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妖怪談義5(牛鬼)

2014.01.10 (Fri)
 今回は「牛鬼」をとりあげますが、これは難物です。
なぜかというと各地で伝承される牛鬼の姿形がかなり異なっているからです。
まあ昔の農村は閉鎖社会で、
他地域の情報が入ってくることはまれであったと思われますので、
牛鬼という名前のみが伝わり、各地でその姿形がそれぞれ想像されたと考えれば、
それほど不思議なことではないかもしれませんが。
牛鬼の代表的な姿は、牛の頭に鬼の体というもので、
これは仏教説話に出てくる「牛頭(ごず)」と考えていいかもしれません。
馬頭(めず)とともに、亡者をさいなむ地獄の獄卒として知られていますね。
元はインドからきているようです。

 問題はもう一つの代表的な牛鬼の姿。
水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる、牛の頭にクモの体をもった怪物です。
さらにこの怪物は、海からあがってくるとか、
淵の主であるとか水と関連して語られることが多いのです。
日本の農耕用の牛は水とは本来あまり関係がないと思うのですが、水牛なのでしょうか。
これも疑問です。
あれこれ考えてるうちに、源頼光でつながるかもしれないと思いあたりました。
源頼光は平安中期ころの武勇に優れた武将で、
配下の四天王に渡辺綱や坂田公時(金太郎)などがいたと語られていますね。

 『牛御前伝説』という話があります。
これは室町時代に浄瑠璃で語られたものでこんな筋です。
『平安時代の武士、源頼光の兄弟に、
牛のような子が生まれ牛御前と呼ばれた。
父(源満仲)はこの子を嫌い、須崎という女官に殺すよう命じた。
しかし須崎は娘を哀れに思い山中で密かに育てた。牛御前は凄まじい腕力をもち育ったが、
ふとした事から娘の生存を知った父は激怒し、頼光に討つように命じた。
父の裏切りを知った牛御前は恨みの果てに牛鬼となり、関東に下って鬼の国を作ろうとした。
しかし源頼光と四天王らは、関東に追い、牛御前を追いつめた。
牛御前は隅田川に身を投じ、巨大な化け物となり辺りを水没させた。
死後、牛玉という玉を残した。今も社宝として牛島神社に納められているという。』

ここでの牛御前は、はじめは牛の顔に鬼の角、人間の体のようです。
なにか「件」のところで触れた「牛女」を思わせるものがありますね。
妖怪談義2(予言獣)
また、隅田川に身を投じあたりを水没させたというあたりは水に関連します。

 頼光つながりというのは、
源頼光は酒呑童子をはじめさまざまな妖怪を退治した逸話があるのですが、
その一つに「土蜘蛛」の話があります。
『平家物語』では、
『頼光が瘧(おこり)を患って床についていたところ、身長7尺の怪僧が現れ、
縄を放って頼光を絡めとろうとした。頼光が病床にもかかわらず名刀「膝丸」で斬りつけると、
僧は逃げ去った。翌日、頼光が四天王を率いて僧の血痕を追うと、北野神社裏手の塚に辿り着き、
そこには全長4尺の巨大グモがいた。頼光たちはこれを捕え、鉄串に刺して川原に晒した。
頼光の病気はその後すぐに回復し、土蜘蛛を討った膝丸は以来「蜘蛛切」と呼ばれた。』

おそらくこれが時代的には大元に近い話だと思いますが、
後代の『太平記』や能の謡曲にも取り上げられています。

 鎌倉時代の絵巻『土蜘蛛草紙絵巻』ではこんな話になっています。
『ある日、空を飛ぶ髑髏をみつけた頼光は、渡辺綱とともにこれを追って京都・神楽岡に至る。
この地のあばら屋で出会ったのは数々の妖怪。ついには巨大なけものが現れる。
頼光と綱が力を合わせてこれを倒すと、その正体は土蜘蛛であった。』

そもそも「土蜘蛛」とは、
記紀や風土記に出てくる朝廷にまつろわぬ民のことを指していましたが、
中世の段階でこのように変質してしまっています。
ここで、注目してほしいのは土蜘蛛が虎の顔、クモの体で描かれていることです。
虎とクモは、黄色と黒の縞模様からの連想かもしれません。
あと方位や時刻を表す丑寅(艮)という言葉もありますよね。

 伝承というものは複数の話が融合したり、
より興味深い形に改変されたりして伝わってくるものだと思いますが、
源頼光ー牛御前ー土蜘蛛ー牛鬼(クモの体)と、一つの流れがあるような気がします。

『地獄草紙』の牛頭馬頭 シアトル美術館


『百怪図巻』佐脇嵩之のうし鬼


『土蜘蛛草紙絵巻』模写部分


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