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心霊スポットと「愛」の人

2019.10.06 (Sun)
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今回はこういうお題でいきます。ひさびさに「怖い日本史」の話題ですが、
最近あんまり歴史の話を書いてないのは、どうも人気がないんですよね。
今回はどうでしょうか。さて、本項で取り上げるのは、
関東でも指折りの心霊スポットとして知られる「八王子城址」です。

現在の東京都八王子市にあり、交通の便は悪くないので、
もしかしたらみなさんの中にも行かれた方がおられるかもしれません。
八王子城は、北条氏康の三男・氏照が1571年頃に築き、
堅牢な山城として知られていました。それがどうして心霊スポットに
なったのか。これは有名な話ですね。

開放された城址公園ですので夜も入れますが、探索の体験談として、
誰もいないはずなのに人の気配がする、赤い光の玉が飛んでいる、
などの報告が上がっています。城主の居住地であった御主殿近くの
滝では自害した子女のうめき声が聞こえ、観音堂には、
武士とその妻女たちの幽霊が出現するとも言われます。

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さて、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして、関東の覇者
北条氏を攻め滅ぼすことを決意します。1590年の小田原征伐です。
秀吉は全国の大名に号令をかけ、部隊を大きく2つに分けます。
家康と西国大名による主力部隊と、前田利家を大将とする北国部隊。

北国部隊は、前田軍1万8千、上杉軍1万、真田軍3千など、
総勢3万5千を超える大軍だったと見られています。
これに八王子城が攻められたわけです。当時、城主の氏照らは
小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代とわずかの将兵、
付近から集めた農民など3千人ほどが立て籠もったようです。

北条氏直
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これは圧倒的な兵力差ですよね。のみ込まれるのは時間の問題でした。
戦国時代の籠城戦は、城主が降伏し切腹などの処分を受け入れれば
城兵は許されることが多かったんですが、八王子城合戦は
殲滅戦となります。どうしてそうなったかの理由は、
おいおい述べていきたいと思います。

さて、ここからの話は半分伝説ですので、そのつもりでお読みください。
八王子城で捕らえられた者は、兵士だけでなく婦女子までもが
首を斬られたと言われます。夫や息子などが小田原本城に出向いている
家族が多かったんですね。ですから、小田原城前に運んで首を晒せば、
北条側の戦意が削がれ、士気が下がります。

そのため、どうせ助からないのなら見せしめにはなりたくないと、
婦女子はこぞって自ら喉を短刀で突き、御主殿前の滝に身を投げたと
されます。その数、数百から千人、そのため、滝から流れる川は
彼女達の血で三日三晩赤く染まった・・・まあ、伝説なんですが、
これに近いことはあったんだろうと思います。

御主殿の滝 意外にちゃちい
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麓の村では、その川の水で米を炊けば、うっすら赤く染まるほどで
あったと伝えられ、それが元になって、現在でもその地域では
供養のために「あかまんま 赤飯」を炊いて供えるということです。
そして八王子城址は怨霊の地となったわけですが、では、八王子城の
攻め手の将は誰かというと、上杉軍の直江兼続なんですね。

直江兼続は戦国武将としては近年、たいへんに人気がありますよね。   
米沢藩上杉景勝の家老であり、独立した大名ではないのに
この人気は異例なんですが、これはおそらく、原哲夫氏の漫画
『花の慶次』など、いろんな作品で取り上げられていることが
大きいんだろうと思います。

それと、下図の「愛」を象った前立の兜の印象もあるでしょうか。
では、兼続はどうしてそんな残虐な戦いを行ったのか。
これは兼続と秀吉との深い関係が関わっているものと思われます。
1588年、上杉景勝に従って上洛した兼続は、陪臣であるにも
かかわらず、秀吉と面会して豊臣の姓と従五位下の位を授けられます。

兼続の兜
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秀吉は兼続をたいへん気に入っており、景勝の下から離れて秀吉直属の
仕官を打診しましたが、兼続は角が立たないよう、これをやんわりと
断ってるんです。また、このとき兼続は、将来呼応して関ケ原の戦いを
起こすことになる石田三成とも会っています。

八王子城合戦の話に戻って、北国部隊は埼玉の鉢形城攻略に
大苦戦します。徳川軍から援軍に出た本多忠勝らの助けを借りて
なんとか落城させるものの、手間取ったため、兼続は秀吉から
厳しい叱責を受けてるんです。そして、その次が八王子城でした。

直江兼続
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小田原征伐は最終的に、小田原城が開城し、北条氏政、氏照らが秀吉に
切腹を命じられて終わりを迎えます。当主の氏直は助命されました。
余談ですが「小田原評定」という慣用句は、このときの北条氏
における重臣会議のことで、現在では「いつになっても
結論の出ない会議や相談」という意味で使われています。

この後の八王子城は、家康によって廃城とされたものの、徳川幕府の
直轄地として明治維新まで立入禁止にしていたため、比較的遺構が
よく残っています。麓には2012年にに完成した八王子城
ガイダンス施設があり、展示解説スペースのほか、休憩、
レクチャースペースなどがあります。

さてさて、ということで、義の人、愛の人などと言われる直江兼続
ですが、戦国武将の一人であり、戦いにおいては非情に
行動するのは当然でした。でもさすがに、戦いから400年以上も
たった後、ここが心霊スポット化するとは思いもよらなかった
でしょうね。では、今回はこのへんで。

八王子城址で撮られたとされる心霊画像
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コメント
こんにちは。
歴史系は人気が低いですか!ではポチポチしておきましょう。

八王子城は直江兼続が攻めたんですね。行田の忍城は石田三成でしたから有名人が登場しています。私は此の時代の知識がないのですが、今でも大河ドラマの『真田丸』『利家とまつ』『天地人』の3本はサイクリックに見ています。他の大河と違ってコミカルな脚本が好きなんですが。兼続はどのドラマでも魅力的な人物に描かれていますね。
形名 | 2019.10.07 14:59 | 編集
コメントありがとうございます
歴史が人気がないというのはあくまで自分が書くものの
中でのことで、自分が書くのは普通の歴史ではなく
オカルトがかった歴史なんです
ですから、真面目な古代史の論考などはまた違うと思います
bigbossman | 2019.10.08 00:52 | 編集
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