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モアイをめぐる3つの説

2020.07.28 (Tue)
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今回はこういうお題でいきます。少し前にヘイエルダールの
話を書いたとき、いずれモアイについての記事も出したいと
述べましたが、みなさんの記憶がさめないうちに
やってしまいたいと思います。

さて、モアイですが、現在のチリ領、イースター島にある
巨大な石像のことです。以前も書きましたが、イースター島
という征服者の白人がつけた名称は現在 忌避される傾向があり、
現地語名のラパ・ヌイを使っていくことにします。

このモアイ像、その形がきわめてユニークなため、世界に知れ渡る
とともに模倣され、日本にもいくつかのモアイ像があります。
下図は、香川県高松市女木町(島)にあるモアイ像で、
重さは約10t。クレーンメーカーが、寝ている像を立てる
実験のために作ったということです。本家のモアイ像で

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最大のものは、高さ7.8m、重さ80tにもなります。加工しやすい
比較的軟らかい凝灰岩で作られており、島の、ラノ・ララクと
呼ばれる直径約550mの噴火口の石切場から採石されています。
ラパ・ヌイには歴史的に金属器が存在せず、黒曜石などの硬い石で
切り出し、加工されたようです。また、ラノ・ララクから
モアイ像がある場所までの距離は遠く、どうやって運んだのかが

一つの謎とされてきました。モアイ像は遅くとも10世紀から
作られ始め、形状から4期に分けることができます。最初期の
モアイ像は小さく、人型をしていて下半身もありました。
それが第2期から下半身がなくなり、第4期になって、
現在モアイ像として認識される形になったんですね。

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字数がかぎられてますので、基礎知識はこれくらいで。
さて、モアイ像は、かつて太平洋上にあったムー大陸など、
超古代文明の遺産として説明されてきました。ラパ・ヌイは
ムー大陸と陸続きであった。あるいは、ムー大陸が沈んだ後、
生き残った人々がラパ・ヌイに上陸した。その古代技術を

証明するのがモアイ像というわけです。ですが、科学が進展すると
ともに、太平洋の海底地形がほぼ明らかになり、地球物理学、
地質学などによって、ムー大陸の存在は完全に否定されました。
オカルトを科学が駆逐するという構図ですが、真面目な学説でも、
近年、否定されるようになったものは多いんです。

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モアイ像についてもそれがあてはまり、以前はアメリカ人の
進化生物学者、ジャレド・ダイアモンドの唱えた説が支配的
でした。2005年出版の『文明崩壊』の中で、かつて
ラパ・ヌイは豊かな森林に覆われており、比較的高度な
文明を持つ人々が2、3万人生活していた。

モアイもその人たちが作ったわけですが、その後の人口増加と
モアイ制作の影響で、森林がしだいに破壊され、その結果、
戦争等によりラパ・ヌイの文明は崩壊し、人口は3000人程度
まで減少、人々の生活は石器時代レベルまで後退した。
そこへ、ヨーロッパの征服者たちが大型船でやって来て・・・

ジャレド・ダイアモンド博士
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これ、定説みたいに言われてきたんですよね。自分が中学の
国語の授業で読んだ説明文も、この説をもとに書かれていました。
ですが、この説はリベラル的な内容で、科学的な根拠はあまり
ないものだということが明らかになってきたんです。

2012年、テリー・ハント、カール・リボという2人の
アメリカ人研究者が実地的な調査で、この説をまっこうから否定
しました。ラパ・ヌイでは、ジャレドが言う人口爆発も、
高度で複雑な社会も存在しなかったと言うんですね。

もう字数がなくなってきたので、ここで詳しい説明はしませんが、
自分が見るかぎり、ハントらの説のほうがはるかに現実的に
思えます。そもそもラパ・ヌイは降水量が少なく、農耕には
不向きな気候です。最初から、3000人程度の人口のまま、
海岸沿いに点在する集落で暮らしてきた。

ラノ・カウ火口
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実際、ラパ・ヌイの遺跡の状況がそのことを裏づけています。
モアイ像を作ることによって資源を消費し、文明が崩壊した
という話はドラマチックで、現代人に対する警鐘も含んでいる
ように思えますが、そんな事実はなかったと見るのがよさそうです。
さて、肝心のモアイ像の話。なぜ、モアイ像は作られたのか。

これは諸説あり、モアイは墓碑であったとする説。マナという霊力が
宿る宗教的建造物であったとする説、また、モアイ像の近くには
真水が湧き出ていることが多く、水の守り神であったとする説など。
ただ、最近人骨が台座から発見されたことで、
墓碑説が有力になってきているようです。

「モアイを歩かせる」実験
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次に運搬方法。ジャレド説では、木製のソリに乗せ、コロを置いて
大勢でロープで引っ張ったとされましたが、ハントらは、
現地人のモアイは自ら歩いて移動したという伝承に注目し、
モアイを立たせたまま、両側からロープで引いて移動させる
実験を成功させています。このほうが人数が少なくて済むんですね。

さてさて、ラパ・ヌイは18、19世紀、ヨーロッパ人の苛烈な
奴隷狩りに遭い、また、その後に島に持ち込まれた疫病によって、
人口は100人程度まで減少してしまいました。島の歴史で
何かの教訓があるとしたら、むしろこっちだと思うんですが、
欧米人はこのことにはダンマリです。では、今回はこのへんで。

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