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アーカイブ 放生会の話

2020.08.12 (Wed)
親ひとり子ひとりだった母が亡くなって、49日が過ぎました。
わたしも今後の身の振り方が決まって、
心身ともにだいぶ落ち着きを取り戻したので、
ずっと不審に思っていたことを、ここにお話しにきました。
何かわかることがあるかもしれないと考えたからです。
どうかよろしくお願いします。
・・・始まりは、中学校に入った頃からだったと思います。
それまでも、ぼんやりした子どもだったんですが、
そのあたりから特に白昼夢がひどくなって、
退屈な午後の授業中なんかに、くり返し同じ場面を思い出しているんです。

わたしがまだ小学校に入る前だと思います。なぜなら、
自分の足や手が見えるんです。母の手につながれている小さな手のひらや、
赤いサンダルの幼児の足が視界に入ってくることがあるんです。
わたしのだと思います。とても日射しの明るい日で、砂の地面に
映る影がくっきりとしていました。石で囲われた池のほとりにいるんです。
池はそれほどの広さはないんです。水は少なくなっていて、
そこここに灰色の泥の底が干上がって見えています。

池の中央には緑の苔が生えた島があって、
そこにたくさんの亀が群がっているんです。いくつもいくつも重なり合って。
水の中にも、甲羅や頭だけを出した亀が見えます。
いつの間にかわたしも手に亀を持っているんです。
母が渡してくれたんだと思います。
その亀は・・・幼児のわたしの手にあまるほどの大きさで、
甲羅の部分に不自然な模様がありました。
ただそこだけ、ピントがぶれたようになっていて、
どんな模様なのかはっきりわかりません。
わたしは池の縁で、両手で抱えた亀をそっと放します。
亀はのそのそ泥の上を歩いて、ぽちゃんという感じで水に落ちるんです。

振り返って見上げると、若い頃の母がほほえんでいます。
・・・いますが、その顔は強ばって、無理につくった笑顔のような気がします。
そしてその背後に、大きな寺院らしき建物が見えるんです。
こういう記憶で、夢ではないんです。目を閉じているわけじゃないし、
授業の先生の声も遠くで聞こえる。幼い頃の記憶が真に迫って蘇ってきて、
現在の記憶と混じり合っている、そんな感じなんです。そうですね、
1週間に一度くらいはその状態に入っていました。

もちろん、母にその記憶がなんなのか聞いたことがあります。
母はわたしが2歳のときに父と離婚して、それからはずっと働きずめでした。
いつも疲れていました。そのときも、遅く帰ってきて
テーブルでため息をついている母に尋ねたんです。
「・・・放生会じゃないかしら」母は答えました。「ほうじょうえ?」
「そう、お寺さんでやる儀式。生き物の命を救ってやることで功徳を積む。
 買ってきた魚や飼われている亀を自然に放してやったりするのよ」
「わたしが小さい頃、その放生会をやったことがあるの?」 「そうね・・・」

それから母は、わたしがどんなことを覚えているか細々と聞いてきました。
特に亀の甲羅にあった模様については、何度もくり返し、
どんな模様だったか、何が書かれてたか覚えているかを確かめようとしました。
わたしが「そこだけピンぼけしたようになっててわからない」と答えると、
安心した様子で「そう」と笑ったんです。
逆にわたしが、尋ねても、これは頑として教えてはくれませんでした。
ただ「それで、覚えていることは全部なのね。もっと他に思い出した
 ことがあったら必ず教えてちょうだい」こんな風に言われたんです。

わたしは美術部に入っていました。
といっても油絵の具を買うようなお金は家にはなかったので、
学校にあったパステルで描いていました。夏休みが過ぎて、学校祭が近くなると、
作品展示のために放課後遅くまで残っていることが多くなりました。
それとともに、白昼夢を見ることはどんどん少なくなっていきました。
ただ、その光景を忘れたわけではありません。
わたしが描いていた当時の絵の題名が「亀の池」だったんです。
記憶の中の光景をできるだけ再現して、写実的に描いたものです。
寺院の境内にある池のほとりに立って、無数の亀を眺めている幼い女の子と母親・・・
よく描けている、と顧問の先生はほめてくださいましたが、
母は仕事が忙しくて展示を見に来られませんでした。

学校祭が終わって3年生が引退すると、
この美術部で、わたしは2年生からいじめを受けるようになりました。
そのことはここで詳しくは話しませんが、かなり激しいものだったんです。
わたしは不登校になり、2ヶ月後に自殺未遂を起こしました。
学校に行かなくなったときには黙っていた母も、
このときには仕事を休んで何度も学校に出向いていたようでしたが、
入院していたわたしには詳しいことは教えてはくれませんでした。
ただわたしの頭をなでながら「もうすぐよくなるから、
 学校に行けるようになるから」こう何度も言っていました。

それから2ヶ月して、いじめの中心だった2年生の先輩が亡くなりました。
とても珍しい病気で、かつてちらっと聞いたことのある、
母と離婚してからほどなく死んだ父のと同じ病名でした。
学校で放課後に倒れて、3日後に亡くなったんです。
わたしが学校に復帰したのは、1年生ももうすぐ終わるという頃でした。

それからも母は、仕事をかけ持ちして忙しく働き続け、
わたしが「働くから」と言ったのに、美術系の高校にまで行かせてくれ、
画廊に就職したのを見届けるようにして、先日亡くなりました。
朝起きてこなかったので、あらあら珍しく寝坊かと思って起こしに行ったら、
すでに息がなかったんです・・・頭をのけぞって布団からはみ出させ、
両手は何かをわしづかみにするように突き出され、
指が曲がっていました。まだ40代でした・・・

母の貯金から簡素な葬式を出しました。
勤めたばかりの画廊の人たちはとてもよくしてくれました。
小さな家は、離婚のときに父から渡されたものでしたが、
この機にわたしが相続して手放すことになりました。
母の少ない遺品を整理していると、クローゼットの奥に
新聞紙とヒモでで厳重に包まれたものを見つけました。
開けてみると、どこにいったかわからなくなっていた、わたしの絵でした。
「亀の池」です。それと木の箱がありました。上の面に「裏放生」と
筆書きされていました。釘で打ちつけられていたため、壊さざるをえませんでしたが、
中から出てきたのは、15cmくらいの亀の甲羅が2枚でした。
一枚には父の氏名、もう一枚には中学校のときにわたしをいじめていた
先輩の氏名が丁寧に彫られ、金泥で埋められていました・・・






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