかったそうです。しかたなくテレビ本体のほうで
消そうとしたら、波のような海面から指先が出て動いてるように思えました。
でも、それはすぐに消え、母は気のせいだと考えたそうです。このあたりのことは、
ずっと後になって聞いたものです。結局、リモコンは朝になっても家のどこにもなく、
電気店に連絡して新しいのを送ってもらったということでした。
翌日また病院に連れていかれ、薬を処方されました。

夢遊病は眠りが深すぎるのが原因の一つなので、深い眠りを抑制する薬です。
それを寝る前に一錠飲むだけですが、朝になっても疲れた感じがしてました。
1ヶ月間何も起きなかったので薬をやめ、さらに1ヶ月後には、
リビングで寝るのをやめて自分の部屋に戻ることになりました。
医師も家族も、もう大丈夫だろうと考えたんです。実際、1年ちかく
何も起きなかったんです。翌年、私は5年生になり、
秋口に1泊の宿泊研修があったんです。そういうのって、事前に家族に
学校の保健室からアンケート用紙が渡されるんです。持病はないか、
いつも飲んでる薬はないかなんて内容の。母は迷いましたが、
4年生のときに睡眠時遊行症になったことがある、と書いて出したそうです。
その後、担任の先生から家に連絡があり、私が寝るテントは特に見回りを

するからということで家族も安心してたんですが、大騒ぎになっちゃったんです。
その宿泊研修は、学校の方針でかなりハードなもので、市の少年自然の家で
行うんですが、野外炊飯では飯盒でご飯を炊き、自分たちでテントを設営して
そこに泊まるんです。日中にはオリエンテーリングなどもあり、
生徒はくたくたになって消灯時間にすぐに寝ました。テントは5人、
もちろん女子だけのグループです。私のテントには、事前アンケートのことも
あって、女の先生が組で何度も見回りにきたそうです。そしたら、
2時の見回りのときに私がいない。寝袋が空になっていて、
でも履いてきたスニーカーはテントの外にある。近くのトイレにもいないし、
他の子たちのテントに入ってるわけでもない。先生方は慌てましたが、
他の子を起こすわけにはいかないですよね。それで、少年の家の当直職員に

協力を頼んで、朝方まで捜索したんです。見つかったのは4時過ぎでした。
そこの少年の家は海沿いの松林の中にあり、砂浜に出るところに小さなお堂の
ようなのがあったんです。昔の漁師が祀ったものだそうです。テントからは
800mほども離れてたんですが、その前に私が体育座りしてて、
何かををつぶやいてたそうです。先生方が私の名前を呼ぶと立ち上がって倒れ、
結局、救急車で病院に運ばれました。検査の結果、体に異常はなかったんですが、
裸足で林の中を歩いたため、足にたくさん傷ができてました。その間の記憶は
まったくなかったです。両親が病院に迎えに来て、また家でしばらく薬を
飲むことになりました。でも、小学校のときの夢遊病はこれが最後だったんです。
6年生の2泊3日の修学旅行では、両親は心配しましたが
何も起きませんでした。その後、中学、高校でも。ですから、もうすっかり

治ったものだと思ってたんです。大人の夢遊病って1%以下の珍しいものなんだ
そうです。・・・ここからのことはあまり話したくはないんですが、
そういうわけにはいかないですよね。私は東京の大学に合格して親元を離れ、
テニスのサークルに入りました。そこで、多田瑛美さんという人と友だちになり、
最初のうちは仲がよかったんですが、2年になって話をしなくなりました。
はい、同じサークルの男子を巡ってトラブルがあったんです。まあ、よくある
三角関係です。その夏、サークルの合宿がありました。合宿といっても
遊び半分のもので、大学所有のテニスコートのある海沿いの宿舎で
1週間ほど過ごすんです。サークルは男子のほうが多く、
恋愛関係はもつれにもつれてました。その3日目のことです。
私と多田さんの姿が、朝食の時間に見あたらなかったんです。

まあ、カップルで宿舎から少し離れたラブホテルに行ってるなんてことは
珍しくなかったんですが、女2人がいなくなるのは変だということで、
みながあたりを探しました。そしたら、私は浜に出ていて、堤防の上で海に向かって
体育座りをしてたんです。海に落ちるかもしれないギリギリの場所でしたが、
小学生のときと同じで、私は何も覚えてませんでした。多田さんは見つからず、
警察に捜索願が出されました。2日後、多田さんの水死体がテトラポットの間で
発見されたんです。私も警察の聴取を受けましたが、多田さんの体に外傷はなく、
多量の海水を飲んでましたので、誤って海に落ちたのだろうということになりました。
・・・そこの海はもちろん、私の家からも小学生のときの少年の家からも何百kmも
離れた場所だったんですが、引き上げられた多田さんの遺体は、なぜか手に、
古い型のテレビのリモコンを固く握りしめていたんだそうです。





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