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「酒池肉林」って真実?

2019.11.11 (Mon)
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今回はこういうお題でいきます。中国史の内容ですね。
まず、どのくらい昔のことかというと、今から約3100年前、
紀元前11世紀のお話です。日本だったら縄文時代です。
こんな古いことなのに現代に伝わっているのは、中国に
文字があったからですね。この当時は甲骨文字が使われていました。

さて、酒池肉林ですが、商(殷)王朝第30代の王である、
紂王(帝辛)の時代の話です。紂王は聡明で力も強く、はじめの
うちは善政をしいていましたが、妲己という美女を妃に迎えると、
情愛に溺れ、妲己の言うままになって国が乱れます。まずは自分の
気に入らない高官たちを次々に粛清するんですが、

紂王(帝辛)
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現代の北朝鮮みたいですね。宰相であり、紂王の親族でもあった
比干(ひかん)が、国が乱れていると諫言すると、妲己は、
「聖人の心臓には9つの穴があいているそうなので見てみたい」
こう紂王に告げ、比干は生きたまま心臓をえぐり出されてしまいます。

これでますます紂王の暴虐に拍車がかかり、刑罰のために炮烙(ほうらく)
という装置を考え出します。炮烙がどのようなものだったかには2つの
説があり、一つは、縦に長い銅製の筒で、それに向き合う形で罪人を
縛りつけ、中で火をたく。もう一つは、大きな焚火の上に油を塗った
銅の筒を橋のように渡し、罪人を歩かせて火の中に落ちるのを楽しむ。

妲己の正体は九尾の狐?
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自分はどっちかというと後者の説ですね。理由は後で述べます。
紂王は妲己の頼みで、商の都に鹿台という高楼をつくります。
その建築に莫大な税金を注ぎこみ、そのため国民は重税で苦しみます。
いよいよ酒池肉林の始まりです。酒のわき出る池をこしらえ、
木々の枝には干肉をつるし、間に裸の男女をはべらせる。

紂王は妲己と2人、その中を歩き回って淫蕩のかぎりをつくす・・・
ここまでが伝説であって、実際にあったことかは何とも言えません。
紂王について初めてくわしく記されるのは司馬遷の『史記』殷本紀ですが、
成立したのは前1世紀ころで、紂王の話はそれより1000年も前の時代
なんです。司馬遷が、どんな文献を参考にしたかもよくわかってません。

「歴史は勝者がつくる」という言葉がありますよね。
商は紂王の治世に、周の武王によって滅ぼされました。周代の政治は、
孔子を始祖とする儒家がたいへん高く評価していて、易姓革命の正当性を
示すために、ことさらに紂王を悪く言っている可能性は否定できません。

炮烙の刑には2つの説があります
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紂王の正式名は「帝辛」で、「紂」は後代の悪い諡(おくりな)です。
「義を残(そこ)ない、善を損なう」という意味で、また、
「しりがい、牛や馬の尻にかけるひも」という字義もあります。
これは、紂王が商の最後の王であることを表してるんでしょう。

中国には、易姓革命の典型的なパターンがあります。まず、王が
独裁をしいて賢臣を遠ざける。美女の色家に溺れ、国政を顧みなくなる。
ここで天はその王を見放し、別の姓を持つ人間を選んで、
王となる天命を授けます。そうして革命が起きる。商の前は夏王朝
でしたが、その最後の桀王(けつおう)がこの嚆矢です。

商の勢力範囲は後代の中国王朝のように広くはありません
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桀王は末喜(まっき)という美女の色香に溺れ、酒の池に船を浮かべ、
干肉を山のように盛り上げた、肉山脯林(にくざんほりん)を
行ったとされます。どうでしょう、紂王の故事とほとんどそっくり
ですよね。この他にも、中国では国を傾けた美女には、
楊貴妃、西施、架空の人物ですが貂蝉などがいます。

さらに後代になって、通俗小説『封神演義』で、妲己は千年を生きた
妖怪、九尾の狐の化身であり、商を滅ぼすために天界から遣わされた
ことになっています。ここでは、妲己は蠆盆(たいぼん)という刑を
考え出します。国民一人ひとりから蛇を供出させ、大きな穴に
数万の蛇を入れて、気に入らない女官をそこに突き落とす遊びです。

太公望呂尚の乗る車を牽く周の文王
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この『封神演義』の影響は中国ではひじょうに大きく、紂王と言えば
悪の化身、それを討った周の武王と軍師の太公望は善の象徴みたいな
イメージができあがってしまってるんですね。ですから、
紂王の故事については、かなり割り引いて考える必要があります。

さて、では実際の紂王はどういう人物だったのか。まず、妲己について。
その存在をはっきり示す資料は、考古学的にも、文献的にも
皆無なんです。ですから、つくられた人物である可能性があります。
紂王本人については、甲骨文から、祖先の祀りをきちんと行っている
ことがわかっていますし、人身御供の風習をやめさせたりもしています。

最近の説では、紂王は東の他民族に対する遠征を行っていたが、
そのスキを周につかれて滅びたのではないかというのが出ています。
酒池肉林は高台に神を降ろすための一種の儀式であり、
炮烙はそのときに肉を焼くためのグリルであったのが、
後代になって話に尾ひれがつき、悪評となって広まった・・・

殷墟
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商・周の時代は、たしかに多数の生贄、人身御供を行っていますが、
それはほぼすべて占いの結果によるもので、政治の一部でした。
また、生贄も、羌族など、他民族の戦争捕虜が多いんですね。
ですから、紂王が自らの欲望のために、勝手気ままに
臣民を殺したとは、自分は考えにくいように思います。

さてさて、この当時の中国は中央集権国家ではなく、商は、
城塞をめぐらした内部を中心とする都市国家でした。「邑制国家」と
いいますが、このような都市国家が連合して一つの国のように
なってたんです。ですから、後代の中国王朝のように考えると
間違いを起こしやすいでしょう。では、今回はこのへんで。

関連記事 『天命思想と万世一系』 『漢風諡号小考』 『妖怪談義9』

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