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ある組長の死の話

2020.05.25 (Mon)
あ、じゃあ話していくから。詳しいことは聞かねえでくれ。
あれからだいぶ時間がたってるとは言え、しゃべっちゃいけねえ
ことはあるからな。あれは、昭和真っ盛りの頃よ。
当時俺はな、関東のある組で本部長をしてたんだ。
そうだな30代後半だった。いや、別に偉かねえよ。組たって
弱小勢力で人数も少ねえ。とうの昔につぶれちまってるから。
え、それからどうしたかって? ああ、別に言ってもかまわねえが、
俺は気質になったんだ。ロシアに日本の中古車を輸出する
仕事をしてる。結婚して家族もできたし、今から思えば
あれが潮時ってやつだったんだな。こう言っちゃなんだが、
筋者から足を洗ってよかったと思ってるよ。

あ、俺は話があんま上手くないから、起きたことを順に話してく。
あれは正月のことだった。親父を先頭に、組の主だった者が
揃って初詣に行ったんだよ。親父ってのは組長のことだ、
わかるよな。でな、行った先は地元の神社で、さして大きいとこでは
ねえが、それでも三が日は人手が多い。そんなとこに筋者が
ぞろぞろ行くわけにはいかねえから、期日は正月の13日か
14日のあたりだ。まだ松の内だが、参拝客はがくっと減ってる。
最初から変だったんだよ。親父が賽銭投げ入れて、神社の鈴を
鳴らそうとしたとき、下がってる紐がぶっつり切れたんだよ。
ありえねえだろ、紐とは言ったが、布を編んだかなり太いやつだった。
鈴が親父の頭にあたりそうになって、近くにいた俺がなんとか

受け止めたわけ。なあ、誰だって不吉だと思うだろ。それから、
毎年恒例になってるんだが、組員全員が奥に入ってお祓いを受けた。
筋者が変だと思うかもしれねえが、俺らは験を担ぐんだよ。
いつ何があるかわからねえし、神仏の加護は大事にする。
昔はお祭りがあれば必ず参加してたんだよ。今は彫物がどうこうって
煩くなってしまったが。で、お祓いが終わって、初穂料もだいぶ
弾んだんだが、宮司が何か深刻な顔をして親父んとこに来てな、
話があるって言う。2人で社務所の奥でだいぶん長いこと話し
込んでたよ。これもおそらく、その後の話と関係があったことだろ。
ああ、すまねえな、なかなか話が先に進まなくて。当時はな、
組の経営は順調だった。どっかと揉めてるってこともなかったし、

暴対法以前だから、楽にしのいでいけたんだ。ところが、まだ
1月のうちに、親父の体の具合が悪くなった。乾いた感じの
咳が止まらなくなったんだよ。それと痰の中に、少しだけだが
血が混じってる。こりゃいけませんってことで、大きな
病院で検査してもらうことになった。俺が車を運転して
ついってたんだ。さっき本部長やってたって言ったが、
まあ雑用係みたいなもんだから。で、まる1日かかって検査が
終わり、親父には肺真菌症って診断を言われた。ま、肺に
カビが生えたってことだな。入院してさらに詳しい検査をすることに
なった。けどよ、その日、親父が午後の検査に入ってるとき、
医者に言われたんだよ。明日の都合のいいとき、

一人でもう一度病院に来てくれませんかって。また、そのことは親父に
内緒にしてくれとも。これはどうしたって何かあると思うだろ。
その頃は、癌の告知は本人にはしないことが多かった。近い家族にだけ
告げて、それから本人に言うかどうかを決める。今はドライに、
さらっと本人に言うみたいだけど、当時はそうだっんだよ。
ただ俺は親父の親族ではないし、親父には姐さんがいる。
子ども2人は海外に出てたんだけどな。それで当日、午後にして
もらって行ってみた。そしたら・・・予想外のことでなあ。
しばらく待って診察室に入ると、親父の主治医ともう一人、
レントゲン技師だそうだが、そいつらがいて、「これ、どう見えます」
ってレントゲン写真を見せた。親父の胸部画像だが、

右の肺に白い丸いものが2つ、だるまのように重なってる。
肺の半分までを占める大きさだ。で、それな、2つの丸のどっちにも
目鼻があるように思えたんだ。そんなはずはと考えてると、
「このほうがわかりやすいでしょう」医者がそう言って
写真をひっくり返した。そしたら、明らかに顔なんだよ。
大きい顔と小さい顔が重なってて、どっちも女の思えた。
でな、底冷えするような嫌な表情なんだよ。「・・・・」俺が
言葉を継げないでいると、レントゲン技師のほうが「顔に見えますよね、
 2人分の。最初にこれが撮れたんですが、長年やっててこんなことは
 初めてです。驚いて撮り直したら、そっちは普通だったんですが」
医者が続けて、「これがもし顔だとして、見覚えがありますか」

聞いてきたんでかぶりを振った。そしたら「そうですか。じゃあ
 やはり何かの理由で撮影ミスが起きたんでしょう。
 そう考えるしかないです。それとね、さきほど普通って言いましたけど、
 肺にも問題があるんです。患者さんの奥さんに来てもらって話をしたい」
こういう話だった。で、さらにその翌日。姐さんと俺でもう一度
病院に行くと、末期の肺癌だって告げられた。姐さんが俺もいてほしい
ってことだったんで同席してたんだ。手術不能で、抗癌剤治療しかできない。
余命は半年程度ってことだった。本人に言うかを聞かれ、
姐さんは断った。病院側で、癌と本人に知られないよう、できるだけの
治療をしてほしいって。転院は考えなかった。そこの総合病院は
うちの組が昔から利用してて、いろいろ無理も効いたから。

で、あの写真の顔2つについて考えてみた。親父は若い頃、人一人
タマとってる。ただ、それは男だったし、ムショの務めも終えてる。
わからないと言うしかなかった。親父は病院の特別室に入院し、
姐さんが泊まり込んだときもあったし、俺ももちろん毎日
顔を出した。悪いことに、追検査で肺癌は骨にも転移してることが
わかった。親父はすっかり弱ってしまって、なんとか自力で便所には
行けたが、それ以外はずっと寝てたな。まあ痛み止めの麻薬の
せいもあったろうが。2ヶ月後くらいだな。姐さんから相談が
あって、親父がハジキを持ってきてほしいって言ってるって。
さすがにそんなことはできねえから、理由を聞くと、近頃は毎日、
夜中になると起きてカッと目を見開き、天井をにらみつける

て言うんだ。その様子がわが夫ながら恐ろしいし、天井には何もいないが
俺にも見てほしいって。当然そうしたよ。親父の病室は次の間に応接セット
がある豪華な部屋で、俺はそこに控えてた。夜中の3時過ぎ、
姐さんが「始まった」と言うんでベッドのそばに寄ると、
親父が怖い顔で、「ああ、また来た。今日も来た」って天井をにらみながら
指さす。いや、何もねえんだよ。殺風景な病院の天井。
けどな、ベッドの親父が「出たあ」って言ったときに、病室全体が
ぐらっと傾いだ気がしたんだ。それと強い臭い、腐臭って言うんだろうか、
肉の腐った臭い。親父は苦しみ出し、急いでナースコールして看護婦が
入ってくると臭いが消えた。毎日そのくり返しだったが、長くは続かなかった。
3ヶ月後、親父が亡くなったからだ。余命半年って宣告だったが、

その半分だったわけだ。親父が死ぬ4日前だな。やはり夜中、天井を見て
苦しみ始め、「岡山だ、岡山が来た」って叫んで悶絶した。次の日からは
集中治療室で俺は入ってない。まあこんな話なんだが、ここで終わったら
あんたらも消化不良だろ。俺もな、岡山ってのを調べてみた。
組の関係、親父の知り合い、そのあたりに岡山って名前はない。
親父がとったやつもそういう名じゃないし、岡山出身でもない。
ただな、戦前、まだ兵隊前の親父が、岡山県に疎開してたことがわかった。
似合わねえことに図書館に行って戦前の新聞も調べた。そしたら、
一つだけそれらしい記事があったんだよ。疎開してた母親とその娘が殺され、
暮らしてた納屋に火をつけられたって話。犯人は捕まってない。まあ、
そういうことがあって、俺は筋者をやめたんだよ。





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