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キリストの墓3+

2019.12.17 (Tue)
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今回もクリスマスに向けて、キリスト教のお話。まず、キリストの墓に
ついて話す前に、イエス・キリストは実在していたのか、
という議論は当然あるでしょう。何しろ2000年も前の人物ですから、
実在しなかった可能性もあるとは思います。

とはいえ、そこまで疑ってしまっては話が進みませんので、
ここは実在していたということを前提にして考察していきます。
で、キリストの墓についてなんですが、
3つほどの考え方があります。

① キリストは処刑から3日後に復活し、40日後に天に昇ったとする
  考え方。この場合、キリストの復活はその肉体も含みます。
  ですから、キリストの墓には遺骸は残されていないわけです。
② キリストは復活したが、それは霊魂だけであり、
  肉体は墓に残されているとする考え方。
③ ②と似ていますが、実在するキリストは人間であり、
  死後の復活などはなく、当然、墓にはその遺骸があるとする考え方。

これ、キリスト教の教義的には、もちろん①が正統です。
②はグノーシス主義的な考え方であり、異端であるとされます。
③は宗教から離れ、「ナザレのイエス」という人物は実在していたが、
「神の子」ではなく、普通の人間であったとするものですね。

さて、キリストの墓のとして、有名な2つの候補がエルサレムにあります。
一つは、「聖墳墓教会」です。これはエルサレム旧市街にあり、
ローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世によって、
4世紀頃に建てられたと考えられています。

当時そこはヴィーナス神殿でしたが、発掘によって聖釘や聖十字架が
見つかり、その場所がゴルゴダの丘と比定され、神殿を取り壊して
建設されたことになっています。キリストのものとされる石墓の上には、
「エディクラ」と呼ばれる小さな聖堂がつくられています。
この「聖墳墓教会」については、最近ニュースで取り上げられていました。

「今回、教会の中にある埋葬用の洞窟(横穴)から採取された残留物が
科学分析にかけられ、その結果がナショナル ジオグラフィックにもたらされた。
それによって、墓はやはり古代ローマ時代にはすでにあったことが確認された。
分析にかけられたのは、本来の墓とされている岩と、
それを覆っていた大理石の板の間から採取された漆喰で、
西暦345年のものと測定された。」
(ナショナル ジオグラフィック)

約200年ぶりにキリストの墓の科学的調査が行われて、
その年代測定が行われたということです。
年代測定は放射性炭素によるものだと思われますが、
西暦345年という細かい年代まで特定できるのかどうか、

自分には疑問があります。まあ、今回の調査でわかったのは、
墓自体がコンスタンティヌス1世時代のものである
ということですが、キリストはそれよりも300年も前の人です。

「聖墳墓教会」のエディクラ


さて、2つ目の候補地として、「園の墓」と呼ばれる場所が、
エルサレム内城のすぐ北あります。上記の「聖墳墓教会」は
エルサレムの城壁内にあるんですが、聖書の記述から、
ゴルゴダの丘は城壁の外にあったのではないかと考える人々によって
疑問が出され、この場所がキリストの墓として整備されました。

プロテスタントの中には、こちらが本物だと考える人もいます。
ここで注意していただきたいのは、「聖墳墓教会」も「園の墓」も、
そこがキリストの処刑地と考えられて墓の候補地にあげられたので
あって、墓は自体は後世に作られたものです。ですから、
当然、その中にキリストの遺骸はありません。

エルサレムの「園の墓」


さて、3つ目の候補ですが、映画『タイタニック』や『ターミネーター』
シリーズで有名なジェームズ・キャメロン監督が、2007年に
テレビ番組のドキュメンタリーで紹介したものです。
1980年代、イスラエルは建設ラッシュで、

それにともなって多くの遺跡が発掘されたんですが、エルサレムの
タルピオットで発見された墳墓には10体分の石灰岩の骨壷が
見つかり、それぞれに、イエス、マリア、マタイ、ヨゼフ、マグダラの
マリアという名前がアラム語で書かれていたというんですね。

タルピオットのキリストの墓とされるもの


さらに、6つ目の骨壷にはなんと「ユダ、イエスの息子」と
記されていました。これは驚きですよね。新約聖書に登場する、
キリストの周辺の人物の名前がほとんどあり、
しかもイエスの息子の名前まで出てくるんですから。

もしこれが本当にキリストの墓であるとしたら、大変なことになります。
しかし残念なことに、考古学的にはこれらの骨壷の年代の特定は
難しいようです。この、結婚して子どもまでいるキリストの人間像は、
映画になったダン・ブラウンの小説、『ダ・ヴィンチ・コード』に
大きな影響を与えていると思われます。

この放送に対して、熱心なキリスト教徒から多くの批判が
寄せられました。これは当然ですね。上に書いた①のように、
多くのキリスト教徒は、キリストの肉体は復活して昇天し、
この地上に遺体は残されていないと考えているわけですから。

さらに、キリストに息子がいたなどというのはとんでもない
話なんです。当時のユダヤ人にとって、ヨゼフ、マリア、イエスは
ありふれた一般的な名前でした。ですから、
単なる偶然の一致だろうと批判されたわけです。

さてさて、題名に3+1とあるのは、じつは日本にもキリストの墓とさ
れる場所があるんですね。ご存知の方も多いと思いますが、
青森県、戸来村(現在は三戸郡新郷村)にある塚に、昭和初期、
新宗教団体の教祖であった竹内巨麿が「十来塚」と名づけ、

日本に渡ってきたキリストの墓であるとしたものです。
戸来(へらい)の名がヘブライに通じるなど、いろいろもっともらしい
ことが言われていますが、これがキリストの墓であるという
まともな根拠はありません。では、このへんで。

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