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竹ノ輪神社の話

2019.09.05 (Thu)
どうも今晩は、山根と申します。まず、自己紹介をさせていただきます。
私、今年で62歳になります。妻は5年前に急性の白血病で亡くなりました。
それからはずっと一人暮らしです。子どもは、息子が一人いて、
東京に出て就職してます。ですから、身軽な気楽な生活を楽しんでたんですが、
昨年、病気をしたんです。背中にこったような張りと重い痛みを感じて、
近くの開業医に行ったらすぐに大きな病院を紹介されまして。
そこであれこれ検査をして、診断がついたんです。膵臓癌でした。
みなさん、膵臓癌についてご存知ですよね。癌の王様とまで言われて、
罹患者数と死亡者数がほぼ同じ、つまり、かかってしまったら助からないって
ことです。5年生存率ってのがありまして、診断がついてから
5年後に生きている人の割合なんですが、それがすべての癌の中で

最も低いんです。あ、すみません、よけいな話をして。それで、病院では
手術を勧められました。これね、運がいいってことらしいです。
膵臓癌にかかった患者の中で手術ができるのは20%程度、
はい、残りの人はすでにその時点で手遅れの状態ということです。
そのときね、迷ったんです。手術をすると膵臓がなくなるわけだから
完全な糖尿病になります。お腹の中をあれこれツギハギするので、
ものが食べられなくなるし、下痢症状のひどい方が多いんですね。
そのあたりのことはネットで調べました。それと、手術が成功したとしても、
90%以上の人が1年以内に再発してしまうんです。
ねえ、嫌な病気でしょう。ですからね、手術はやめて、緩和ケアだけにする
という選択肢もあったんです。私は仕事も引退しましたし、

息子もとりあえず自分で食っていけてます。だから、このまま何もしないで
いさぎよく妻のところに行こうということも考えたんですが・・・
ただ、心残りなのは、まだ孫の顔を見ていないということで。
はい、息子は独身なんです。それで、迷ったすえに手術を受けることに
しました。いや、大変でした。入院は3ヶ月ちかくになって、
ベッドから自力で下りて歩けるようになるまで2ヶ月もかかったんです。
ほら、私は一人暮らしでしょう。息子はときおり来てはくれましたが、
やはり自分の仕事がありますので、付き添いをしてくれる人を雇ったんです。
まあ、そんなこんなで何とか退院しまして、病院からは再発予防の抗癌剤を
勧められたんですが、これはお断りしたんですよ。
これ以上の体の不具合は耐えられそうもなかったし、

再発したらもう、それは運命だと思うことにしたんです。病院からは、
1ヶ月に一度の定期検査だけしてもらうことにしました。
で、家に戻って最初のうちは、100mの散歩をするだけで息が切れて
しゃがみ込んでしまってたんですが、だんだんに長く歩けるようになり、
体力が回復した自信がついてきたんです。それで、旅行に行くことに
しました。私の両親はとっくに亡くなっていますが、
その出身地の町へです。私も中学校までそこに住んでましたし、
妻もね、その町の出身で中学校の同級生だったんです。
ただ、親戚なんかはそんなに多くはいません。長い時間電車に乗るのは
たいへんでしたが、なんとかその町の駅に着いて、まず実家のあった
場所に行ってみました。はい、実家はもうなくなってて、

跡にはコンビニができてましたね。そこから中学校へ行く通学路を
歩いてみました。そのあたりはほとんど変わっておらず、懐かしい感じが
しましたよ。ああ、もっと頻繁にここにくればよかった、
妻が亡くなる前に一緒にこれればと思いました。中学校は同じ場所に
ありましたが建物は新しくなってて、グランドで野球の練習をしてましたね。
そこから、親戚の家にあいさつに行って帰ろうと思ってたんです。
中学校の裏側の道に出ると片側が林になっていて、休み休み歩いてくと、
小さな神社があったんです。あれ、こんなとこに神社なんてあったかな、
と思いましたが、その道はあまり通ったことがなく、私が見落としていた
だけだろうと考えました。でね、お参りしていこうと思ったんです。
小さな鳥居に神社の名前はなく、そのときは御祭神もわかりませんでした。

短い参道を抜けるとすぐに社殿の前に出ましたが、参拝者は誰もおらず、
社殿の前に大きな竹の輪があったんです。はい、火であぶったのか、
数本の竹が束ねられて丸い形になっていました。そのとき、茅の輪くぐり?
と思ったんですが、あれ、行われるのは6月の末ですよね。
そのときは10月でしたので、違うのかもしれません。くぐってみようかとも
考えましたが、作法もわからないし、ただお参りだけして戻りました。
はい、病気が再発しないようにお願いしたんです。で、その次の月、
病院に行って検査をしたら、腫瘍マーカーが上がっているということで、
抗癌剤を強く勧められました。でも、再度お断りしたんです。
もう治療はしたくありませんでしたから。痛みなどが出てきたら
その管理だけお願いしようと考えていたんです。

それから数日後ですね。いつものように早朝の散歩に出ました。
腫瘍マーカーは上がっているとしても、体調はどんどん回復してきてて、
かなり長い距離が歩けるようになってました。私の家の近くには
運動公園があってそこへの往復です。でね、少し坂になったところを
歩いてると、横の草地に竹の輪があったんです。はい、あの神社で見たものと
同じでした。おかしいなあ、何でこんなところにと思いましたが、
何気なくくぐってみたんです。そしたら、中は霧のようなものにつつまれてて、
今さっきくぐった輪が見えなくなってしまったんです。方角もわからない。
奇妙だなあ、と思いながら後ろを向いて進んでくと、急に霧が晴れ、
田んぼの中に立ってたんです。まわりの景色になんとなく見覚えがありました。
あの実家のある町の、昔の風景のような気がしました。

脇から声をかけられました。「よう、山ちゃん、何でこっちに来た」見ると、
半ズボンをはいた男の子が立ってて、ひと目で誰だかわかったんです。
慎ちゃん・・・慎司という私の幼馴染の子で、家が近く、小学生のときには
いつも遊んでたんです。そのときは気がつきませんでしたが、
慎ちゃんと私の目線が同じ高さだったので、私も子どもに戻ってたのかも
しれません。慎ちゃんは坊主頭の額にシワを寄せ、「こっち来るな、
 戻れ、戻れ」かんしゃくを起こしたような声でそう言い、
私の背中を強く押したんです。ふっと気がつくと、私は運動公園へ向かう
道端にしゃがみ込んでいて、竹の輪はどこにも見あたりませんでした。
ああ、体調が悪くなって幻覚を見てたのか、そう考えてゆっくり立ち上がり
ました。そのとき、慎司はもう20年も前、小さい子ども2人を残して

交通事故で亡くなっていることを思い出したんです。・・・あれはもしかして
死後の世界なんだろうか、まあ、夢なんだろうけど、あそこに戻れるのなら
死ぬのも悪くはないのかな、という気になったんです。
翌月の検査で、腫瘍マーカーはさらに上がっていて、医師からは、
ここで治療をしないのなら、緩和ケア病棟のある病院か、
自宅に往診してくれる医師を探したほうがいいと言われました。
まあ、それならそれでしかたないと思いました。でもね、背中に少し
張りがあるくらいで、痛みはなかったんです。それから、散歩のときに
竹の輪は2度見ました。自分の意志でくぐりましたよ。2回目は私が
小学校前の時代でした。まだ若い両親がいて、やはり前と同じように、
私が来たことを強く叱り、すぐに戻るように2人そろって言ったんです。

最後は、私が中学のときですね。中学校の通学路を、制服を着た妻と
いっしょに歩いていました。妻はその頃から勝ち気な性格で、
「こっちに来ないで、まだやることがあるでしょう」そう言って、
私をその世界から強く押し出したんです。・・・その後、緩和病棟のある別の
病院で検査を受けたら、腫瘍マーカーは正常値になっていて、CTに写っていた
モヤモヤした影もなくなっていたんです。ええ、あの神社にはもう一度
行きましたが、竹の輪は立っておらず、神主さんに話を聞いても、そういうのを
設置したことはないと言われました。でね、今 住んでる市には私と妻が神前式を
あげた大きな神社があり、そこに行って、あったことを話しました。神職は黙って
聞いてから、「貴方には何かまだ、使命があるのでしょう」と言われたんです。
それで・・・考えたすえに、この地域の患者会を立ち上げることにしたんですよ。





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