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『古事記』の謎

2020.11.28 (Sat)
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今回はこういうお題でいきます。日本史の内容ですね。さて、
当ブログでは歴史の謎をめぐる話もあれこれ書いてるんですが、
資料としては、できるだけ『日本書紀』のほうを使うようにしてます。
理由はもちろん『日本書紀』が正史だからです。

『古事記』と『日本書紀』では、固有名詞の用字がほとんど違っていて、
例えば、スサノオノミコトは『古事記』では「須佐之男命」、
『日本書紀』だと「素戔男尊」になります。「ミコト」を「命」に
つくるのが『古事記』、「尊」とするのが『日本書紀』と
覚えておけば わかりやすいかな。

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当ブログでは、特に事情がないかぎり『日本書紀』のほうの
表記を用いるようにしてます。さて、『古事記』の謎として
大きく3つが取り上げられることが多いですね。まず一つめは、
編纂者の一人である稗田阿礼(ひえだのあれ)について、
どのような人物だったか、というもの。

『古事記』の序文には、「時有舎人 姓稗田 名阿礼
年是二十八 為人聡明 度目誦口 払耳勒心 即 勅語阿礼
令誦習 帝皇日継 及 先代旧辞」と出てきます。
ここからわかるのは、舎人の身分で年齢が28歳だったこと。
たいへん聡明だったため「帝紀」 「旧辞」を暗唱させられていたこと。

太安万侶と稗田阿礼
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この稗田阿礼については、① 架空人物説 ② 女性説 
③ 語り部集団説などがあります。まず、名前がひじょうに疑わしい
ですよね。「雑穀の畑で生まれた(卑しい人物)」という意味に
解釈でき、なんか おざなりだなあという気がします。

このうち②の女性説は、民俗学者の柳田國男氏などが唱えていますが、
明確な根拠があるとは言えないものです。舎人とありますが、
これは皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた身分で、
基本的に男性です。ただ、舎人だったとすれば他の資料にも名前が
みえてよさそうなのに、それはないんですね。

太安万侶
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まあ、結論の出るようなことではないですが、あえて言うなら
自分は①の架空人物説を取りたいと思います。つまり、そんな人は
いなかった。理由は後述します。ちなみに、稗田阿礼の誦習する
『帝紀』『旧辞』を筆録した太安万侶は実在の人物で、1979年、
奈良県奈良市此瀬町の茶畑で墓と墓誌が見つかっています。

さて、2つめの謎は、『古事記』はなぜ編纂されたのか? 
というもの。同時期に『日本書紀』が成立しており、同じような
内容のものが別々につくられた意味がわかりません。ここで
『古事記』編纂の経緯をみてみましょう。

太安万侶の墓 最終官位は民部卿従四位下
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その序文によれば、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた
『帝皇日継』と『先代旧辞』を、711年9月、第43代元明天皇から
筆録して史書を編纂するよう太安万侶が命じられ、翌712年1月、
『古事記』として天皇に献上したとなっています。

645年、天智天皇らによる蘇我入鹿暗殺事件(乙巳の変)が起こり、
入鹿の父である蘇我蝦夷は、邸宅に火をかけ自害しました。このとき、
朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上したとされ、
『天皇記』など数多くの歴史書はほとんどが失われ、『国記』は難を
逃れて天智天皇に献上されたとされますが、どちらも現存していません。

女帝であった元明天皇
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自分の考えでは、おそらく、白村江の戦いなどで史書編纂どころでは
なかった天智天皇から天武天皇へと権力が移行したとき、
天武天皇は『天皇記』 『国記』の内容を、自分の政権に都合のいい
形に改ざんしようと目論んだのだろうと思います。蘇我氏を悪人に
仕立て、また壬申の乱での自分の立場を正当化しようとした。

以前記事に書きましたが、天武天皇は日本史上、傑出した人物で、
「天皇号」を初めて使用し、仏教と神道、どちらも天皇家に
都合のいい形で整備し、国家の霊的な支配を試みています。ですから、
前代の史書の内容の改変を計画しても不思議はないと思います。

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その改変のプロジェクトチームが、稗田阿礼ということです。
また、720年の『日本書紀』の完成の前に『古事記』が出されたのは、
いきなり正史でとする『日本書紀』が出て、各有力氏族から内容に
ついて、特に神話部分で異議が上がらないよう、
先触れとして周知させるため。

まあ、このあたりのことは妄想と言われてもしかたないような
ものですが、自分はそんな気がするんですよね。
さて、3つめの謎は、『古事記』偽書説です。じつは後代の作であった
というもので、全体が偽書であるという説と、序文だけが後の世に
つくられたとするものがあります。これは幕末の国学隆盛期に

天岩戸
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賀茂真淵が唱え、明治や昭和の時代にも論じられましたが、はっきりした
根拠はないと言っていいと思います。偽書説の論点の一つが、稗田阿礼の
実在性が非常に低いことなんですが、自分は、これまで書いてきたように、
稗田阿礼とは歴史改変のための機関だったという説を取っていますので、
実在性が低いのは不思議とは考えません。

さてさて、ということで、『古事記』についてみてきました。
いずれにしても、『日本書紀』 『古事記』ともに、壬申の乱の勝者である
天武朝がつくった史書なんですよね。その視点はつねに考慮しておく
必要があるかと思います。では、今回はこのへんで。

関連記事 『霊的巨人 天武天皇』

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