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死人の呪いの話

2020.05.04 (Mon)

こんばんは、山根ともうします、よろしくお願いします。
これですね、今年の1月から私の身に起きたことなんです。
今は何とか解決しましたけど。それで、解決にあたっては、
bigbossmanさんという占い師の方にお世話になりまして。
ああ、ご存知なんですよね。私、大阪のほうに住んでまして、
ちょくちょくbigbossmanさんの占いのお店に行ってて、
ときどき占いもしてもらってたんです。それが、今回の
出来事がありまして、あまり気味が悪いのでbossmanさんに
相談したら、自分では手に負えそうもないからって、
Kさんという霊能者の方を紹介していただいたんです。
その方には本当にお世話になったんですが、すべてが解決して、

こちらからお礼を渡そうとしても、まったく受け取っていただけ
なかったんですよ。霊障事件を解決するのは人助け、
ボランティアだからって。そのかわりというか、ここで今回の
体験を話してくればいいと言われまして。え、ここで謝礼が出る?
いえいえ、それは辞退させていただきます。人前で話すことに
慣れてませんので、とにかく事が起きた順に説明していきます。
じつは、身内の恥をさらすことになってしまうんですけども。
昨年の12月ですね、私の実父が亡くなったんです。77歳でした。
母は10年ほど前にもう他界してて、父は神戸で一人暮らし
してたんです。元気だったんですが、ええと、2年前のことですね。
脳梗塞の発作を起こしまして、長期間入院しました。

それは何とかよくなったものの、少し麻痺が残りましたし、
長期間の入院で足腰が弱り、それと認知症になってしまって。
はい、そういうことってよくあるみたいです。入院して病気のほうは
よくなっても、長い間の単調な病院での生活で、一気に認知症が
進んでしまうって。それで、介護保険を申請して、
ヘルパーさんに来てもらうようにし、自宅療養してる父のもとに、
私も2日に1回は通うようにしてたんです。あ、私は結婚して
おりますが、子どもたちはもう独立して、主人と2人暮らしです。
主人のほうの両親はお二方ともご健在で、そちらの心配は
ありませんでした。主人は父を引き取って同居してはどうかと言って
くれたんですが、父の家までは1時間もかかりませんですし。

ところが、去年の秋に2回めの脳梗塞を起こして入院、
お医者さんには、もう処置に耐えられないだろうと言われて、
2ヶ月ほどしてそこの病院で亡くなりました。それで・・・
ここから身内の話になるんですが、遺産相続がありますでしょう。
両親の間の子どもは2人、私と4歳年上の兄です。先ほど、身内の恥
ともうしましたが、兄は若い頃から暴力団に入ってたんです。
20代の終わり頃に暴力事件を起こして、傷害罪で何年か
服役したんです。で、出所してすぐ、東南アジアに渡りまして、
それからずっと音信不通、日本にはたまに帰ってきてるようでしたが、
私にはまったく連絡はなく、ですから、兄の住所はもちろん、
電話連絡先もわかりませんでした。でも、そのほうがよかったです。

兄とのいい思い出は一つもありませんでしたから。兄が暴力団に
入ったきっかけも、父と大ゲンカして家を飛び出してのことです。
母が亡くなったときも葬式にも来ませんでした。それで、遺産相続です。
兄は勘当されたわけではないので、相続人の一人なんですが、
どうやって連絡していいかわからず困ってました。そしたら、
父の葬式が終わって数日後に、ふらっと現れたんです。
兄ももう50歳過ぎてますけど、真っ黒に日焼けして派手な色のスーツを
着てました。で、いきなり、俺の遺産の取り分をちゃんとよこせ。
こう言ったんです。それは腹が立ちましたよ。だって、母のことも父の
ことも何一つしてないんですから。まあたしかに、父は遺言状などは
書いてなかったので、相続権はあります。遺産のほうは、

現金はほとんど残ってませんでしたが、父の家の土地は売れば
けっこうな額になるようだったんです。それで、腐れ縁が続いても
嫌ですし、兄と話をして遺産は折半。半分をきっちり渡して、
これで完全に縁切りにしようと思いました。兄は大阪市内の
高級ホテルに滞在していて、羽振りは悪くないようでした。
この話し合いは、そこのホテルの談話室を借りて行ったんですが、
終わったとき、兄が「これで会うのも最後だろうし、お前も
 そのほうがいいだろ、最後に記念写真でも撮ろうか」意外にも
そんなことを言い出して、兄のカメラで写真を撮ったんです。
私は詳しくないんですが、デジカメじゃなく、昔のフィルムカメラ
だったと思います。できた写真は家に送るって言われました。

その翌日ですね。寝てから夢を見たんです。粗末な小屋のような
ところで、蔓を編んだような寝台に横になっていました。
すぐ、これは夢の中だってわかったんですが、体が動かず起き上がれ
ません。それで、私の回りを何人かの人が取り囲んでました。
5人はいたと思いますが、全部男性で、日本人には見えませんでした。
ほとんどの人がTシャツ1枚かランニング姿で、肌は浅黒く、
東南アジアの人だと思いました。寝台をぐるっと囲んで私を見下ろして
るんですけど、その顔が・・・生きている人に見えなかったんです。
無表情というか、生気がまったくなかったんです。それくらい暗い。
その人たちは、口々に、つぶやくような声で、「ぷるぎ まて。
 ぷるぎ まて」そう言ってるように聞こえたんです。ああ、怖い。

で、気がついたら朝になってたんですが、ものすごく体調が悪かったんです。
割れるように頭が痛くて何もする気にはなれない。熱はなかったので、
とりあえず頭痛薬を飲んだら、そのときは治りました。それで、
その夢、3日続けて見たんです。ほとんど同じでしたが、外国人たちは
腰をかがめて、その顔が私に近づいてきてる感じがしたんです。
3日めは、立って歩けないほどだったんですが、その日、たまたま
bossmanさんにお会いする予定でした。しばらく寝てたら起きられるように
なったので、タクシーでbossmanさんの店に行ってこの話をしたんです。
bossmanさんは心配そうに聞いてくれて、「まず、明日の朝一番で病院に
 行ってください」そう言われました。それから「ぷるぎ まて でしたね」
と、お店にあるパソコンで調べてましたが、顔をくもらせ、

「これ、おそらくマレー語だと思います。死んでしまえという意味の。
 もしかしてお兄さん、マレーシアかその近辺の国にいるんじゃないですか」
私が「わかりません」と答えると、「これは自分の手に負えないです。
 Kさんという方をご紹介しますから」って。その夜もまた夢を見ました。
翌朝、這うようにして病院に行ったんですが、検査はまる1日かかって
特に異常はなかったんです。夜、bossmanさんとKさんの事務所を訪問しました。
これまでの出来事をお話すると、Kさんは「かなり強力な呪術だと思うね。
 とりあえずこれを」と、白い和紙に包んだ封筒くらいの大きさのものを
渡され、「布団の下に敷いて寝て下さい」と言われました。
その夜、やはり夢を見ました。小屋の寝台に寝てるとこまでは同じ。ですが、
回りには誰もいなかったんです。静まり返ったまま時間だけ過ぎていく。

翌朝、Kさんに電話で連絡すると「効いたようだね。もう大丈夫」と。その後、
夢は見なくなりました。3日後、bossmanさんのお店で、またKさんと
お会いし、すごく奇妙なものを見せられたんです。写真プリントですが、
手で細かく引き裂いたのを裏からテープで貼り合わせていて、
外国人男性が5枚、私の写真が1枚。Kさんは「あなたのお兄さんが大阪の
 ある場所で祀ってた祭壇を突き止めて拝借してきました。見覚えがありますか。
はい、その5人、夢に出てきた人たちだと思いました。そう言うと、
「やはりね。この人たちはみな死んでる。もしかしたら何人かは、お兄さんが
 手にかけたのかも。で、死んだ後も行くとこに行けずに、あなたのお兄さんに
 使役されてる」・・・そのときはどういう意味かわかりませんでした。
Kさんは真顔になって、「あなたのお兄さん、いなくなると困りますか」と

おっしゃられ、私が「嫌な思い出しかありません」首をふると、
「じゃあ、呪い返しをします。なに、この人たちを解放してやるだけです。
 あなたは何も悪くない。すべてお兄さんのしたことの報い」と。
これでだいたいの話は終わりです。兄は、2日後に神戸の埠頭で
死んでいるのが発見されました。死因は・・・警察の話では、何人もの
人に体を踏みつけられての内蔵破裂。兄の着ていたスーツじゅうに、黒い
裸足の足跡がついていたそうです。兄は、麻薬の密輸に深く関わっていた
らしく、日本に戻っていると情報を受けて警察が内偵を進めてたという
ことでしたが、その関係で拉致され、殺されたと見ているようでした。
で、最初のほうで言ったように、Kさんにはお礼を断られ、そのかわりと
いうか、ここを紹介されてお話させていただいたんです。





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