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木魂と山彦

2020.08.05 (Wed)
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鳥山石燕「木魅 」

今回はこういうお題でいきます。妖怪談義です。
「こだま」という漢字は、木魂の他に木霊、木魅などがあり、
江戸の妖怪絵師、鳥山石燕は「木魅」の字を用いています。
また、絵柄も一般に考えられる妖怪としての木魂のものとは
かなり違います。どうやら石燕の独自の解釈があるようです。

さて、木魂は、ふつうは山びこという自然現象と考えられます。
登山者が高い尾根などに立って、山や谷の斜面に向かって音を
発したとき、それが反響して遅れて返って来る現象を
言いますよね。ですが、石燕には別に「山彦」という
妖怪の絵もあって、下図のようなものです。

同じく石燕の「山彦」
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ですから、石燕は木魅の絵をエコー現象とは別のものとして
表現しているわけです。自分も、大病をする前は山登りなどを
していたので、山びこは何度も聞いたことがありますが、
反響のしかたは気象状態にも左右されるんですよね。

さて、一般に、古木には神霊が宿ると言います。人間の寿命は、
現代でこそ80歳に達しましたが、江戸時代以前は短いものでした。
織田信長が今川戦出陣の前に、「人生五十年~」と謡った
とおりです。それに対し、樹木の場合、数百年の寿命を持つものは
珍しくはなく、昔の人は畏敬を持ったことでしょう。

怪談の一つに、「祟る木」というのがあります。
どこどこ神社の御神木の枝が道路通行のじゃまになるので、市の
担当者が伐ったら、慣れているはずの業者が大きな事故を
起こしたとか、そういう話は全国で聞くことができます。

祟りがあるとされる御神木


これなんかは、人間の利便性のために、他の自然物を破壊する
ことに対する違和感がからできたものだと言ってよいと思います。
古い神道の考え方では、人間の霊も古木の霊も違いはありません。
むしろ、寿命が長いだけに霊性が高いとも言えるでしょう。

実際、神社の御神木は「古多万(こだま)」と呼ばれており、
神霊が天から降り立つ道、あるいは依代(心霊が出現するための
媒体)と信じられ、木を伐ることはもちろん、落葉ひとつ
片づけるのも、神職の重要な役目だったんです。

三内丸山遺跡の巨木構造物
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樹木を神聖視する風習は、日本では縄文時代から見られます。
北日本の日本海側を中心として太い柱を立てる文化があり、
天へ通ずる道であるとか、秋に葉を落とし春にまた芽吹く
再生の象徴であるとか、世界樹信仰の一つであるとか、
いろいろな説が出されています。

また、沖縄地方では、木の精を「キーヌシー(木の主)」と言い、
木を伐るときには、キーヌシーに祈願してからという習慣が
ありました。沖縄の妖怪として知られるキジムナーは、この
キーヌシーの一種とも、キーヌシーを擬人化したものとも言われます。

沖縄の妖怪「キジムナー」
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古代において、樹木を建材として使うことはありましたが、日本では
長期間 竪穴式住居の時代が続いており、伐採する本数はたかが
しれたものだったでしょう。むしろ樹木は、木の実などの自然の
恵みをもたらしてくれるものだったんです。

さて、ここで少し話を変えて、歌舞伎のお囃子の用語に
「谺(こだま)」と呼ばれるものがあり、鼓(つづみ)で深山の
山びこを表す技法ですが、小鼓2挺を用いて「ポポン、ポポン」
と互いに共鳴するように打ち鳴らします。歌舞伎は能から発展した
ものですが、石燕の絵はどうやら能の一場面のようです。

能の演目「高砂」
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詞書は「百年の樹には神ありて、かたちをあらはすといふ」
二つに分かれて生えた松の木の前に、熊手を持った翁と
箒を持った媼がいます。これは有名な能の演目「高砂」に出てくる
老夫婦で、「相生(あいおい)の松」という伝説がもとになっています。

ちなみに、昔の結婚式では「高砂や この浦舟に 帆を上げて」という
謡曲が唄われたものでしたが、今は聞くことが少なくなりましたね。
もとになった伝承は、兵庫県高砂市の高砂神社のものでは、
「昔、播州高砂神社の境内に、幹を左右に分けた一本の松が
生えたので、これを神木霊松として大切にしていたところ、

ある日、伊弉諾・伊弉冊の二神が現れ、我らは今より神霊を
この木に宿し世に夫婦の道を示さん、と告げた」という内容です。
「お前百まで、わしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで」
という ことわざ?がありますが、老齢に至るまで夫婦仲良く
長生きをする願いを意味しているんでしょう。

高砂神社の「相生の松」
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この話がもとになって「高砂人形」が作られるようになりました。
翁の熊手は財産をかき集めるため、媼の箒は邪気を払うためのもの
ですが、上記のことわざの「お前百まで(掃くまで)」で箒、
「九十九まで(熊手)」を表しているという話もあります。

さてさて、ということで、妖怪の木魂と山彦はまったく別の
意味を持ったものだったんですね。自分は「高砂の話」という
怪談も書いてますので、未読の方にはぜひお読みになってほしいと
思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『高砂の話』

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