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「獅子王」伝説

2020.01.08 (Wed)
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「獅子王」東京国立博物館 蔵

今回はこういうお題でいきます。自分は刀剣を鑑賞する趣味が
ありまして、当ブログでも「刀剣シリーズ」というのを書いて
るんですが、これはどちらかというと地味な話なので、
興味のない方はスルーされてください。

さて、みなさんは「獅子王」という刀について聞かれたことが
あるでしょうか。例えば、源頼光が酒吞童子を斬ったとされる
「童子切安綱」などは有名ですけど、これはあんまり知られて
ないんじゃないかと思います。この刀の伝説には、二人の武人、
1匹の妖怪、そして一人の女妖が登場します。

どっから話していきましょうか。まず「獅子王」そのものについて。
これは現存する刀で、国の重要文化財です。平安時代末期の
大和の国の刀工作と見られており、刃長二尺五寸五分(約77cm)
やや小ぶりな刀ですが、元は長かったのが、研ぎ削られて
短くなったという説もあります。作者は不詳。

坂上田村麻呂
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次に、坂上田村麻呂の話をしていきたいと思います。
この人物はご存知でしょう。平安時代の武官で、桓武天皇の時代に
征夷大将軍を2度務め、蝦夷征伐をしたことで有名ですね。
田村麻呂については、「田村語り」と呼ばれる説話伝承が
各地に残ってるんですが、これがじつに混乱をきわめていまして。

できた場所や、伝わった時代によって内容がバラバラなんです。
ですから、ここから書く話には異説があります。そのことは
ご承知おきください。さて、次に出てくるのが女妖、鈴鹿御前
(すずかごぜん)です。伊勢国と近江国の境にある鈴鹿山に
住んでいたとされる伝説上の女性で、2つの顔を持っています。

田村麻呂の佩刀として有名な「ソハヤノツルギ」
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一つは、天より使わされた女神としての顔。もう一つは、
別名、立烏帽子(たてえぼし)という名の悪鬼、女盗賊としての
ものです。第六天魔王の娘とも言われます。正と邪の2面性が
あるんですね。で、前述のように、ここから話がごちゃごちゃに
なるんですが、大きく3つに分けられるかなと思います。

① 鈴鹿御前こと盗賊立烏帽子は田村麻呂によって討伐された。
② 鈴鹿御前と立烏帽子は別人で、田村麻呂は鈴鹿御前と協力して
  女盗賊立鳥帽子を倒した。③ 鈴鹿御前は立鳥帽子なのだが、
  本当の悪人は立烏帽子の夫で、田村麻呂は立烏帽子と
  ねんごろになり、その夫の大嶽丸を倒した。

ね、わけわかんないですよね。鈴鹿御前の伝説は、平安時代末頃には
できていたと考えられますが、残っている文献ごとに内容が
違うんです。ですから、鈴鹿御前が現代の作品やゲームに登場
する場合でも、そのキャラクターはバラバラになっています。

鈴鹿山の悪鬼、鈴鹿御前、田村麻呂 これは③の説
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長い話なので先を急ぎましょう。ともかく、田村麻呂は鈴鹿御前から
3本の宝刀を授けられ、それをもとにして大和の国の鍛冶に
作らせたのが、獅子王です。田村麻呂の佩刀としては「ソハヤノツルギ」
が有名で、この獅子王は朝廷に献上されました。

さて、時代は下って源平争乱の少し前、近衛天皇の御世。天皇は
体が弱く病気がちでしたが、その頃、毎夜黒雲が御殿をおおい、
その中で不気味な鳴き声をあげるものがいる。そこで退治を命じ
られたのが、源氏の長者、源頼政です。頼政が先祖、源頼光から
伝わる名弓「雷上動」で雲の中心を射ると、大きなものが落ちてきた。

妖怪 鵺(ぬえ) 実際は鵺という名前ではないと思われる
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これが、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇の妖怪、
鵺(ぬえ)です。ただし、『平家物語』によれば、この怪物の
名前は不明で、鳴き声が鵺(トラツグミと考えられる)に似ていた
と出てくるだけなんですが、後世に鵺という妖怪になってしまいました。

頼政の家来、井早太がとどめをさし、怪物は死んで、帝の病気も
すっかり癒えます。近衛帝はこの褒美として、頼政に太刀、
獅子王を与えるんですね。この後、頼政は平氏全盛の世にあって
源氏最高の従三位の位にまで昇ります。

平安時代に鵺と呼ばれていたトラツグミ
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ですが、76歳で以仁王の令旨を受け、平氏追討に立ち上がるものの、
宇治平等院前の宇治橋で平知盛・重衡らと戦って戦死します。
このあたりのことはご存知と思います。で、獅子王は、頼政の
子孫である但馬国竹田城城主、赤松広秀へと受け継がれましたが、

赤松が関ヶ原の戦いにおいて、鳥取城下を焼き払ったのを徳川家康に
とがめられ切腹を命じられた際、家康に没収されます。
家康はこの刀の由来を知っていたので、自分のものにはせず、
頼政の別系の子孫、土岐頼次へと下賜されることになります。

従三位 源頼政
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土岐家に代々伝えられた獅子王は、明治維新後に皇室に献上され、
現在は東京国立博物館に所蔵されています。やっと最後まで
説明することができました。長い話でしたね。
ただ、現存する刀は、頼政に与えられた獅子王ではないという
説を唱える研究者もいます。

さてさて、ということで、獅子王伝説を見てきましたが、
どこまでが史実で、どこまでが伝説や脚色なのか、まったく判別
できません。歴史ってこういう例が多いんです。ただ、平安末期の
特徴を備えたこの名刀が存在していることだけは
間違いのない事実です。では、今回はこのへんで。

頼政が戦死した宇治橋合戦
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