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虹の神様の話

2019.09.29 (Sun)
あ、どうも今晩は。私は永沢と申しまして、電力関連会社の海外事業部に
勤務しております。さっそく話を始めますが、もしかしたら本当に
あったこととは信じてもらえないかもしれません。
なんというか、全体がファンタジー小説みたいな内容ですから。
それに、怖いかといえば、それほど怖いというわけでもない。
でも、実際にあったことなんです。あ、スミマセン、前置きはこれくらいに
しておきます。私ね、子どもの頃、喘息だったんです。
今思えば、アトピーからきてるものだったんでしょうけど、
当時の医者はよくわかってなくて。いったん咳が始まると、
ほんとに死ぬんじゃないかと思うくらい苦しい。東京で生まれたので、
父親は空気が悪いからだろうって言って、小学生のときは

ずっとマスクをつけさせられてたんです。今でこそ、マスク姿は
珍しくないけど、当時は恥ずかしかったですよ。それでも、
大きな発作は年に何回か程度でしたけど。あ、ここからの話は、
詳しい地名などはふせさせていただきます。迷惑がかかるかもしれませんから。
ええと、小学校2年のときからかな、なるべく東京から離れたほうが
いいだろうってことで、夏休みはほぼずっと、沖縄のある島に
長期滞在してたんです。いや、うちは特に裕福なほうではなかったです。
父は普通の会社員でしたし。父の兄、私にとっては伯父さんにあたる人が、
当時沖縄に住んでまして、そこに行ってたんです。
その人、会社員だったんですが、趣味のスキューバダイビングが高じて、
脱サラで家族ともども沖縄に移住してしまったんです。

向こうで、ダイビングと釣りのショップを開き、ダイビングのインストラクター
も始めました。父とは似てなくて、背が高く筋骨隆々でした。
まだ存命で、今でもその面影は残ってます。
沖縄での生活は楽しかったですよ。海はきれいだし、暑いといっても
私には東京のほうがむし暑く感じられました。ただ、この沖縄滞在は、
小学4年生、10歳のときに終わってしまったんです。
そのいきさつも不思議で。伯父さんの家族は、奥さんと娘さんが一人。
娘さんは私より2つ年上の小学6年生でした。名前を岬さんと言ったんですが、
もう亡くなってしまってるんです。奥さんは優しかったんですけど、
岬さんはすごく性格がきつくて、私からすればこわいお姉さんって感じでした。
学校の宿題は全部向こうに持ってってましたから、

それを教えてもらうときなんか特にね。でもほら、お互いに一人っ子だから、
毎年私が来るのを楽しみにしてくれてたそうです。あ、スミマセン、
話がなかなか前に進まなくて。その日は8月の終わりに近く、
もうすぐ夏休みが終わって東京に戻らなくちゃならない時期でした。
伯父さんのモーターボートで、岬さんと2人、無人島に連れてってもらったんです。
伯父さんは新たなダイビングスポットを開発するつもりだったんでしょう。
島に着くとすぐアクアラングをつけて潜っちゃって。
私と岬さんはずっと磯で遊んでました。いや、危険なことはなかったです。
ずっとサンゴ礁が続く遠浅で、膝くらいの深さのところに
色とりどりの魚がいました。2人でそれらをすくったりしてたんですが、
ケンカしちゃったんです。原因が何だったかとかは覚えてないです。

それで別行動になりまして、私が海沿いの岩場を歩いてると、波打ち際に
丸い青いものが浮かんでたんです。そのときは生き物だとは思わなかったですね。
人工物のような青さでしたから。フリスビーか何かじゃないかって。
けど、下りていくと、かなり大きいものだってわかりました。
直径が1mくらいでタライのように漂ってる。手で触れるとこまで近づきました。
青い表面が水から出てたんで、指で触ってみると柔らかかったんです。
うーん、何というか、ごく細かい青い砂を大きなお盆に敷きつめた感じで、
なぞったとおりに白く跡がついたんです。面白かったんで、
自分の名前なんかを書いてみました。そのときはピクリとも動かなかったん
ですけど。背後で「あっ!」という岬さんの声が聞こえました。
続けて「ダメ! それ神様だよ」驚いてふり向くと、岬さんがすごい勢いで

走ってきて、私のシャツの背中をつかんで引っぱったんです。
そのとき、その丸いものがギラッと輝き、一瞬で鏡面に変わったんです。
私と岬さんの顔がはっきり映りました。同時に、鏡のまわりから何本も
触手が水面上に出てきました。蛸の足のようなのではなく、
クラゲのヒレに近い形でした。それは触手をウネウネと動かし、
ギラギラ光る鏡面のまま、すっと波打ち際を離れ、10mほど沖に出て
海に潜っていったんです。「今の何?」私が聞くと、岬さんは、
「ヌージヌウカミ、虹の神様って意味。前にも見たけど、お父さんから
 さわっちゃいけないものだって言われた」こんな答えが返ってきました。
そのうちに伯父さんが海から上がってきたので、持ってきた弁当を食べて
帰ったんですが、私も岬さんもその話はしなかったです。

いや、あれが生き物だとは思えませんでした。鏡みたいに光る生物なんて
いないですよね。当時はネットなんてなかったんで、図鑑で調べてみたけど、
もちろん載ってなかったです。でね、ずっと後年になって、この神様とは
再会することになるんです。翌年から、沖縄には行けなくなりました。
伯父さんが店を畳んで本土に戻ったからです。店をやめた理由は、岬さんが
亡くなったため。小児性白血病という病気で、中学生になったばかりでした。
ここから話は一気に飛びます。私は工科大学を出て、最初に話したように
電力関連会社に就職したんです。入社して3年目くらいから海外事業部に
配属になり、それからはずっと東南アジアを中心に海外出張をしてます。
で、2004年のことです。この年に起きた大きな出来事というと、
マグニチュード9.3と言われたスマトラ島沖地震です。

あのとき、私はタイのビーチのリゾートマンションの配線工事を
担当してました。朝、出勤の途中でした。あの地震と、
その後の津波に遭遇したんです。海が高く高くビルのように盛り上がって、
あっという間に波にのまれました。いや、あれほどの津波が来るとは、
地震の後、誰も考えてませんでしたよ。
タイでの死者は5000人以上、有名ビーチを直撃したので、
その中には外国からの観光客も多く含まれてました。
私はすぐに気を失って、どのくらい時間がたったか・・・
ふっと気がつくと、瓦礫が積み重なった上に
仰向けに寝てたんです。体はまったく動きませんでした。
瓦礫の下1mまで海水がきてて、ぼんやりとそこに目を向けていると、

泥色の水から、青いものが浮き上がってきたんです。
何かはわかりませんでしたが、前にこれ、見たことがある。
そのとき、その青色に字が浮き上がったんです。
私の名前でした。あ、これ、自分で書いたものだ・・・あの日、沖縄の島で。
それから急に光りだして、青色が鏡に変わりました。
最初は灰色の空を映してるだけだったんですが、
人が2人浮かんできました。子どもの頃の私と岬さんです。やがてそれは、
私たちの姿を映したまま沈んでいったんです。救助されたのは
まる1日後です。その間に、いろいろなことを思い出しましたよ。
虹の神様という言葉もね。神様が助けてくれた?
・・・そうなのかもしれませんが、違うような気がするんです。

現地の病院で、体が動かないのはひどい貧血状態になってるからだって
わかったんです。どこにも大きな傷はないのに、体内のかなりの血液が
失われてるって。いやまあね、極限状態で幻覚を見たんだろうと
言われれば反論できませんし、貧血になったのも説明は
つかないこともないでしょう。まあ、こんな話なんです。これも後になって、
岬さんの墓参りで伯父さんと会ったときにこの話はしました。
伯父さんは首を振り、「あれはよくないものだと言われてる。
 海で見つけても誰も近づかない」って。
それからは一度も見てませんね、海にもできるだけ行かない
ようにしてます。だって海はつながってるし、
またいつどこで出会うかわかりませんから。





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