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日本における「王朝」

2020.06.25 (Thu)
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紫式部らの作品は「王朝文学」と呼ばれる

今回はこういうお題でいきます。カテゴリは日本史ですね。
ただ、この内容はきわめて地味でツマラナイいものになると
思われますので、特に興味のない方はスルーされてください。
さて、「王朝」という語をネット辞書で引いてみると、

「同じ王家に属する帝王の系列。また、その王家が
支配している時期。例 ブルボン王朝」というふうに出てきます。
まあ、これでいいと思いますが「同じ王家に属する帝王の系列」
の部分の解釈が難しいですよね。同じ血統が世襲で
続いてなくても王朝と呼べるんでしょうか。

例えば、現在の北朝鮮の体制を「金氏王朝」と言ったりしますよね。
金日成、金正日、金正恩と3代にわたって権力が父子で
継承されています。ちなみに、金正日は長男でしたが
金正恩は三男です。うーん、これねえ、一つの血統が
ずっと続いていくのって、すごく難しいんです。

東アジアの歴史時代区分(部分)
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側室の制度があった明治時代以前でも、ある家系が断絶の危機を迎え、
養子縁組をしてなんとかしのいだというケースは枚挙にいとまが
ありません。江戸時代の徳川家だって、御三家から養子をもらって
将軍にしています。現在の天皇家も継承の問題があり、宮家の復活、
女性、女系天皇を認めるなど、さまざまな形で議論されています。

さて、ここで少し話を変えて、中国の歴史時代区分には国号が
使われています。漢の時代、唐の時代、元の時代、明の時代といった
具合です。これらの国は、基本的に同姓の一族による世襲で
成り立っていました。それが易姓革命で入れ替わる。

初代神武天皇
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ところが日本の場合、みなさんが学生時代に社会の授業で勉強した
ように、古墳時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代など、
各時代の特徴をとらえた区分になっていて、王朝ということは
特に意識されていません。この理由はおわかりのことと思います。

ずっと、天皇家は万世一系の建前できたからです。初代神武天皇以来、
今上陛下に至るまで、連綿と2000年以上一つの王朝が続いてきた。
常識的に考えればそんなはずはないんですが、太平洋戦争以前は、
これに異を唱えるのは不敬とされ、古代天皇の非実在論を
説いた津田左右吉氏は罪を受けました。

第10代崇神天皇
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それが、敗戦により昭和天皇は人間宣言を行い、歴史研究にも
自由な空気が流れ込んできました。そうして、昭和23年、
江上波夫氏により「騎馬民族征服王朝説」が発表されます。ただしこの説、
すべては解釈の難しい状況証拠ばかりで、確実と言える根拠は
ありません。現代の史学では否定されることのほうが多いでしょう。

で、次に出されたのが、昭和27年に早稲田大学の水野祐氏が唱えた
「3王朝交替説」です。概略を説明すると、まず神武天皇から
第9代開化天皇までは架空の存在とします。日本の王朝は
第10代崇神天皇から始まった。神武天皇が「始馭天下之天皇
はつくにしらす すめらみこと」と呼ばれたのに対し、

水野祐氏
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崇神天皇がやはり「御肇國天皇 はつくにしらす すめらみこと」と
記載されています。字は違いますが、どちらも初めて国を
開いた天皇という意味です。さらに、第15代応神天皇のときに
王朝交代があった。王都の地が、大和三輪山の麓から
大阪河内に変わっていますよね。これが第2王朝。

そして第26代継体天皇から今上陛下までを一つの王朝と見る
んです。もしこれが事実だとすれば、日本の皇室はそれでも
1500年以上の歴史を持ち、世界で一番古い王家ということに
なります。あと、水野氏は記紀の天皇の代数は認めていませんね。
半数以上は架空の存在と見ているようです。

第15代応神天皇
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さて、ではこの説、現在の史学界での評価はどうなんでしょうか。
まず最初の、崇神天皇の王朝、もしあったとすれば3~4世紀ころの
ことと考えられますが、考古学的には、その時代に同一血統による
世襲があったとする証拠はありません。大王位は、有力豪族に
よる持ち回り制ではなかったかとする意見が強くなってきています。

それが、応神天皇になると、崇神天皇よりも実在性がぐっと
高まります。みなさんご存知のとおり、大阪には多数の巨大古墳が
あります。それらの被葬者が大きな権力を持っていたのは
間違いのないところですが、かといって、やはり大王たちの血が
つながっていたとする確証はありません。

第26代継体天皇
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最大の問題は継体天皇のところでしょう。その前の武烈天皇の
記事が猛烈に怪しい。人の爪を抜いて山芋を掘らせたり、
髪の毛を抜いて高い木に登らせ伐り倒したり、水の流れる
樋に人を入れて、出てくるところを矛で刺して殺したりという
暴虐記事と呼ばれる、唖然とする内容が『日本書紀』に出てきます。

そうして、武烈天皇は子どもがないまま20歳前に亡くなってしまう。
困った臣下たちは、越前国にいた応神天皇の5世孫である
継体天皇を探し出し、大王位を継承するよう頼み込みます。ですが、
5世孫といえば血が薄まってもう他人も同然。

あの反逆者平将門だって桓武天皇の5世孫ですが、当時の朝廷では
誰も知りませんでした。武烈天皇に跡継ぎがいなかったとしても、
もっと血統の近い皇族はいくらもいたんじやないでしょうか。
このあたり、何から何までおかしいですよね。

さてさて、継体天皇は紆余曲折の末、仁賢天皇の娘である手白香皇女を
后とし入婿の形で天皇位につくことになります。自分は、武烈天皇は架空の
存在で、継体天皇がおそらく現天皇家の王朝の始まりと考えています。
継体天皇は治世に筑紫君磐井の乱もあり、実在性は高いと思いますが、
よくわからない点も多いんですよね。では、このへんで。

宮内庁の比定は間違っており、真の継体天皇陵ではないかとされる今城塚古墳
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