FC2ブログ

魂の問題2

2013.12.25 (Wed)
前に心脳問題について取り上げましたが、
あの項では「魂=心」として話を進めました。
それだとちょっと不十分な点があるので補足させてください。
魂の概念は、様々な宗教あるいは神(人)智学ごとに多様ですし、
エーテル体、アストラル体などに分化されていると考える立場もあります。

古代の道教では「魂魄」という概念がありました。これは、「魂」は、
精神を支える気、「魄」は肉体を支える気ととらえられていたようです。
しかしほとんどの場合、魂は人格(霊格?)を持つことになっています。
つまり魂は気質や性癖を持って思考することができるんですね。
ただし生前の記憶を持っているかどうかは判断が分かれます。

これは宗教の性質を考えると、
どうしてもそうならざるを得ない面があると思います。
天国と地獄のある宗教では、生前の行為によってどちらに行くかが決まります。
もし人の死と同時に魂が浄化されてしまうのであれば、
天国で喜びを得るのも、地獄で罰の苦しみを受けるのも、
意味のないことになってしまうのではないでしょうか。
言葉は適切ではないかもしれませんが、
その個人の生き方に対して賞と罰があることになっているわけです。

これは輪廻を含む宗教もまた同じで、
生前の行為によって来世がどうなるかが決まります。
前世で悪行を働いたものは後世で悲惨な境遇の下に生まれ変わるのです。
これなどはカーストなどの社会的な身分制を
肯定する役割もあるのかもしれません。

「今お前が賤しい身分になっているのは前世の報いである」というわけです。
また、その身分の中でせいいっぱい生きて期待される役割を果たせば、
よい来世が待っている、という希望を持たせることもできますし。
この場合は輪廻の時点で前世の記憶は失われるのが普通ですが、
退行催眠で前世の記憶を思い出したなどの話が評判になることもあります。

スピリチュアルでも、魂は輪廻をくり返し試練に耐えることによって
成長していきます。そしてある段階まで霊格が高まった場合、
より高次の次元へと魂が昇華していくと説かれます。
ですから、生まれ変わりのときに、自ら魂を磨く試練を望んで
障害をもつ境遇に生まれるとか、試練からの離脱である自死は、
けっしてしてはいけないとか言われているわけです。

これらの宗教においては魂などというものはなく、
脳活動が終わればあとは何もなし、となってしまうのはひじょうに都合が悪い。
また魂があるとしてもそれに人格が付与されていなければ、
天国や地獄、罪と罰という概念が無意味なものになりかねないのです。
しかし少数ですが、魂は人格を持たないという考え方もあります。

魂とは生命を支える火のようなもので、
それが肉体から抜け出すと人は死を迎える。
心は肉体に付随したもので、魂とはもっと純化された
生命そのものであるという具合です。
そしてこれは心を持たないのだからいいも悪いもありません。
ただ常世の国に戻ってゆくだけなんですね。

この考え方は日本の古神道に近いと思われます。
神道は歴史の過程で様々な概念が付与され、仏教の影響も受けて
変質してきました。そして明治からの天皇中心の神道により、
発生した古代のころの姿は失われてしまいました。
ただ自分が調べた限りでは上記のような考えに近いのではないかと思うのです。

肉体が失われることで、穢れが浄化され、
自我が消え去り産土(うぶすな)神の元に戻っていくという形です。
産土神というのは巨大な生命の固まりであり、
そこからまた魂が離れてこの世に戻ってくることもありますが、
これは輪廻とは異なり、一人の個人が再生をくり返すわけではありません。
以上補足にしては長すぎました。

心脳問題とリベットの実験




関連記事
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://scoby.blog.fc2.com/tb.php/213-3ecffb9e
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する