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鴨島伝説について

2020.03.27 (Fri)
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今回はこういうお題でいきます。日本史の話なんですが、かなり地味な
内容になりそうなので、スルーされたほうがいいかもしれません。
さて、みなさんは柿本人麻呂の名前はご存知だと思います。
『万葉集』を代表する歌人であり、長歌の完成者とされ、
後の時代には、山部赤人とともに「歌聖」と呼ばれました。

生没年や出自などは不明。なぜかというと、当時の歴史書である
『続日本紀』に記載がないからです。定説では、人麻呂は
7世紀後半から8世紀初頭にかけての人物で、
身分の低い(六位以下)の下級官吏とされてきました。ただ、
歌が巧みであったため、宮廷歌人として大きな行事などに参加していた。

正史である『続日本紀』には、五位以上のものの事績については
必ず記載されるので、この説は当然ではあるんですが・・・
じつは謎もあるんです。905年に紀貫之らによって編纂された
『古今和歌集』の仮名序は、貫之が書いてるんですが、そこに、

紀貫之
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「いにしへよりかく伝はるうちにも、ならの御時よりぞ広まりにける。
かの御代や歌の心をしろしめしたりけむ。かの御時に、正三位柿本人麿
なむ歌の聖なりける。これは、君も人も身を合わせたりと
いふなるべし。」と出てくるんです。

要約すると「柿本人麻呂は なら帝(平城天皇)の時代の人で、
正三位であった」ということなんですが、上記したように、まず正三位
ではありませんし、平城天皇の時代からは100年も古い人です。
それなのに、なぜこのようなことが書いてあるのか。

まあ、紀貫之の時代には、人麻呂の正確な情報は失われていて、
言い伝えだけが残っていたというのは考えられるでしょう。
また、君臣一体で和歌が隆盛した時代があったという
貫之の理想が語られているのだろうという説もあります。
正直、自分にもよくわからない部分です。

柿本人麻呂
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で、この謎に食いついたのが哲学者の梅原猛氏で、著書『水底の歌』で、
柿本人麻呂は身分の高い人物であったのが、何かの事件に連座して、
「柿本猨(さる)」と名前を変えられ、石見国(島根県)現益田市の
益田川の河口沖合にあった鴨島という場所で水死刑にされた。また、
柿本猨は猿丸太夫と同一人物である、という説を発表しました。

ちなみに、柿本猨は正史に記述があり、従四位下で死去しています。
まあねえ、人麻呂→猨(猿)という連想は面白いと思います。
後代、道鏡事件で、女帝称徳天皇の不興を買った和気清麻呂が
別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられた例があり、
清麻呂の姉の広虫は狭虫(さむし)とされました。

梅原猛氏
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ただ、この説の一番の弱点は、人麻呂が関与した事件が何か
ということがまったくわからないところです。大事件なら必ず正史に
書かれているはずですが、そういう記述はありません。
もともとそんな出来事はなかったと考えるべきですよね。
それと、水死刑というのも、当時の刑罰にはありません。

さて、では何でこの話が出てきたかというと、人麻呂の辞世の歌とされる
「鴨山の 磐根し枕(ま)ける 吾をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ」
の歌によるところが大きんです。この説は梅原猛氏のオリジナルではなく、
刑死ではないものの、石見国の鴨島で亡くなったという話は古くから
伝わっていました。故郷に戻って病気になった人麻呂は、自ら鴨島という
孤島に渡り、そこで死んだ。これだったら可能性はなくもないでしょう。

石見国 鴨山
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では、鴨島はあったのか。そこには人麻呂を祀る神社が建てられていたが、
大地震による津波で水没し、人麻呂の木像は現島根県松江市松崎に
流れ着き、その地に新たに人丸神社が建てられたという地元伝承が残っています。
鴨島が水没したのは、1026年の「万寿地震」で、この地震があったこと、
津波が起きたのは事実であろうと考えられるようになってきました。

鴨島について、1972年に梅原猛氏自らが調査隊を率い、
プロダイバーによって、鴨島の沈んだ跡とされる大瀬と呼ばれる地形の
調査が行われました。また、その20年後の1993年、
地球物理学者の松井孝典氏を団長として海底調査が実施されたんです。

結果としては、海底に地殻変動による横ずれ断層が確認され、
万寿地震があったのはまず確実だろうが、鴨島が実際にあったとまでは
言えないというものだったんですね。もし鴨島あったのだとしても、
ほんとうに島であったのか、砂州地形だったのかもわからない。

法隆寺 救世観音菩薩像
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ということで、鴨島で人麻呂が亡くなったということまでは否定
できないものの、人麻呂が事件に関与して猨と改名させられ、
流刑にされた上で水死刑に処されたというのは、さすがに
根拠のない話であり、学会に受け入れられてはいません。

さてさて、ここまで読まれて、自分が梅原説を批判していると思われる
かもしれませんが、そうではありません。すごい着想だなあと
感心しています。梅原氏には、この他にも聖徳太子は殺害され、
その怨霊を封じるために法隆寺が建てられたのであり、
秘仏、救世観音菩薩像は聖徳太子の姿であるとする

『隠された十字架』の著作もあります。これ、自分は学生時代に読んで
強い感銘を受けました。とにかく論証がスリリングなんですね。
聖徳太子の死の周辺事情についてはよくわからない部分があり、
また法隆寺の建造目的についても謎が多いんです。
では、今回はこのへんで。

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コメント
私も「隠された十字架」を初めて読んだ時は純粋に面白いと思いましたね。なぜか、同じ本を2冊も持っています。しかし、その後、法隆寺を美術史から研究した学者、建築史分野、仏教史の学者の本を順次読んでいくと、梅原氏の視野の狭さが気になるようになりました。所詮、哲学が本業であり、歴史に関しては素人なのかなと。でも梅原氏の説が完全否定された訳ではないですけどね。彼は大御所ですが、哲学者なので、歴史学者からは文献批判の対象にならないようです。それがある種、浮いてるように見える原因かな?笑
形名 | 2020.04.29 12:22 | 編集
コメントありがとうございます
歴史と一口に言っても一般書店に並ぶ新書的なものと
専門誌に載る論文ではまったく違いますからねえ・・・
一般書はなかなか学問的評価の対象にはならない
そのかわり読み物としては面白い
これはまあ医学とか何でも同じでしょうけど
bigbossman | 2020.04.29 21:35 | 編集
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