FC2ブログ

牛鬼の謎

2020.08.10 (Mon)
ffdfd (3)

今回はこういうお題でいきます。もちろん妖怪談義です。
さて、牛鬼はけっこうメジャーな妖怪なんですが、
その正体は何なのか。いろんな妖怪本をあたっても、
明快に説明されている本は自分は読んだことがありません。
エピソードの羅列で終わっているものばかりです。

妖怪には、ある地域だけに伝承が残っているものと、
全国に名前が広がっているものとがありますが、牛鬼の場合は
後者です。それなのに、はっきりしたことがわからない。
また、伝承の内容も少しずつ違っており、そのために、
調べれば調べるほど霧がかかったようにぼやけていくんです。

一般的には、河童や天狗など、全国区の妖怪は説明がつきやすい
ものなんですけどねえ。それと、当ブログでは、江戸の妖怪絵師
鳥山石燕の絵を中心に妖怪を読み解いてますが、
石燕の牛鬼は下図のようなもので、草陰から鋭い爪を持った
牛そのものが顔を出しています。

ffdfd (5)

この図を読み解くだけなら、そう難しくはありません。
牛鬼の近くに咲いている花は萩ですよね。これは花札の
10点札を表してるんだと思います。花札に描かれているのは
猪ですが、それが牛鬼になっている。

ただ、詞書もありませんし、さすがの石燕も、牛鬼については
よくわかってなかったんじゃないかと思います。
うーん、困りました。とりあえず、考えつく牛鬼の特徴を、
項目ごとに列挙していくことにします。

ffdfd (4)

・牛鬼は水に関係がある
牛鬼は海から海岸に出現したという伝承が多いんです。
でも、牛と海はつながりにくいですよね。水浴びしてる牛??
山陰地方では、牛鬼は海から現れ、磯女、濡れ女などの女の
妖怪とコンビを組んで人間を襲うとされています。

海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされ、
特に淵に現れることが多く、近畿地方や四国にはこの伝承が
伺える「牛鬼淵」 「牛鬼滝」という地名が多く残っています。
これも不思議ですよねえ。水浴びしている鹿やカモシカの
誤認なんでしょうか。

ffdfd (6)

・絡新婦(じょろうぐも)との関係
絡新婦という妖怪は淵に棲むと言われます。滝壺の近くで休んでいた
男の足首に、いつの間にか細い糸が絡みついており、それを木の古株に
結びつけると、すごい力で滝壺に引き込まれたという話があり、
蜘蛛の姿、淵に棲むという点で関連があります。

・牛鬼の姿
牛鬼の姿には大きく2とおりあって、まずは頭が牛、体が鬼
というもの。上掲した石燕の絵もこちらの部類に入るでしょう。
もう一つは、頭が牛、体が巨大な蜘蛛の姿のもの。
また、背中に昆虫の翅が生え、空を飛ぶという伝承もあります。

蜘蛛タイプの牛鬼のほうは、水木しげる氏の『ゲゲゲの鬼太郎』で
取り上げられており、全国的にはこのほうが有名でしょう。
ただ、自分が調べたかぎりでは、前者の体が鬼タイプのほうが
伝承としては古いように思えます。

牛頭と馬頭
ffdfd (7)

・仏教の地獄との関係
上の項で書いた、頭が牛、体が鬼というのは地獄の獄卒である
牛頭馬頭(ごずめず)を思わせます。仏教において、地獄にいると
される亡者達を責め苛む獄卒で、牛の頭に体は人身の姿をした牛頭と、
馬の頭に体は人身の姿をした馬頭のことです。

インドから中国を経て日本に伝わりました。現代の中国でも、
盂蘭盆節(お盆)のときには、牛頭馬頭の扮装をした人が登場
したりします。では、牛鬼は地獄の思想から来ているのか。
自分は、どうもそうは思えないんですよね。仏教系につきものの
説教臭さが伝承にはありません。

源頼光と土蜘蛛
ffdfd (2)

・土蜘蛛との関係
上図は、有名な源頼光の土蜘蛛退治の絵巻です。土蜘蛛は、古代の
日本において朝廷・天皇に恭順しなかった土豪たちを指す名称です。
特定の一族ではなく、各地にいました。また、妖怪としての
土蜘蛛は、虎の頭、蜘蛛の体となっています。

これは、蜘蛛の中には胴体が黒と黄色のシマになっているものがいて、
それから虎が連想されたんじゃないかと思います。この全体の形が
牛鬼によく似てますよね。土蜘蛛と牛鬼は仲間で共通点があるのか。
うーん、北東の方角を鬼門といい、丑寅(牛と虎)になりますので、
関係があると言えばあるのかも。

愛媛県宇和島の牛鬼祭り
ffdfd (8)

・金属との関係
あ、もうスペースがなくなってきました。牛鬼の謎を追求していくと
一冊の本ができてしまいそうです。民俗学の柳田國男は、牛鬼は
山で祀られた金属の神が零落し、妖怪変化とみなされたものと
述べています。ただ、そこまで言える根拠があるかは疑問です。

さてさて、ではお前はどうみてるんだと言われそうです。自分は、
やはり根拠はないんですが、「ムクリコクリ」との関係を考えます。
ムクリコクリは「蒙古高句麗」のことで、元寇の際、2度にわたって
蒙古・高麗連合軍が九州を襲ったのを、「蒙古高句麗の鬼が来る」
といって怖れたことに由来します。

ムクリコクリ
ffdfd (1)

この言葉は遠く東北地方にまで伝わって恐れられ、妖怪化しました。
恐ろしいものを表す言葉として、子どもをおどすのに使われたんです。
岡山県、牛窓町の伝承では、神功皇后が三韓征伐の途中、
新羅で塵輪鬼(じんりんき)という頭が8つの大牛姿の怪物に
襲われて、弓で射殺します。

皇后の新羅からの帰途、成仏できなかった塵輪鬼が牛鬼に化けて
再度襲いかかりますが、住吉明神が現れ、角をつかんで投げ飛ばして
滅ぼすんです。蒙古軍の残虐非道が全国に伝わり、長い間に
妖怪に変化していったのが牛鬼。それだと海から現れるのも理解
できますが、この解釈に自信はありません。では、このへんで。

※ 牛鬼のことについては、みなさんから広くご意見をいただければ
  ありがたいです。




関連記事
スポンサーサイト




トラックバックURL
http://scoby.blog.fc2.com/tb.php/2658-f77aea0e
トラックバック
コメント
 うーん難しいです。牛鬼の伝承が形成・流布したのが中近世だとすると、牛は役畜としての扱いが大多数だったはず。となると、妖怪として化けて出るほど食べられてはいなかったでしょうしねえ。
 あ、でも斃れた農耕牛の処理という点ではどうでしょう。いわゆる「専門の職能集団」が、河原などの「水場」で処理していた背景は・・・考えすぎか。実際、このシステムが農村部や沿岸部でどれだけ機能していたか分かりませんしね。
| 2020.08.16 18:45 | 編集
コメントありがとうございます
ほんとに牛鬼は謎の妖怪なんですよね
件(牛女)などが差別に関係してるのは間違いないんですが
(蛇捕りの家でウロコのある赤ん坊が生まれたみたいな)
牛鬼はそういう感じでもないんですよね
ちゃんと解説した本も呼んだことありません

あと、牛馬の皮革は武具や馬具を作るのに必要で
武士集団から庇護されていた一族も多かったようです



bigbossman | 2020.08.17 04:31 | 編集
管理者にだけ表示を許可する