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水中観音の話

2020.08.08 (Sat)
アーカイブ351

俺が大学2年で探検部だったときの話。夏休みの終わり、
もう9月に近い頃だったな。部としては、毎年最大の行事である
新入生鍛錬のための合宿を終えて一息つき、
休みの残りの日々を各自の活動にいそしんでたんだ。
たまたま部室に顔を出したとき、耳よりな話を同じ2年の
吉崎ってやつが持ってきた。それは、「東北のある洞穴に、
 地中湖に沈んだ観音像がある」というもんだった。

どうだコレ、一言聞いただけで胸が高鳴るような話じゃないか。
しかも、「そこは有名な観光地でもなく、現地には数ある洞穴の一つで、
 仏像のことを知っている者も、わずかな地元住民しかいない。
 理由はわからないが地元ではこの話を広めたくないらしい。
 俺が他の学部で付き合いのあるそこら出身のやつから個人的に聞き込んだ」
どうだ、これはぜひ行ってみようって思わずにいられないだろ。

具体的な計画を頭に思い浮かべても障害は少ないと思った。
交通費がかかるくらいで、洞穴に入るのは前にも経験してる。特別な装備も
知識も必要なかった。地底湖はやっかいだが、潜るつもりはなかったし。
ダイビングの資格を持ってるやつが海外に出てたんだよ。だからそこは、
上から強力な水中ライトを入れて、撮影できたらいいとしか考えなかった。
ただこれは地元で宗教的な対象としてあつかわれているかどうかで、
できるできないが違ってくる、とは思った。なんにしても情報不足。

当時はネットもまだ始まったばかりで、検索もままならなかったし。
現地に行ってからでないと作戦は立てられないと思った。
俺は幸い月末にかかってバイト代が入る時期にきてたし、金銭的な問題は
クリアできる。3年生は就職活動で引退の時期が迫ってるし、
ここは俺が隊を率いてもいいんじゃないかと思った。

隊員を募ったら、吉崎、それから山田という1年が参加したいと言ってきた。
あと当時俺の彼女だった芽菜、それとこれは隊員でも部員でもないが、
吉崎にこの情報をもたらしてくれた工学部の戸木(へぎ)が、
地元に帰省していて、向こうで合流するという話だった。
ウイークデーの火曜午前の電車で出発することにし、4時間ほどの行程。
そっからはレンタカーを借りて俺が運転する。

装備はヘルメット付きのヘッドライト人数分の他に、前に部の予算で買った
7万円の水中ライト一機を借りていくことにした。
これを竹竿のようなものにくくりつけ、水中を照らして仏像の写真を
撮るつもりだった。もちろん撮れればの話で、その時点では、仏像が
どんな地形のどのくらいの深度にあるかも不明だったし、
水の透明度もわからなかった。

俺と芽菜はいっしょに住んでたアパートから、他の2人はそれぞれ別に
駅に集合し、出発した。東北新幹線から乗り換えて、着いたのは辺鄙な駅。
それでもいちおう市だったし。駅前にレンタカー屋はあった。
そこでミドルサイズの四駆を借りて、さらに1時間運転して海沿いに出た。
吉崎の話から洞穴は山中というイメージがあったが、
そうではなく海岸沿いのやや高所といったところにあるようだった。

しばらく走ると寂れた漁村が見えてきた。
このころすでに過疎化が始まってたんだな。その町の
道の駅に寄った。吉崎の友人の戸木と待ち合わせをしていたんだ。
俺らが入っていくと、黒い革ジャンの背の高い男が手をあげた。
テーブルで話を聞いた。・・・洞穴はここから50分ほど。
ただしそのうち30分は車が入れないので歩き。

洞穴は暗く各自ヘッドランプが必要。洞穴はそのあたりに
たくさんあるが、水中観音のあるところはそれほど深くはない。
分かれ道はなく50mほど進めば地底湖に出て行き止まり。
その近辺にはわずかな件数の集落があり、洞穴内の祭壇に
月番でお供えをしているようだが、特に入ることは禁じられていない。

ただし地元民には了解を取ったりしないほうが、
かえってトラブルにならなくていいだろう、どうせ1日入るだけだし。
実は水中観音を見たのは幼児のときで、ほとんど記憶はない。
親にそんなことがあったと言われて、おぼろげに思い出せる程度。
ただ幼児でも見られるくらいだから、水のそんな深いとこに
あったわけでもないだろう。・・・こんな情報を聞いたんだ。
その日はあらかじめ予約していた民宿に一泊し、翌日朝から行動。
民宿では、海水浴場が閉鎖された後の客だったので、
いぶかしがられたが来た目的は濁して言わなかったよ。

戸木もいっしょに泊まって、その夜はかなり飲んだ。
そんな体力を使うような探検でもないと思ってたんだ。翌朝7時に
宿を出発し、小山の中で砂利道が途切れたところで車を乗り捨て、
戸木の案内で薮の中の獣道のようなところを歩いた。やがて山の表面に
ゴツゴツとした大岩のむき出した地形となり、そこここに、
数mから数十cmの穴が開いているのが見えてきた。洞穴地帯に出たんだ。
さらにしばらく進むと、地上3mほどの高さのところに
直径2mない岩穴があり、その上部にしめ縄がめぐらしてあった。

俺らはヘルメットをつけて準備を整えた。
「ここだよ」戸木が言った。岩に石段が刻まれていて、それを
10段ほど登ると洞穴の前に出た。外からは日の光が入らないようで
中は真っ暗。「予想よりずっとせまいな」俺が言うと、戸木は、
「鍾乳洞じゃないんだ。わざわざ昔の人が掘り込んだものらしい。
 だから中は頭をかがめないと入れないし、人2人並んでも通れない。

 そのかわり一本道で分岐もないから絶対に迷うことはないよ。
 地底湖のところは広くて天井も高いはずだ。お前らまさか水に
 入ったりしないよな」こう言ったんで、「そのつもりはない」と答えると、
「中はすげえ気温が低いんだよ。そんなに地上と高低差が
 あるわけじゃないのに、かなり寒いって話だ。だからウエットスーツ
 なきゃ無理だから」困ったことが一つあった。

水中撮影用にライトをくくりつける竿を用意してきたんだが、
それを持って中へ入れない。「誰かが体を伸ばしてライトを持った手を
 水中に伸ばし、それを後ろから支えるしかないな。
 仏像自体は岸の近くで、そんなに深いところにあるわけじゃない。
 明かりさえあれば写真は撮れると思う」戸木が言った。俺が先頭になり、
2番目は探検部ではないが何かのときのために戸木に頼んだ。

3番目が1年の山田で、次が芽菜、しんがりが吉崎という順番。
身をかがめて進んでも、ヘッドライトをつけたヘルメットの上部がときおり
こつんと、洞穴の上部にあたった。せまいし、中の空気も黴臭かった。
岩の壁を手探りしながら進んだが、距離感がわからない。途中で2回ほど
曲がったと思う。突然広い場所に出た。水音がした。
そちらにヘッドライトを向け「すげえ」思わず俺は言った。

高さ10m以上ある岩のホール。正面に幅数mの地底の滝が流れ落ちてた。
その前に黒々とした地底湖、直径7~8mくらいか。ほぼ円形をしていて、
水面を滝の流れ落ちる場所から出た泡が走っていた。
他のメンバーも穴から出てきて俺の横に並び、思い思いに歓声を
上げていた。「この水、滝から落ちた分はどうなってるんだ?」

「おそらく、水中に穴があって他の場所に通じてるんだと思う。あの滝の
 水量からすればそうとうな大穴で、潜れば吸い込まれる危険があるかもな」
「水中観音は?」 「たしかあのあたりだと聞いた」その水面を
高光量の水中ライトで照らしてみたが、光が暗さに負けて何も見えなかった。
「やっぱ水に差し込まなきゃだめか」 「俺が中に差し込みます。
 体重軽いし、万一落ちても泳ぎ得意ですし」1年の山田が言った。

ちょうど岩が平たい台になったあたりで山田が腕まくりして
水中ライトを持ち、腹ばいになったのを俺と吉崎が両足を上から押さえた。
芽菜はカメラ、戸木にはビデオカメラを持ってもらった。
水中にライトを差し入れた。透明度が高いようで、水の中が広範囲に
明るくなった。視界の右に、ちらっと白い丸いものが見えた気がした。
深くはない、水面から数十cmのところに何かがある。
少し山田の体の位置を移動させた。そしたら見えたんだよ。

観音像の頭・・・というかふつうの仏像とはちょっと違ってた。
頭に仏像にある出っ張りがなくつるんとしてたんだ。
ベールをかぶった人の頭のような感じ。それに表面はなめらかで、
ずいぶん長く水中にあるだろうに、苔ひとつついてなかった。
「水すごく冷たいです。腕の感覚がなくなってきました」山田が言ったので、
「写真撮れ、早く」俺が叫んで、フラッシュが何度か光ったとき、地面が
揺れた。「あ、地震か!」 「これヤバ・・・」ジャボッという水音がした。

山田が落ちたんだ。「あぶぶあ」山田のくぐもった叫びが聞こえた。芽菜の
悲鳴がそれに重なった。どうすることもできない、立ってられなかったんだ。
水中でライトがゆらめきながら沈んでいき、消えた。ギチギチと岩が鳴る
音がした。両膝を岩に打ちつけた。痛いというヒマもなかった。
上から何かがヘルメットと背中に落ちてきた。地面にたたきつけられ、
その後のことはわからない。気を失ったんだよ。
・・・どのくらい時間がたったんだろうか。顔に水滴があたって
意識が戻った。でも体が動かない。背骨が特に痛んだ。

視界は・・・わずかに明るい。その方を見ると、岩壁に背中を
もたせかけ足を伸ばしてる人がいて、そのヘッドライトが光ってたんだ。
大小さまざまな大きさの岩がそこここに落ちてた。ヘルメットがとれ、
頭がぐっしょり濡れてる気がした。声を出して・・みたら出た。
「誰だ、おいそこ、大丈夫か?」這っていこうとしたが、
下半身がまったくいうことをきかなかった。俺のヘッドライトは
岩が落ちたときに切れたようで、明かりはその人のライト一つ。

頭を上に向けてるらしく、光が天井近辺をさまよってる。
「みんないるか?誰か、おい?」叫んでも答えはなかった。
手の力だけで、途中で岩に乗り上げながら這った。
その途中でここに入ってきた通路が見えたが、岩でふさがってる
ように見えた。岩壁にもたれてる人の足に手が触れた。ジーンズを
はいた細めの足で、芽菜だと思った。「おい、大丈夫か?」足を揺すって
声をかけると、上向きの顔が下を向いた。明かりが降ってきて、
芽菜の腹と太ももの上に30cmほどの岩がのってるのが見えた。

芽菜は「うえ」と言って一瞬こ俺を見て、それから大量の血を吐いた。
両方の瞳がぐるりと裏返って白目になった。「おい!!」俺は
泣いていたと思う。芽菜がかすかに頭を揺らした・・・そうじゃなく、
また洞穴内が揺れてたんだ。余震だったんだと思うがそう大きくはなかった。
ただ・・・その揺れで、芽菜の頭のライトが消え、真の闇になった。
また新たにいくつか石が落ちてきたのか、つかんでいた芽菜の足の
感触が消えた。「芽菜! 芽菜!」いくら名前を呼んでも返事はなく、
ただ滝の音が聞こえるだけだったよ。

俺はどのくらい意識があったんだろう・・・ずっとあったとしたら、
その後に見たものは幻覚じゃないってことになるんだろうか。でも、
そんなわけはない。とにかく・・・いつのまにか洞穴ホールの中が
光に包まれてたんだ。それもライトの鋭い光じゃない、
やわらかく温かいオレンジの光。俺のまわりを
ゆっくり誰かが歩いてる音がしたんだ。それは重々しい
足音だったよ。俺の首が動く範囲はごくわずかしかなかったが、
その足音が左側にきたとき、できるかぎり首を曲げて上を見たんだ。

・・身長は信じられないほど高く見えた。白い仏像・・・いや仏像とは
何か違った。その顔を見上げたとたん、体の痛みが薄れた感じがした。
なんだかすごく気持ちが和らいだんだよ。
頭に固い物いものがあたった。何かがさわってるんだと思った。
ギチギチ石のきしむ音がして、いつの間にか顔がすぐ近くにまで
きていた。なめらかな白さの西洋人のような彫りの深い女の顔。

それが一瞬ぼやけて、芽菜の顔に変わった。芽菜は無表情で、
口の端に血をこびりつかせたまま「たすかるよ、わたしたち」
こう言ったんだよ。そして顔はまた仏像のものになった・・・
俺は安らいだ気持ちのまま、今度こそ本当に意識が途絶えた。
「大丈夫ですか、しっかりして!」声をかけられた。
「ああ?」 「動かないで!今運び出しますから」力強い声が
返ってきた。「消防のレスキューです。救助にきました」
「芽菜は?」俺が尋ねると、「先に運び出しました。
 ヘリが近くまで来ていますから。もう話をしないで」

・・・ここからは後日談になる。戸木が洞穴の通路が崩れて
ふさがれる前に逃げ出して、救けを呼んだんだ。
まだ余震が続くのと岩の除去で、救助されたのは崩落があってから
2日後だった。洞穴内では、吉崎が巨大な岩の下敷きになって
発見されされ、地底湖に落ちた山田の死体は、ダイバーが入って何日も
探したが見つからなかった。地震は近くの町で震度4ということで、
ほとんど被害はなかったらしい。ただ、その洞穴地帯の地盤には
大きな影響があり、かなりの数の穴がふさがれた。

ああ、芽菜は助かったよ。内蔵に損傷があり、あちこち打撲だらけで、
脱水症状もひどかったがなんとか持ちこたえた。さっきここまで、
俺の車イスを押してきたのがそうだよ。俺はごらんのとおり、
脊椎が2カ所で折れ、神経も切断されて車イス生活になった。それと、
2人も死亡する事故が起きたってことで、大学は辞めざるをえなかった。
しかたがない。地震で天災とはいえ俺が責任者だったし、
届けなんかも不備だった。亡くなった山田と吉崎には、
いくら謝っても謝りきれるものじゃないが。
それに、その後の療養とリハビリに4年間かかったんだ。
いや、こんな体でも結婚もしたし、今は生活は安定してる。

いろんな人が助けてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだよ。
あと、キリスト教に改宗したんだよ。奇跡を見たと信じてるから・・・
あの洞穴はまだあるよ。水中の像・・・仏像じゃなかったんだ。
その地域で、おそらく江戸時代に信仰されていたキリシタンの
マリア観音だったんだよ。地域史をいろいろ調べたが、その集落で
作られたもんじゃなくて、流れ着いた難破船の中で発見されたらしい。
それがキリシタン発覚を懼れた村人によって、あの地底湖に沈められた。
あの事故から長い年月がたって、相変わらず評判にもならず
静かなもんだ。俺と芽菜で、毎年お礼をしに行ってるんだよ。

キャプチャ



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