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皮剥の山の話

2019.10.08 (Tue)
無職 大脇剛造さんの話
いいんかね、こんなじいさんの話で、しかもだいぶ昔のことだ。
もし話し終わってつまらなかったってなっても、謝礼は返さねえぞ。
俺は終戦の年に生まれたんだ。で、あれは俺が数えで10歳、
昭和29年の出来事だな。俺の在所は東北の貧しい村でな。
山あいにわずかな田畑があるだけ。まあ、近隣の村もそれは同じような
もんだったんだが、俺とこはその中でも特に貧しくてな。
何でかって言うと、山の物が利用できなかったのよ。
山に近い村ってのは、一般に山に依存して生きてることが多いんだ。
炭焼きをやったり、鳥獣を獲ったりしてな。ところが、俺の村は
そのほとんどが村の掟で禁じられてたのよ。
どうしてかというと、何でもその昔、その村ができたばかりの頃に、

山に棲む皮剥(かわはぎ)ってのと取り引きをしたからってことだった。
え、皮剥って何かって? 今、その話をしてるとこだろ。
あわてなさんなって。その村の掟ってのは、とにかく山の物に
手を出しちゃいけねえ、山に入っちゃなんねえってことだ。
だから、近くの村々じゃ猟銃を持ってる者がたくさんいたが、
俺のとこは一人もいなかった。山は皮剥の領分だったんだよ。
といっても、さっきわずかな田畑しかねえって言ったろ。
だから、冬場は食うものに困った。それでな、皮剥との決め事で、
春秋に決められた場所で、山菜やキノコ類を採るのは許されてたんだ。
けど、その場合も、山には必ず2人以上で入る。けっして山中に
泊まっちゃなんねえって約束で。決められた場所ってのはな、

村の背後の山に入ると、ぐるっと山頂をとり囲むようにして、
注連縄を巻いた大岩があるんだが、それよりも先に入っちゃいけねえ
ってことだった。ああ、俺もそこまでは親父に連れられて行ったことが
あるよ。そうだな50mおきくらいに、人の背丈の倍くらいの
すべすべした岩が立ってる。全部で20もあったかなあ。それらは大昔、
磐座として祀られたものらしい。あ、それとな、村には一本渓流が
流れてて、その源流はちょっとした湖になってた。そこで魚を獲るのは
自由だったんだ。尺を越す岩魚や小魚がたくさんいた。
だから、冬場のおかずはいつもそれらを塩漬けにしたもんだったよ。
あ、すまねえ、なかなか本題に入らなくて。村の街道の最奥に、
善徳寺っていう寺があって、村のもんは全員がそこの檀家だった。

寺の住職は、当時60歳過ぎたばかりくらいで、奥方を早くに亡くし、
一人で村の仏事をすべてこなしてたんだ。息子が一人いて、
曹洞宗の他の大きい寺に修行に出てた。あとな、墓の掃除なんかをする
寺男が一人いて、70過ぎのじいさんだったな。そのじいさんが、
朝方に村長の家に駆け込んできた。住職が山に入って帰ってこねえって
言うんだ。こら大事だろ、さっき言ったように、山の中で泊まっちゃ
ならねえんだ。なして山へ入ったか聞いたら、前日、一人息子が
顔を見せに帰ってくるって電報が来たらしい。それで、昼過ぎから山に
一人で入って山菜を採ってこようとしたんだな。ああ、精進料理の
材料にする。それが、夜になっても戻ってこない。とうとう朝まで
帰らなかったから、じいさんが村長に知らせに走ったってわけだ。

それからは、村長とこに村の主だった連中が集まって大騒ぎよ。
とにかく磐座の奥へは入っちゃいねえだろうから、探しに行こうって
ことになった。そういう役は青年団がやる決まりだったんだが、
ほら、戦争で村の若い者のほとんどは出征して、帰ってこないものも
多かった。青年団はほぼ壊滅してたんだよ。それで、残ってった村の男が
2人、3人で組をつくり、手に鉈を持ち、首から呼ぶ子を下げ、
麓から山に入ってったんだ。1時間ほどして呼ぶ子が鳴るのが聞こえ、
みなが集まってみると、磐座の一つの下に住職の作務衣や下着なんかが
まとめられてた。でな、鏡みたいに平らな岩に、赤黒い字で、
「約定どおり○○の皮はもろうた」と書かれてたんだ。〇〇は住職の
僧号だよ。事情はよくわからんが、住職は道に迷ったか怪我をしたかで、

山で一晩過ごさねばならず、やむなく掟を破って皮剥にとられた。
あたりは生臭い臭いが立ち込めててな。その字はたぶん住職の血で
書いたものだ。あと、磐座の後ろ側を覗き込むと、山の奥へ向かって
草の上に血肉が点々と落ちてたんだ。ああ、誰もそれより先に踏み込む者は
いなかった。そうしてるうちに、麓から息せき切って駆け上がってくる者が
いてな、帰省してきた住職の息子だ。みなからわけを聞くと呆然として、
涙を流しながら、その場で長々と般若心経を唱え、寺に住職の着物を持って
帰ったんだよ。寺は急遽、その息子が継ぐことになった。
でな、それから小一年ばかり、住職の姿が山で目撃されたんだ。
村の者が山菜採りに山へ入ると、草の陰から住職が顔を出す。
正確には住職の皮だな。見事に骨と肉を抜かれ、

皮だけになった住職が真っ裸で姿を現すんだ。見たものの話では、
住職の顔に目玉はなく、皮は伸びたりずれたりしていて、
坊主頭にかろうじて住職の面影が残ってるって状態だったそうだ。
あと、住職の腹のとこが異様にふくれ上がって、
中から赤い強い光を放ってる。その赤い光こそが
皮剥の正体だって、昔から伝えられてるんだ。
もちろん見たものは、山菜の入った籠を放り出して村へ逃げ戻る。
そうして何度かそれが姿を現し、とうとう山へ入るものは誰もいなくなった。
その話は新しく住職になった息子のとこにも伝わって、
暗然とした顔をしてたって話だな。で、その年の冬は、村では食うもんが
なくて大変だったそうだよ。まあ、だいたいこんな話なんだ。

え、その後どうなったかって? そりゃ、皮剥がかぶってるのは、
防腐処理とかされてない生身の皮だから、1年も保たず朽ちてしまっただろ。
でな、その翌年、村に県のほうから話があって、渓流の奥にある湖を
ダム湖にするってことだった。村議会ですったもんだあったが、
結局みなが賛成した。かなりの額の補償が出るってことだったから。
で、皮剥の棲んでる山は半分削られて大規模なダム湖ができ、村はその底に
沈んだんだ。村の者は親戚を頼ったり、補償金で他所で商売を始めたりしたんだ。
皮剥がどうなったかって? いや、それはわからん。まだあの山にいるの
かもしれん。・・・最初にな、この話は俺が10歳のときに起きたって
言ったよな。だから、この内容は、後になって親父から聞いたもんで、
もしかしたら、細かいとこに間違いとかあるかもしれんよ。

大学生 石川健介さんの話
ついこの間、先週の日曜にあったことです。仲間と3人で、あるダム湖に
行ったんですよ。そこは観光地とかじゃなくて、ほんとに山の奥でね。
俺らみな初めて行ったんです。一本道でわかりやすかったですけど。
献花しようと思ったんです。というのはね、俺らと同じゼミの
菅原ってやつがそこで自殺したんで。いや、理由ははっきりとは
わからないんです。失恋したともノイローゼとも言われましたが、
俺が死ぬ前に会ったときには普通の様子だったんですけど。
遺体は発見されてません。何でそのダムで自殺したかわかったかっていうと、
菅原の部屋のパソコンに遺書が残ってたんです。そのダム湖に
飛び込むっていう。これもよくわからないんですけど、どうやら、
菅原の両親がそのダムの場所にあった村の出身者みたいで。

でね、着いてすぐダムの管理施設に顔を出したんですが、誰も出てこなくて。
まあ、見回りとかに行ってるんだろうって思いました。
秋なのでダムの水は少なかったですね。3人で花束を持って、コンクリ壁の
上を歩いてって、適当なとこで花を湖面に投げ込むつもりだったんです。
あたり一面の山は紅葉で、水はその色を映してきれいだったけど・・・
ここらにしようか、って言い合ってたとき、水の中に赤く光るものが
いたんです。大きな魚だろうか。しかし、魚が赤い光を放つってことは
ないですよね。その光はだんだんコンクリ壁のほうに近づいてきて、
ぼこっと水面に頭が出たんです。・・・菅原の頭だと思いましたが、
遠くてよくわからなかったけど、目のところから赤い光がもれてたんです。
みな怖くなって逃げちゃいました。で、車から警察に通報したんですよ。





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