鹿ぞ鳴く

2014.03.08 (Sat)
もうずいぶん昔のことです。そのころ私は、和服の行商をしていましてね。
いや、荷を担いで廻ってたわけじゃありません。
カタログ販売です。むろんインターネットも携帯電話もない頃でしたから、
本社からその県のね、拠点となる場所に商品を送ってもらって、
私はカタログと生地見本を持って小さな集落を廻って歩くんです。
一軒一軒を訪ねて注文があれば代金をいただいて品物を送らせる。
今にして考えれば悠長な商売ですよね。のんびりした時代だったんです。

移動は、経費節約のため鈍行列車を使うことが多かったですよ。
集落に入ってからは、自転車を調達できればそれで、なければ徒歩で回っていました。
たいした給料ではありませんでしたが、この頃は独り身でしたし、
いろんな場所へ旅から旅の生活は楽しかったですよ。いや強がりじゃありません。
ああ、すみません。前置きが長くなってしまいました。
夜行列車に乗っていました。もちろんローカル線の各駅です。
当時は鉄道も単線の区間が多くて、急行列車を待つために駅でもなんでもないところで
数十分くらい停車しているということがよくありましてね。

夜の10時頃だったでしょうか。私は商売柄、列車の中で寝るのは得意だったんですが、
その日はどうしたわけか寝つけなくて、
4合瓶をちびちびやりながら窓の外を見てたんですよ。
他の乗客はわずかしかおらず、ほとんどの方は眠っていました。
季節は夏の終わり頃で、まだ列車の天井では扇風機が回っていましたね。
急行待ちのアナウンスがあって列車が停まったのは、線路脇に芒(すすき)、
その向こうは雑木のまばらな林となっているところでした。

ぼんやりと見ていると、その林の中をですね。白い着物を着た人が歩いていた。
暗くってはっきりとはしませんが、烏帽子のようなものも被っていました。
つまり神主さんの格好ですよ。
そういう人が20mばかり離れたところをゆっくりと歩いている。
その人がちらと、こちらのほうを見て、
そのときに顔の造作が車窓からの光で見えたんです。
いや、何の変哲もない中年男の顔でしたよ。

ただ、その人の後ろに何か動くものがありました。
鹿です。大きな鹿がたくさん、その人の後をついて歩いてたんです。
鹿は、みな一様に首をうなだれてとぼとぼと元気のない様子でした。
不思議なことがあるものだな、と思いました。
鹿を飼っていて慣れているのだろうか、
神主の格好をしているのは、どこかの神社で飼っている鹿なのだろうか・・・

ところがですね。その鹿の群れが列の後ろにいくにつれて、
別のものに変わっていったんです。夜の中で黒ぐろと見えていた鹿の地肌が、
だんだん白くなっていった。
あれっ、と思ってよく見ると・・・四つん這いの人間です、まる裸の。
鹿と人間が混ざったようなのもおりましたよ。背中だけ毛皮が生えているようなね。
人の体に顔だけ鹿というのも。
列の後部のほうはまるっきりの人間でした。男も女もいましたね。
裸で尻を高く上げた四つん這いで、頭を垂れて木立の中に消えていきました。

車窓に顔をくっつけるようにして、見ていたのは数分程度のことでしたが、長く感じました。
ああ、たしかに酒は飲んでいましたので、幻を見たという可能性はありますよ。
ただ、話には続きがあるんです。
列車はまもなく出発して次の駅に着きました。
そこで私たちの車両に乗り込んできた客が一人いたんです。
中背の勤め人のような背広を着た、40代くらいと思える男の人でした。
大きな風呂敷包みを抱えていましたね。

その人が、席はガラガラに空いているのに、私の前にきて座ったんです。
ほら昔の車両ってのは、向かい合った4人がけの席になっていることが多いでしょう。
その向かい側の席です。そのとき、その人の顔を見て驚きました。
さきほど林の中で異形の鹿の群れを連れていた神主とそっくりなんです。
あの・・・狩衣というんですかね、それと背広という違いはありましたが、
まったく同じ人だと思いました。

その人は、「ここ失礼します」と言って座り、
風呂敷包みは網棚に上げずに横の席に置きました。
様子を見ていると、「失礼ですが、どのようなご商売ですか」と、
向こうのほうから話しかけてきたんです。
それは柔らかな、笛か何かを思わせるような声でした。
それで、問われるままに行商のこと、旅のことなどいろいろ語りました。
お酒が入っていたせいか、自分でもびっくりするほど饒舌になっていました。

その人のほうはと言えば、
自分のことはほとんど語ることなく聞き役に徹していましたよ。
いや、今にして思えば上手な聞き役でした。
私は子どもに死なれたことや、それが原因で妻と別れたことまで話してしまったんですから。
その人は私の話をひととおりり聞き終えると、改まった感じで「わたしと一緒にきませんか」
というようなことを言ったんです。
どういう意味かはわかりませんでした。
もしかしたらさきほど林の中で見たことと関係があるのか、とは思いましたが。

するとそのときです。ガクンと列車が揺れ、ギィーッという長いブレーキ音ととに停止しました。
私はずいぶん長く鉄道を利用していましたので、
これは何か事故があったんだなとわかりました。
その人にもわかったようで、
額にしわをよせて、「飛び込みでしょうかね」と言いました。
そのあとでそわそわとした様子になり、「ちょっと見てきますね。野次馬趣味でお恥ずかしい」
そう言って、荷物を持つと前の車両に移っていきました。

席を立つときに、その人はつぶやくように歌うように「しかぞなくなる」と言ったんです。
・・・それからもう戻ってはきませんでした。
前の車両に席を移して、そのままどこかで降りられたのかもしれません。
列車は動き出し、私はいつしか眠ってしまいまして、気がついたら朝になっていました。
これだけの話です。・・・「しかぞなくなる」というのは、
千載集にある「世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる」
という和歌のことではないかと、だいぶ後になってわかりました。


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